気ままに城めぐり

城好き、特に城郭の石垣を見るとしびれますね!

備中高松城

2012-04-13 15:53:05 | 旅行

備中高松城 城主清水宗治、織田信長の中国攻めの命を受けた秀吉が毛利方の名将清水宗治の守る備中高松城を攻める
宗治は高松城に籠城して徹底抗戦するが秀吉の側近 黒田官兵衛の発案だといわれている あの奇策水攻めで補給路を断たれほぼ勝敗が決した

戦の最中に本能寺の変の報を得た秀吉は信長の死をかくし、急き城主清水宗治の切腹と毛利領の3か国の割譲を条件に籠城者の命を助けると毛利氏とのあいだで講和を結ぶ

清水宗治は秀吉から贈られた酒と肴で別れの宴を行い、城内の清掃などを家臣に命じ、身なりを整えた。
その後、宗治と兄 清月と家臣の難波伝兵衛、末近左衛門ら4人は秀吉から差し向けられた小舟に乗って秀吉の本陣まで漕ぎ、杯を交わした。
そして舞を踊った後「浮世をば 今こそ渡れ武士の 名を高松の 苔に残して」という辞世の句をしたため、自害しました。

その時の宗治の態度や切腹の際の作法が見事だったため、秀吉も感服し、それ以降、切腹が名誉ある行為という認識が広まったと言います

しかし、潔い清水長左衛門尉宗治、武士とはこう有るべきと秀吉も感銘した宗治の死に様に合掌です。

さあ浮世を渡りあの世へ行こう。
武士としてのその名を、松に苔が付くほどの長きに渡り残そう。
今がその絶好の機会なのだ


  


  

   
  

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