気ままに城めぐり

城好き、特に城郭の石垣を見るとしびれますね!

安土城

2010-06-26 17:40:53 | 旅行

信長は城が完成した時よほど嬉しかったのか城下の人に金を取って城を見せたといわれます
大手道の石垣の長さは180mもの直線的な石垣が続く 守りにはマイナスである 城での戦を想定する必要がなかったのだろう
安土城は信長の権威を示す城 自らを神と崇め天主に住み そこから天下布武を誓った信長の絶頂期
城はほぼ全域に石垣が使われていて 近世城郭のはしりとされ後の城造もここから変わっていったと思う

完成後わずか3年!金箔と黒漆塗りの豪華絢爛な安土城も本能寺の変で信長が倒れ その直後に城は炎上してしまいます
信長の野望が夢幻となり 秀吉の世になっていきます あぁ・・・あの事件がなければ・・・是非に及ばず


八王子城

2010-06-19 09:53:39 | 旅行
小田原城の支城 中世山城で石垣を取り入れているのはめずらしい 石畳や石垣はきれいに、発掘復元されています

秀吉の小田原攻めの時 別働隊の前田、上杉 真田ら1万5千の猛攻をうけて一日で落城したそうです
山城を一日で落城させるとは かなりの猛攻であったろう

そして小田原城へのみせしめの為に大虐殺が行われ、勝てば天国?負ければ地獄 城内にいた兵や近隣の僧や農民 婦女子など次々・・・
せめて女 子供は助けてやれよとといいたいが それが戦国の世です これで小田原城の開城を早めたといわれています


  

小田原城

2010-06-12 15:14:01 | 旅行
現在の近世城郭として小田原城は遺構としてはほとんど無く公園であり 城も箱物で魅力を感られない 
しいて言えば常盤木門の枡形と埋め立てられた堀くらいが当時の規模を少し想像出来る物だろう

見所としては中世小田原城郭跡であろう 小峯御鐘ノ台大堀切東堀は圧巻だ.幅20メートル,深さ12メートルの堀と土塁は当時の姿そのまま今に伝わる
北條時代には日本最大の中世城郭に 八幡山から海側に至るまで小田原の町をぐるりと9キロメートルの土塁と空堀で取り囲んだ惣構えは、壮観であったろう

   

養源院

2010-06-05 12:45:43 | 旅行

養源院 「三十三間堂の東隣にある徳川家の菩提所 徳川秀忠の正室・崇源院( 茶々の妹、江)の願により再興された」

関ヶ原の戦いの直前、徳川家康は会津の上杉景勝討伐に向かうため、鳥居元忠以下1000名に伏見城を守らせた
家康が京を離れた隙を狙っていた石田三成の軍勢9万が伏見城を攻撃奮戦したが遂に力尽き、鳥居元忠らは自刃
遺骸は関ヶ原の戦いが終わるまで約2ヶ月もの間、伏見城に放置され、その血痕や顔や鎧のあとが縁側の板に染み付き、
いくら拭いても洗っても落ちなくなった。そこで、縁側からその板を外し、供養のため寺に移した。
足で踏む床板にしては供養にならないからと、天井にして手厚く供養しているこれが血天井といわれている
最後の武将の姿が生々しい血の跡となって400年の時を越え当時の地獄絵図を想像させてくれます 

ところで浅井三姉妹ってきっと美人だったんでしょうね・・・  京都駅から徒歩20分