気ままに城めぐり

城好き、特に城郭の石垣を見るとしびれますね!

上田城

2010-05-29 09:35:08 | 旅行
上田城城主 知将真田昌幸 長男信之と共に不利な状況の中、戦で勝利を重ねてきた 関ヶ原の戦いでは
徳川と豊臣に別れて戦い 徳川方に付いた信之側の勝利に父と弟は上田領没収と死罪が下されるが
徳川に属した長男の信之の助命嘆願で赦免される 信之の父に対する熱い畏敬の念があったのだろう
父が病死したとき、家康に父の葬儀を執行する許しを願ったが許されなかった、さぞかし無念であったろう
親父の想い入れがある真田石を形見としてそばに置きたかった信之の心情がわかる気がする
真田の名と血を残したのは信之の功績 蛙の子は蛙親父に負けず劣らずの家族を愛する名武将である。






松本城

2010-05-22 14:26:51 | 旅行
国宝松本城の天守最上階梁上に守護神二十六夜神が祀られています、
元和四年に天守番の藩士川井八郎三郎の前に美しい娘が現われ 
「天守の梁の上に吾を奉祀して毎月二十六日には三石三斗三升三合の餅をついて、藩士全部にそれを分かち与えよ さすれば御城は安泰に御勝手向きは豊かなるや」と告げました
それを聞いた藩主はお告げを実行し そのお陰で松本城天守が多くの危機をのり越えて今に至っていると...
昔話に良くありそうな話ですが 国宝松本城が今に残っているのは二十六夜神のお陰かも

b

甲府城(舞鶴城)

2010-05-15 15:07:13 | 旅行
浅野長政・幸長父子が城主となり、大城郭が完成する 関が原以後、徳川一門が代々城主を勤めた
石垣 堀などが(一部修復)現存し 稲荷櫓、渡櫓門などが復元されていた
城の全盛期の頃は 鶴が舞うような美しい姿だったことから舞鶴城とも呼ばれていた
見所 天守台石垣穴太積(天守閣は建てられなかった)
その他 石垣に見られる 矢穴(石を割るために開けた四角い穴) 四寸矢穴(約12cm) 400年前の築城期 野面積み石垣
三寸矢穴(約9cm) 300年前の江戸時代中頃 の物探してみるのもおもしろい


   

太田金山城

2010-05-03 20:18:34 | 旅行
関東七名城」のひとつ 関東には珍しい石垣のある山城関東管領上杉氏に従っていた岩松家純が築城したとされる
天正18年(1590)小田原北条氏の滅亡と共に廃城となりました。
発掘復元された石垣が綺麗に復元されているが、こんなに綺麗だったか疑問が残る