関が原の戦いの後 中村一忠が米子城に入り五重の大天守を備えた大城郭を慶長7年(1602)に完成させます一忠が20歳の若さで死去すると中村家は断絶 その後、加藤貞泰、鳥取藩池田氏が入り家老荒尾家が明治維新まで城主を勤める
なかなか見ごたえのある城郭です、石垣なども修復されています 天守台の石組みもなかなかのものです、鳥取城の支城ですがその規模は本城を凌ぐ規模で、二基の大小天守がそびえ30の櫓と20の門があったと思うと感無量です、天守台址から見た中海の眺めがまた素晴らしい
動画 www.youtube.com/watch?v=6lUMCwctWzE
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