ちょっと息抜き

たまに息抜きで、出かけることがあります。
そんな記録を少し綴っていければと思ってます。

記念艦三笠

2012-01-22 21:10:20 | 日記

昨年暮れにNHKで坂の上の雲が放送されました。日露戦争の日本海海戦のシーンをご記憶の方も多いと思います。連合艦隊の旗艦が三笠で東郷平八郎司令長官が艦橋でロシアのバルチック艦隊との戦闘指揮を執ったことで有名です。この記念艦は横須賀の三笠公園に保存されています。

三笠は、明治35年(1902)にイギリスで建造された戦艦です。排水量は15140トン、全長132メートル、幅23メートル、速力18ノット、乗員は860名です。主砲は30㎝砲4門、副砲15㎝砲14門、補助砲8㎝砲20門、魚雷発射管4門を装備していました。
特に、明治38年(1905)5月27日の日本海海戦では、ヨーロッパのバルト海から派遣されたロシアのバルチック艦隊を対馬沖で待ち構え、集中砲火を浴びながら勇敢に戦い勝利を得ました。38隻を撃滅しています。
大正12年(1923)に現役を退き、大正15年に記念艦として横須賀に保存されましたが、第二次世界大戦後、占領軍の命令により大砲、マスト、艦橋などが撤去されました。
その後、「三笠」を元の姿に戻そうとの声が内外で高まり、昭和36年(1961)に現在の姿に復元されました。
日本は、明治以降に数多くの軍艦を建造してきましたが、現存する軍艦は「三笠」のみです。艦内の展示室には、旧海軍の制服や装備、日露戦争関連の展示のほか、東郷連合艦隊司令長官の公室、参謀長室、艦長室などが復元されています。
指揮塔に上ると、日本海海戦の最中、東郷元帥が5時間立ち続けたといわれる位置に足跡が示されています。

補助砲の8㎝砲です。

30㎝主砲の射程は約1万メートル、対岸の房総半島まで届きます。
三笠の艦首から直線を引くと、皇居に至ります。

「皇国の興廃この一戦にあり各員一層奮励努力せよ」の信号Z旗を掲げています。

艦首からみた全景です。

砲が横から出ているのを見ると、海賊船を思い浮かべてしまいます。

自分は横須賀の生まれで、ダンスホールになったときの姿も覚えています。復元されてからも数回足を運びました。実家が横須賀にありますのでいつでも行かれるという思いからか、足を向けませんでしたが、暮れの放送をみてい、今回寄ってみました。通っていた小学校も近くにあります。今度はもう少しゆっくり見にこようと思っています。


江ノ島の児玉神社

2012-01-04 23:27:10 | 日記

江ノ島の児玉神社といってもすぐにわかり方は少ないのではないかと思います。
昨年の暮れにNHKで「坂の上の雲」が放送されていて、日露戦争の旅順攻略や203高地の攻防戦や日本海海戦の場面を記憶されている方も多いのではないかと思います。この中で児玉源太郎満州軍総参謀長(高橋英樹さんが演じていたかた)が出てきます。この方を祭神とした神社です。軍人を祭った神社としては、東郷神社や乃木神社が有名ではないかと思います。

児玉神社です。訪れる人はまばらでした。

児玉神社の狛犬です。台湾から送られたものだそうです。

江の島には辺津宮(へつみや)、中津宮(なかつみや)、奥津宮(おくつみや)の3つの宮があり、これを総称して江島神社といいます。祭神は、宗像三女神で、奥津宮に多紀理比賣命(たぎりひめ)、中津宮に市寸島比賣命(いちきしまひめ)、辺津宮に田寸津比賣命(たぎつひめ)をそれぞれ祀り、江島大神と総称しています。
江戸時代までは弁財天が祭られ、江島弁天、江島明神とも呼ばれましたが、明治の神仏分離で現在の祭神になっています。

辺津宮です。江の島に入って最初のお宮ですので参拝者も混んでいました。

中津宮です。

奥津宮です。