新大久保の皆中稲荷神社で行われた、江戸幕府鉄炮組百人隊出陣の儀をみてきました。新宿区百人町を中心に、火縄銃の発射が見られます。今年は保存会結成50周年にあたるそうで、26回目になります。この行事は2年に1回行われていて、前に見に行ったのが4年前でした。
この保存会が出来たのは、昭和36年に「百人町と鉄炮百人組」の史実を後世に伝え残そうと言うことで皆中稲荷神社宮司が中心となり、氏子五町会に働きかけて復活したものです。
徳川家康が江戸に入ったのは、1590年(天正18年)のことですが、先陣を努めたのが服部半蔵正成を頭領とする鉄炮同心百人および玉薬同心(弾薬製造)であったそうです。当時の江戸は以前北条の支配地であったことから、その残党がせめて来ることを恐れて、現在の新宿1~2丁目あたりに駐屯させたのが鉄炮百人組の始まりとなったそうです。徳川幕府が開かれてからは、内藤宿、大久保百人町に組屋敷を設けて定住化を図っています。詳細は、江戸幕府鉄炮組百人隊のホームページを参照ください。
今回の開催を知ったのはホームページからでした。ただ、午後から用事があるので、見にいけても午前中だけということでした。皆中稲荷神社での発射が何時だか調べたりしていましたので、家を出たのがぎりぎりの時間でした。神社に着いたときは、すでに選抜隊が並んで、その回りをカメラマンが人垣を作っている状況でした。4年間前は、最前列でみれたのに、人の間からカメラを出して撮影していました。
三番隊から選抜された方が整列しています。
奉納の発射が終わると、百人町界隈で数回発射する場所があって、隊列を組んで行進をします。一番先頭までまで行ってこの隊列を撮影しました。その後、2つの発射場所を飛ばして、4番目の発射場所に移動して、行列が来るのを待っていました。ここでは、友情出演した相馬中村藩古式砲術のクループの発射も見ることが出来ました。
毎回、見に行っているわけではありませんが、女性の隊員が増えた感じがしています。4年前は、全体で1・2名だったと記憶していますが、各隊に2・3名含まれていました。物見は全員女性でしたが、鉄砲を担いで歩く姿もさまになっていました。
最後に戸山小学校での発射をどうしようか迷ったのですが、午後に約束もあるので帰ってきました。この出陣の儀は、最後まで見たことがありません。また、発射場所もすべてみていませんので、2年い1回ですが、全部見てみたいと思っています。