goo blog サービス終了のお知らせ 

日々あれこれ思いつきメモ

日記というよりもメモ? そんな思いつきを書いただけ……。

個人的な2014年

2014-12-23 12:08:21 | 日記

先日、個人的なことを書こうと思ったら、いつの間にか話は他の方向へと自然と流れていってしまった。まあ、僕個人の話など、他の人にとってはどうでもいいことなのだけど、ウェブログという昔ながらの日記的な意味合いでこれを書いている。

 

まずは今年の悪かったことから振り返ろう。

何と言っても、祖母の突然の死と僕自身の長期にわたる体調不良だ。

このふたつに限る。

まあ、祖母の死は僕がちょうど埼玉へ帰る1週間ほど前の出来事だった。突然、父からの電話の祖母の死を知った。すぐに翌日のチケットを手配して帰り、その数日後に再び埼玉へ帰った。それほど苦しむこともなく、年齢を考えれば大往生と言ってもいいだろう。そういう意味では、彼女にとっては幸せな最期だったかもしれない。僕はそう考えているし、不謹慎な話だけれど、それほどのショックもなくそのまま受け入れることが出来た。ただ、突然過ぎただけ。病院ではなく、自宅でだれも気づかないまま逝ってしまったが、それも彼女自身が望んでのことだったに違いないと思っている。

 

深刻だったのは、長期にわたった僕自身の体調不良の方だった。

別に因果関係を問うつもりもないが、今年6月に出版した「原発村の1年半」(続編を計画中)のために3月11日と12日に福島県の双葉町に入った。すでに本を作る材料(写真)「は手元にあったのだが、どのように編集したらいいのか検討もつかなかった。そこで、友人に連絡を取って写真の場所を直接見たいと頼んでいろいろと手配してもらったのだった。日程を決めたのは、ちょうど3年後のその日と「原発がヤバイ」と避難勧告が出た翌日の2日間をその場所で過ごそうと思ったのだ。(実はもうひとつその時期だった理由はあるが、あとで語る)

双葉町を中心に福島県を回ってもらった。仮設住宅にも行ったし、そこに住んいる人の話も聞いた。(聞いた話は文章にしていないが、前向きな人、後ろ向きな人とさまざまであったことだけ言っておく)そこで感じたのは、「感覚の麻痺」だった。除染対象レベルの場所でも普通に人々は歩いていて、子供も一緒に歩いている。福島では放射能に敏感になりすぎると逆にいじめに合うという衝撃的な話も聞いた。

僕は、目に見えない放射能だけではなく、目に見えない人の心まで何となく見てきたような気がしたものだった。

そこから沖縄に帰ってすぐ、僕は高熱を出して寝込んでしまった。以来、体調がひどく悪くずっと風邪をひいているような状態だった。常にマスクをしていた。ちょうど『THETHE』がスタートするタイミングだったので、少々きつかった。

好きな海にもほとんど行かず、サーフボードが干からびるんじゃないかというくらい、ずっと陸にいた。たまにどうして海に行きたくなり、サーフボードを持って海に行くのだがすっかり落ちてしまった筋肉では沖まで出るのが精一杯。いくつものいい波をスルーして体力が回復するのを沖でずっと待っていた。そして1本ようやくのると、すでに沖へ戻る体力はなかった。結構な時間をかけて、1本だけ波に乗ってその勢いに任せて岸に向かう。それも月に1回も行っていない。昨年は週に2~3回海に行ってのと比べると大きな違いだ。

 

でも、体調不良のお陰でさまざまなことを学んだ。食のこと、東洋医学のこと。

さまざまなものを試しているうちにいろいろなことに気付かされた。

どうやって自分で自分自身を直す力を養うのかということ。

もちろん西洋医学で痛みや苦しみを和らげてもらうというのは悪いことではない。ただ、病気によっては、単に薬で抑えこんでいるだけで、抑えこんでいる間はいいのだけれど、抑え込めなくなった時にはよりヒドいことになっている。結局自分が持っている力で治さないといけないということを身をもって知った。

そう考えると、まったくもってダメだったかというとそうでもないのかもしれない。

 

 

さて、今年僕のテンションをマックスにあげてくれた出来事はコレだ。

「ももクロ春の一大事国立競技場大会」。

3月15日。(残念ながら16日のチケットは取れなかったので、埼玉の映画館でライブビューイングで見たのだけれど)

本当にモノノフさんたちはいい人ばかりで、隣のカップルの女性の方が始まる前にノド傷めないように飴をくれたり、周りの人と軽く話をしたりしながら開演を待っていた。隣にいる友人はほぼ初めてももクロを見るというか、曲もそれほど知らない状態で座っており、でも周りの熱気にやられてるようでもあった。今、彼は「エセノフ」と呼ばれている。しかも、僕が距離的な問題で行けないももクリに行く(怒)

 

やはり、今年一番の出来事と言えば、『THETHE』の創刊だ。

コンセプトは僕と冥砂さんの好きなもの。

それだけ。それってあまりにも漠然としすぎていて、最初は手探り状態だったが、今ではとても明確になっている。いくどももやりとりの中で共通の感覚が共有出来たのだと思う。

『THETHE』の取材で知り合った人たちは僕に大きな影響を与えてくれた。彼ら、彼女らの生き方や自然や自分との向き合い方はとても刺激的だった。(『THETHE1』で紹介している)

人それぞれの向き合い方を教えてもらい、それらを僕は試してみた。先の体調不良を治すために。いろいろと試していく中で、僕の中でひとつの結論めいたものが出た。

 

「朝早起きして散歩し、晴れている日は朝日を浴びる」

「常に丹田を意識する」

 

このふたつに帰結した。

単純なことなのだが、「常に丹田を意識する」のがまだなかなか出来ないのが現状。だから、ヨガに通うと思っていたのだが、結局それは年明けになってしまった。

 

『THETHE』の創刊の影響はもっとあり、僕の意識が海以外のところへと向いていったことだ。これ以上は『THETHE2』で書いたこととかぶるのでやめておくが、僕の個人的な目標に昔からやってみたかった、富士登山とマラソン完走が加わった。

いずれも腰に問題を抱えているために諦めていたことだった。

FBでも書いたけれど、どちらも多くの人が軽く成し遂げていること。でも、僕にとってはとても大きなことなのだ。

FBで当初掲げた目標のスケジュールは少しだけ変えたけれど、富士登山もマラソン完走も2年後の49歳で成し遂げようと思っている。

そして、初マラソンはホノルルマラソンに決めた。タイムはどうであれ、完走すればいいので、NAHAマラソンよりも制限時間の1時間長いホノルルに目標を定めた。まあ、ホノルルマラソンって聞こえもいいし(笑)ホノルルマラソンを完走するというのが昔からの夢だったし。

富士登山に関しては特に日程は決めていない。とりあえず山を歩くということから始めて、山の楽しみ方を知ることからだろう。多分、僕が想像しているのとは違うだろうし。

 

ここ2~3年ほど腰の治療に集中したり、癒えてからはサーフィンばかりをしていた僕にとっては、今年1年は結構大きな一歩を踏み出した年だったと言えるだろう。

50歳を目の前にしてというのは、ちょっと遅すぎる気もするけれど。

 

というよりも、50歳が見えてきてちょっと焦ったのかもしれない。

そもそも僕は50歳を過ぎたら余生に入ろうと思っていたのだから。でも、それはどうやらムリらしい。

 

(アイドル関係の話はももクロだけで他は割愛させていただきます)

 


1年前の僕のブログ

2014-12-16 18:42:49 | 日記

1年前の僕はブログでこんなことを書いていた。

それをそのまま下にコピペする。一切の直しなしで。

 

タイトル:祖父のこと

 

僕は祖父のことを全く知らない。
父方はもちろん、母方の祖父も。
父は正木家に婿養子として入った。その時すでに祖父はいなく、祖母だけが生きていた。
父方の祖母は、正木家に遠慮していたのか、あまり顔を合わせる機会もなく、
僕が幼少の頃のほんの少しの記憶しかない。
母方の祖母はまだ健在で、3ヶ月ほど前に祖母の半生を綴った本を作ったばかりだ。
今、そのKindle本を出そうと思っているのだが、その夫である僕の母方の祖父について加筆している。

僕は本当に祖父に関する知識が全くと言っていいほどない。
祖母から話を聞いた記憶もないし、今でもほとんど本に書いたという。
子供の頃に母から話を聞いたことはあったが、なにしろ母が小学校低学年の頃に亡くなったので、それほど知っているわけではない。
僕が知っていたのは、祖父は学校の先生で詩人でもあったということだけだった。
母は長生きした曾祖父のことはよく話した。
とはいえ、曾祖父も僕が生まれる3ヶ月前に亡くなったので当然僕は彼のことを知らないも同然だった。
祖父は、僕にとって高校の歴史の教科書に20文字程度で出てくる、絶対に試験には出ないような人物というイメージだった。
つまり、20文字で語れるような人物で、かつ重要性を持たない人物だったということ。

今すぐに見つからないのでどのくらい前だったか分からないが、10数年前に祖父の全詩集が編纂され発売された。
僕も贈呈本としてもらったのだが、それを開くことはなかった。
どうしても読みたくない理由があったのだ。
詳しくは書かないけれど。

祖母の本をまとめる時に初めて彼の詩を読み、彼の人生を調べた。
でも、どこか実態のつかめない人という印象だった。
その本に事実が書かれている。
でも、事実だけではどんな人だったのか分からない。
ただ、子供たちの教育と詩作に人生を注いだ人だということだけは分かった。
そのあふれる情熱は僕には決してまねの出来ないものだった。

彼はとても心の弱い人だった。
その心の弱さを克服しようとせず、その弱さを詩というカタチにすることでバランスを取っていたように思える。
彼の詩はどこか厭世的で、でも何かを鼓舞しようとしていた。
それは、ある種宗教的でもあった。

母が生まれてから、彼の詩は変わる。
僕の母は生まれてすぐに病気をして、そのせいで障害を持った。
当時それはいかんともしがたい障害で、そんな娘を案じながらも優しい眼差しで見つめる、そんな詩が増えていった。
僕はそれを読みたくなかったのだ。

祖父はとても裕福な家庭に生まれた。
でも、それが彼を苦しめた。彼は子供の頃から心に病を持っていた。
というより、裕福であることと父(僕の曾祖父)の生き方を否定していたきらいがある。
曾祖父は想像するに、いわゆる昔の金持ちの放蕩息子という感じだった。
実際、曾祖父の代で正木家の土地は半分に減ったという。
それでも今残っているものを見ると、相当な金持ちだったことが伺える。
そんな父親への反発もあったのだろう。彼は父(曾祖父)とは真逆の道を選んだ。
学校の先生になり、学校に通うことの出来ない子供たちには
道ばたで自作の童話を聞かせながら、いわゆるスラム街に足を運びそこに住む人たちの
支援をしていた。
結果、彼は病気になってしまうのだが、それも承知の上で彼はスラム街に通い続けたのだった。

僕は今Kindle本のために大幅な書き直しと祖父に関する情報を出来限り集め、詩人という生き物とはどんなものなのかを探っている。
僕には韻文というものがずっと分からなかった。
もちろん今は理解しているし、優れた韻文には素直に感動することが出来るが、
昔は一切の興味もわかなかった。

改めて、祖父の詩を読み、祖父と付き合いの深かった詩人の詩を読み、
そこから時代を感じ取ろうとしている。
そう、単なる事実ではなく、その頃の詩人たちが感じ取っていた時代の空気を。

ただ、そうしてもまだ祖父という存在が身近に感じられない。
写真でしか見たことのない人。
伝聞と全詩集に書いてある評伝と郷土史などに数行で紹介されている文章。
彼のことをもっとよく知るためには、もっと深く彼の詩を読み込むしかないのだろう。

僕には韻文を書く能力は皆無だ。でも、韻文を書くこと、韻文でいかにして伝えるのか、
そもそも定型詩ではない自由詩の存在を今僕は考えている。


 

 

実はこれを書いたおよそ1ヶ月後に突然祖母が亡くなった。結局、僕はまだ祖母の書いたものをKindle本にはしていないし、以来本を開いていもいないことに気づいた。もう少し時間を置いてからやってみようと思っている。きっと、この時祖父の詩集も頭のどこかにあったのだろうなぁ。

この年末年始は久しぶりに実家で過ごします。実家で残っている祖父が出版したものを改めてめくってみようと思っています。

そして祖父の詩集は、2015年1月末には発売するつもりです。


無題〜タイトルのつけようのない話〜

2014-12-15 01:33:07 | 日記

ちょっと書き散らして、このままになっているものを整理しようと思ったらあまりにも多くてあきらめた。書いたけど、アップしなかったブログや意味もなく書いた文書、途中てまやめてしまった文章など。Appleのpagesで書いてiCloud Driveで共有しているので、どこかでの待ち時間や家でふと思いついてiPhoneやiPadなどで書き留めたものがズラリと並んでいる。

その内容は様々なのだが、仕事で使えそうなものは全くなかった。残念ながら。

多かったのは思想哲学関連の本を読んで思ったことだった。それが様々な例に置き換えて書いてあった。もちろん、アイドルもそのうちの一つではあったが、時のブームに関する話がほとんど。

ちゃんと読んではいないが、何もこれを僕が言うまでもないかと思ったのだと思う。

意外だったのは、政治的な話も多かったこと。新聞を読んだり、ニュースを見たりして思ったことを書き留めていた。

 

 

これまで、ブログ自体がメモ的な役割だったのだけれど、ありがたいことに読んで下さる方がいつの間にか増えていた。そうなるとつい考えてしまう。読む人がいるならちゃんと書かないとと。始めた頃は、読む人などいないという前提で書いていたので誤字脱字があろうとお構いなしだったし、論理が破綻しててもこのままにしていた。

とりあえず、書いてアップするだけで完結していたのだった。

まぁ、そもそもブログが公開された日記と考えるならばそれで十分なのだけれど、読む人がいるとなぁ……。

 

つい反感を買いそうなことは慎んでしまう。書くには書いたけど、そのままと……。誹謗中傷しているつもりはなくとも、そう取られかねない内容だとアップは控える。まぁ、炎上するほど読んでいる人がいるわけではないので、そこまで神経質になる必要はないのだけれど。

正直、これも何か目的があって書いているわけではなく、待ち時間の暇つぶしに書いている。

 

最近、アイドル論とかオタク論的のようなサブカル的な本を読んでいる。なぜかと言うと、サブカルという言葉があまり好きではなかったからだ。その理由は分からなかった。どうも受け付けないという感じで。

昔のカウンターカルチャーのように、のちにメインカルチャーを凌いでしまうようなチカラを持っているとは到底思えなかったからだ。言い方は悪いけど、隙間産業的な感じが僕の中ではあった。まぁ、ある意味では隙間産業で間違いないけれど、どうも今は隙間ではない気もする。かと言って、それほどの影響力を持っているとも思えなかった。

 

そんな僕が、突然《ももいろクローバーZ》にハマった。彼女たちについて書かれたもののほとんどが[僕がどうも信用出来ないと思っていた]サブカル的なアプローチで書かれていることが多かった。それが僕を混乱させた。とっても好きなのに、人からどこがいいの?と聞かれるとキチンと答えられなかった。そして、とりあえず他の人が言っていた言葉をそのまま貰ったりしていた。

とりあえず答えてたのは「元気になるから」とか「パフォーマンスにやられた」とか。確かにそうなのだけれど、それだけじゃないのは確かでパフォーマンス的なことを言えばいくらでももっと上手い人はいるし、元気にしてくれるのは何もももクロだっけじゃないし。でも、こんなにハマるなんて……と思ったりもしたものだ。とりあえず出た答えは「好きなものに理由なんかいらない」ということだった。

 

と、これも書き散らしていたもので、そのまま放ったかされていた文章なのだが。

あとから読むと一体何を書こうと思った? と自分に問いたくなるような内容だ。意味分からん。と、こんな風に僕の頭の中はいつもいろいろなことが浮かんでは消え、消えては浮かんでを繰り返している。

これが書かれた日付を見ると、多分、病院の待合室かどこかで書いたに違いない。多分、前に書いているようにiPhoneかiPadで書いていると思う。

まあまあ、そこそこの長さ書いているから、20分くらい待っていたのだろうと推測される。

昔もいろいろなことを考えていたのだと思うけれど、それをすぐに紙とペンを出してメモするというようなことはしたことがなかった。しておけば面白かったのにと思うけれど。もちろんガラケーの時代もそんなことはしていない。そんなことをし始めたのは、キーボード付きの携帯が発売されてからだ。新しもの好き、ガジェット好きな僕はすぐに機種変更をしてキーボード付きの携帯にしたし、それが2年の契約が終わらないうちにiPhoneが発売されてすぐに変えた。ずっと外で原稿を書いて、すぐにメールで送ることが出来ないかと思っていて、最初に自分で購入したパソコンもいわゆるA5サイズのパソコンだった。まだ会社員だったので、そんなものは必要もなかったのだけれど、買ってしまった。持ち歩くのだけれど中々使い道もなく、会社で使っていたのはMacだったしと。まあ、メールと会社に黙ってやっていた原稿書き(無記名)くらいにしか使っていなかった。それがiPhoneの登場ですっかり変わった。まだ最初の頃は今ほどアプリが充実していたわけでもなく、そもそもどんなアプリを使ったらいいのか分からなかった。あの頃は、随分とお金を使った気がする。

でも、今のようにiWorksで作ったデータが、iCloud経由でMacともiPadとも共有出来てしまうと、好きな時に思いついたことを書き留めてということがとても簡単になった。紙よりも紛失の可能性は低いし。

そんなわけで、上のような書き散らした文章がたくさんあったりするわけだ。

 

 

話は随分と変わるけれど、今、なぜ上の文章を出してきたかというと、ももクロの武蔵野美術大学でのイベントのUstの録画放送を見たからだ。そして、これを見つけた。

ずっと見たかったのだが、2時間半以上もあるイベントで、基本トーク。

にしても、クリエイターを招いて話を聞くというイベントによくももクロを出したなと思うのだが、マネージャーはもちろん、意外とももクロの周囲の人たちが出てくるので、プロデュースをするということがどういうことなのかが結構きちんと語られていたりしていた。

さすが、この先生、ただのモノノフじゃないなと思って感心した。きちんと学生たちのためになるような話に落としこんでいた。多分、ライブで見ていたら、ただのデレデレしたオヤジだなとしか思わなかっただろう。2時間半も人の集中力は続かない。僕は録画を見たおかげで、止めては見てというのを繰り返した。

まあ、選挙の結果も分かってはいるものの、やはりちょいちょい気になる。選挙の開票結果を見ては、ももクロに戻るというのを繰り返していた。

そのうちにUstに釘付けになるのだが……。

 

それにしても、知ってはいたし気づいてもいたけれど、ももクロの周りのスタッフはスゴいなあと思った。そりゃ、他のアイドルとは違うわ! と改めて思った。

川上アキラというマネージャーはスゴいなと。

 

と、そんな話をずっと聞いていると、川上アキラマネージャーの過去の話がちょいちょい出てきた。沢尻エリカを担当していたというのは知っていたけれど、安藤政信の担当をしていたと言う。話の流れとしては、今度ももクロが主演する映画「幕が上がる」の監督である本広克行との出会いの話をしていた。その映画が「スペーストラベラーズ」という映画で、その時に安藤政信の現場担当をしていたということだった。

「ん? 待てよ」とすぐにググってみた。

2000年の映画だった。彼の出た映画をウィキペディアでザッと眺める。おそらく間違い。

どうやら僕は川上アキラマネージャーに会っているはずだと気づいた。

というのも、ちょうどその頃に安藤政信の撮影をした記憶があるからだ。スタジオで撮影だったと思う。で、現場担当マネージャーなら来ているはずだ。

 

正直、記憶にはまったくないけれど、おそらく名刺交換くらいはしているはずなのだ。

 

 

「だから?」って話なのだけれど、ちょっとだけ一人で盛り上がってみた(笑)


選挙前日に思ったこと……、やるせない気持ち。

2014-12-14 07:53:43 | 日記
なんだろうか?
この違和感は。
今回の選挙の状況はなにかおかしい。
世間に漂う異様な雰囲気。
只ならぬ様相が人々を狂気に駆り立てているようである一方で、
何事も起こっていないような、蚊帳の外に多くの人々がいるようにも見える。
これまで「選挙に行こう」というスローガンが叫ばれたことがあっただろうか?
政権交代の時はそこまでの危機感はなかった。
あの時に「選挙に行こう」は何か新しい時代が到来するんじゃないかという期待感に包まれていた。
まあ、その期待に裏切られたという思いが今の事態を生み出しているのだが。
今回のそれはまるで違う。
異常ともいえる危機感を感じる。
危機感を抱いている人たちの思いが一方通行で、それを受け取る人がそこにいないという感じだと言ったらいいかもしれない。
受け取って欲しい人たちにその声が届いていないように感じられて仕方がないのだ。
届いているという感覚が得られないから、届けようとする人たちはもっと声高になる。
そして口調は激しくなる。
でも、届かない。

僕だって、今のままでいいとは全く思わない。
でも、発言しようとすればするほど無力感に苛まれるのだ。
白票を投じるなどとバカなこと言う人まで出てくる始末だ。

テレビのニュースで見る世界と新聞で読む世界とネット上で見る世界がどうしても僕の中で一致しない。

もちろん僕は投票に行くし、自らの立ち位置も決めてある。

でも、仮に沖縄1区で僕が入れた候補者が当選したとしても素直に喜べるだろうか? と思ってしまう。

正直な話、どの情報も操作された情報というか、プロパガンダにしか見えず、すでに昨日の話になってしまったが、街頭演説をしているところにたまたま通りかかったが、その悲壮感たるやこれまでの選挙では感じられなかったものだった。確かに人が声を枯らして絶叫して感情に訴えるという手法はあるけれど、それもとてもうそ臭く感じてしまう。

そもそも今回の選挙が何を問うているのかが全く理解出来ないまま、投票日を迎えようとしている。(沖縄に関しては他都道府県とは違う争点があって、その点だけは反対の立場同士の闘いになっているけれど)

経済問題は確かに大切だけれど、それだけが問題ではないし、切実な問題である原発再稼働も新聞の調査によると思いの外に拮抗している。かろうじて反対派はほんの少し多いという程度だ。

話しは大分それてしまったが、蚊帳の外の人たちはどう行動するのだろうか?それを考えるだけで、憂鬱になる。
先ほどに書いたように、おそらくその人たちには多くの人たちが新聞や雑誌で書いていたり、ネットで配信しているブログやSNSなどの声は届いているとは思えないから。

じゃあ、一体どうすればその声は届くのだろうか?
僕の足りない頭では、その方法は一切思いつかない。
書けば書くほど、語れば語るほど遠ざかっていっているのような気がしてならないのである。


かなりヒドい文章だが、これが今の偽らざる気持ちだ。


選挙当日に思うこと。

2014-12-14 02:31:54 | 日記

なんだろうか?

この違和感は。

今回の選挙の状況はなにかおかしい。

世間に漂う異様な雰囲気。

只ならぬ様相が人々を狂気に駆り立てているようである一方で、

何事も起こっていないような、蚊帳の外に多くの人々がいるようにも見える。

これまで「選挙に行こう」というスローガンが叫ばれたことがあっただろうか?

政権交代の時はそこまでの危機感はなかった。

あの時に「選挙に行こう」は何か新しい時代が到来するんじゃないかという期待感に包まれていた。

まあ、その期待に裏切られたという思いが今の事態を生み出しているのだが。

今回のそれはまるで違う。

異常ともいえる危機感を感じる。

危機感を抱いている人たちの思いが一方通行で、それを受け取る人がそこにいないという感じだと言ったらいいかもしれない。

受け取って欲しい人たちにその声が届いていないように感じられて仕方がないのだ。

届いているという感覚が得られないから、届けようとする人たちはもっと声高になる。

そして口調は激しくなる。

でも、届かない。

 

僕だって、今のままでいいとは全く思わない。

でも、発言しようとすればするほど無力感に苛まれるのだ。

白票を投じるなどとバカなこと言う人まで出てくる始末だ。

 

テレビのニュースで見る世界と新聞で読む世界とネット上で見る世界がどうしても僕の中で一致しない。

 

もちろん僕は投票に行くし、自らの立ち位置も決めてある。

 

でも、仮に沖縄1区で僕が入れた候補者が当選したとしても素直に喜べるだろうか? と思ってしまう。

 

正直な話、どの情報も操作された情報というか、プロパガンダにしか見えず、すでに昨日の話になってしまったが、街頭演説をしているところにたまたま通りかかったが、その悲壮感たるやこれまでの選挙では感じられなかったものだった。確かに人が声を枯らして絶叫して感情に訴えるという手法はあるけれど、それもとてもうそ臭く感じてしまう。

 

そもそも今回の選挙が何を問うているのかが全く理解出来ないまま、投票日を迎えようとしている。(沖縄に関しては他都道府県とは違う争点があって、その点だけは反対の立場同士の闘いになっているけれど)

 

経済問題は確かに大切だけれど、それだけが問題ではないし、切実な問題である原発再稼働も新聞の調査によると思いの外に拮抗している。かろうじて反対派はほんの少し多いという程度だ。

 

話しは大分それてしまったが、蚊帳の外の人たちはどう行動するのだろうか?それを考えるだけで、憂鬱になる。

先ほどに書いたように、おそらくその人たちには多くの人たちが新聞や雑誌で書いていたり、ネットで配信しているブログやSNSなどの声は届いているとは思えないから。

 

じゃあ、一体どうすればその声は届くのだろうか?

僕の足りない頭では、その方法は一切思いつかない。

書けば書くほど、語れば語るほど遠ざかっていっているのような気がしてならないのである。

 

 

かなりヒドい文章だが、これが今の偽らざる気持ちだ。