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日々あれこれ思いつきメモ

日記というよりもメモ? そんな思いつきを書いただけ……。

原稿を書こうと思うと……。

2014-11-29 10:34:00 | 日記

さて、原稿を書こうかとMacを立ち上げて、椅子に座った。

もう、頭の中ではほぼ出来上がっている。

今回は『『THETHE』のために2本の原稿を書こうと思っていて、その2本とも何を書くか、どう書くか、出だしの1行まで頭の中では仕上がっている。

なのに、こんな全く関係ない文章をこうして書いている。

 

なぜか?

 

多分、それでは何かが足りないと感じているからだ。

だったら、書いてそれを直せばいいじゃんと思うのだが、どうもそういう気分になれない。

 

僕は祖父の詩集の編纂のために、毎日祖父の詩と対峙している。

それだけではなく、これまで全く読むことのなかった詩というものを何冊か購入して読み比べたりもしている。

すると、祖父も含め詩を書く人たちの、一言、一文字に対する執念のようなものを感じてしまう。どうやって、この言葉を出してきたのだろうかと、そんなつまらない質問をしたくなる。

 

僕は最初の1行が決まればあとはサラサラと書いてしまう。

だから、最初の1行が出て来ればあとは早い。

それが1万字であろうと2万字であろうと造作もないことだ。

もちろん、途中で止まることもあるが、それだって文章のつながりを考えるだけで、言葉そのものに迷うことはほとんどなかった。

時に、めったに使ったことのない言葉が頭に浮かんだ時は辞書を引き、使い方に間違いがないかを調べる程度。

 

このところ、詩を読んでいるせいか、頭のどこかで自分でも書いてみたいという気持ちが出てきている。

実際に書いてみたこともあるが、まったくもって詩として成り立っていなかった。

形としてはちゃんとした韻文になっているけれど、なんとも薄っぺらい。

一文字、一言に魂というか、心というか、そんなものがまったくこもっていない。

やっぱり僕には詩は向いていないのかなと思いつつ、書いていってみようかなとも思っている。

いずれ気に入ったものが書けたら発表しようかと。

 

と書いている間もの、ひとつの詩が頭の中をぐるぐる回っている。

とりあえず、これを記録だけして、それから本格的に原稿に入ろう!



PS.

上げる前に読み返したら、話が変わっている。

まったくもって論理的でもなんでもない。

けど、今そんな気持ちなんだろうなぁ。

きちんと論理的に整理されたものに気持ちが向いていないのかもしれない。

でも、読む本はそんな本が多いんだけど。多分、本が解決してくれているんだろうな。

だから、自分が書こうとするとき、気持ちの向くままに書いているのかもしれないな


腑に落ちた‼️

2014-11-21 21:49:25 | 日記


昨日はいろいろなことが腑に落ちたというか、合点がいった1日だった。
いずれもつまらないことで、ほとんどの人にとってはどうでもいいことなのだけれど、
自分の中で疑問に思っていたこと、合点のいかなかったこと、どうにも納得のいかなかったことか一気に腑に落ちた。

別に1日中何かを考えていたわけではない。
「これって、こういうことだったもかな?」とか、「あれはそういうことか!」ということが頭にふっと浮かんでは消えていった。
何度も何度も。
しかも、すべてが関連性のないようなことが。
頭に浮かぶことに一貫性がない。
あっちこっちと思考が飛んでいく。

そんな夜、三線の稽古の時だった。
「谷茶前」という曲を練習していた時、ふと疑問が湧いた。

「なんちゃむさむさでぃあんぐぁーそいそい」という琉歌の後につづく囃子のようなものの歌詞の意味について。
それまで、特に疑問を持たなかった。
この囃子には別のバージョンがある。
「なんちゃましましでぃあんぐぁーそいそい」というもの。
違いは、“むさむさ”と“ましまし”。

このことを先生に聞いてみた。

「これは、『波がざわざわしているから、あん小(女性)たちがそわそわしている』という意味さ」とおっしゃていた。
だから、先生はむさむさの方じゃないと意味が通じないとおっしゃっていた。

まあ、僕はましましでも何となく通じそうだけどとは思ったが、そんなことはどうでもいい。
多分、反論する人もいると思うけれど。
とにかく、その時いろいろなことがストンと腑に落ちた。
その感覚をどう表現したらいいのか分からないが……。
大げさに例えるならば、アルキメデスが【アルキメデスの原理】を発見した時に叫んだと言われている、「ユリイカ!」って気分だった。

もちろん、何も発見してないけど。
でも、そのくらいに腑に落ちたのだ。
その時は……。

今、何が分かったのかすら分かっていないのに、何故か気分がスッキリとしている。
何かが何なのかはもはやどうでもいい。
僕は何かを発見した。



祖父の詩の出版に思うこと~編集者として、孫として

2014-11-19 15:57:46 | 日記
今日は外でいくつか用事があり、Macを持ち歩いて空いた時間にカフェなどで仕事をしている。
外で出来ることは限られていて、主に祖父の詩のデータ化をやっている。
外で祖父の詩を読んでいると、家の中で読んでいる時とはまた違った印象を受ける。
彼の詩は外、つまり自然の中で自分を自然の一部として感じ、または天からの授かりものと感じているようなものが多く書かれている。
時に自らの境遇を嘆く女々しい(孫だからこの表現を許してほしいのだが)作品もあるが、
とにかく彼は森羅万象の何かを掴んでいたように思われて仕方がない。

彼は33歳という若さでこの世を去った。
すでに僕は彼よりも14歳も年をとった。
彼の作品の多くが20代後半に書かれたことを思うと、驚くばかりだ。
僕はまだ彼の境地の入り口にも達していない。
ようやく入り口が見えてきたかな? というところだ。
おそらく、僕の今世では彼の到達した境地の入り口にたどり着けるかどうかといったところだろう。

それは仕方のないことだ。
僕は彼のような人生を送っていないし、彼とはまったく境遇が違う。
戦争を経験していないし、子を持ったこともない。
母という存在を介して繋がっているだけだ。
彼のDNAの痕跡が僕の中に見られるかもしれないが、それはただの痕跡でしかなく彼の本質を受け継いでいるわけでもないのだから。

それでも彼の詩を読んでいると、やはり特別な思いがこみ上げる。
会ったこともない人間で、ほとんど彼の話を聞いたこともない。
なぜなら母が小学1~2年の時に亡くなったのだから。
母から聞くのは曽祖父の話の方が圧倒的に多かった。
祖母はほとんど彼のことを語らなかった。
そもそも僕が彼のことを尋ねたことはほとんどなかった。

今こうして、ある程度大人になって(精神的な部分ではまだ子供かもしれないが)、彼の詩に接した時に、彼が言ってることが直接的に伝わってきたような気がしている。
多分、時期が来たのだと思う。
『THETHE』を立ち上げた当初、僕の中で彼の詩を編纂するという考えはなかった。

何があったのかよく覚えていないが、ある日何かのニュースをみた時に、
わけのわからない何か閉塞感にような、いや違う、身に迫る危険のような、そんなものが僕の周りを包み込んだ。そんな気がした。
突然彼の詩が頭に浮かんだ。
確か、こんな詩があったような気がすると。
それが確か「とかげ」か「調和した風景」という詩だったように記憶している。

今これをみなに読んでほしいと思った。
自分のFacebookのタイムラインを見ればどの詩だったかわかるのだが、ちょっとそれをする気にはなれない。

その時のニュースがどんなものだったのかも思い出せない。
ただ、読んでほしいという気持ちだけが僕の中に残っている。

そして、『THETHE』を一緒に作っている藤代冥砂氏に読んでもらい、『THETHE』から電子書籍として出すことになった。
彼の詩集が増刷されることはありえないし、そもそも3,800円もする代物だ。
多分、僕なら買っていない。誰かも知らない詩人の詩集など。
彼の詩集はもはや僕の手元に1冊、実家に2冊残っているだけだ。
弟と妹がちゃんと持っているか保存しているのかどうかもわからない。

いくら彼のことは知らないと言っても身内のものを出すというのは少々気恥ずかしい気もするが、今という時代にこそ読んでほしいと思っている。

それが今の僕の偽らざる気持ちだ。

ひとりあそび

2014-11-16 00:28:15 | 日記

ちょっとした遊びというか実験というか……。

 

何も発信をする気もないというこのブログでさえ、何かネタがあって初めて書こうと思うものだ。それは当然のこと。だって、書くことがなければ何も書こうなんて思うはずもない。

でも、日々何かを考えている自分がいるのも事実で、何かを考えながら忘れていく。

その中で残ったものを書き留めて、時に本や雑誌のテーマになったりしていた。

僕は編集者だから、文体を気にしながら何かを書いていた。

その雑誌に合うようにとか、テーマに合うようにとか。

だから、特に僕の文体というものは存在しない。

特に記名ではない原稿を書く時は、出来る限り個性を消そうと思っていた。

だって、記名原稿でないものがやたら主張していたら、「お前誰だよ」って思ったりしたから。

だから、自分はそういうものは出来る限り書かないように心がけていた。

記名原稿の時も、あくまでも自分は編集者という立場を捨てられず、どこかで抑制をしていた気がする。

ふと、昔書いた原稿なんかを目にした時、「結構よく書けてるじゃん」と思う一方で、「めちゃくちゃカッコつけてるよな」とも思ったりする。

まあ、カッコつけないといけない内容だったりするからそう書いているんだけど、これが本当に自分の文体かというと、……? と思ってしまう。

確かにカッコつけた文章は書き慣れているから、実は楽に、早く書ける。ほぼ考える間もなく一気に勢いで書けてしまう。

その反対に説明的な文章はちょっと苦手だったりもする。苦手というか、時間がかかるし、ものすごく考えて書く。

まあ、慣れの問題なのだと思うのだが。

 

随分と前書きが長くなっているが、これも実験のうちに入るからいいのだ。

ちょっと遊んでみようと思ったのは、特にテーマもなく、何か考えていたことでもなく、とりあえず思いつくままにキーボードを叩いてみたらどんな文章でどんな話になっていくのだろうかという、ごく個人的な遊びだ。

流されるままに書いてみようという試み。

ブログだから出来る遊びだ。

 

と書いたところで、いきなりペースが落ちた。

何せ何を書こうかなんて決めていないのだから、当然のこと。

今、僕は珍しくハワイアンを聞きながらこれを書いているのだが、やっぱり僕が最終的にというか一年くらいでいいのだけれど住んでみたいのはハワイだ。

ただ、何せ英語を話すことが出来ない。

何度、スピードラーニングをやってみようかという誘惑にかられたことか。

いくら日本語が通じると言っても、さすがに暮らすとなるとそれはムリ。

そもそもワイキキに住みたいわけでもないし。

ハワイで一生を終えたいというわけではないけれど、ハワイに住むという経験をしてみたいと思っている。

もちろん、3ヶ月観光で滞在することは出来るから、それでちょっとくらいは住んだ気になるかもしれないけれど、ハワイの1年の移り変わりを肌で感じてみたい。

生活を肌で感じるということは、遊んでいるだけじゃダメで、普通に仕事をしてご飯も作ってっていう日常に浸からないといけない。

それには、やはり言葉は大事だ。

まあ、余生(すでに余生のつもりなんだけど)の後半にとっておこう。

それまでに、ちょっとちゃんと英語を勉強し直すか。

 

今でこそこんなことを言っているけど、昔はハワイに行ったことのない人にハワイのどこがいいのと聞かれた時、僕はこう答えていた。

「ハワイは何もしなくても楽しいし、何かしたければ何でもある」と。

これってワイキキだけの話で、ハワイの雰囲気に酔っていただけの話だった。

でも、今はちょっとだけものを知ったからか、ちょっとだけ大人になったからか、

そうじゃないんだということが分かったんだと思う。

 

 

BGMがボサノバに変わった。

ボサノバはもちろん、ブラジル音楽にはめちゃくちゃハマって、今でも長く聴き続けている音楽。確か、最初は小野リサのCMソングがきっかけだったと思う。

まだ社会人になりたての頃で、ちょうどワールドミュージックというジャンルがが日本で確立した頃の話。

流行りにのっかる僕は、そんなワールドミュージックというそれまで自分が聞いたことのなかった音楽を片っ端から聞いた。

あの頃、どれだけCDを買ったか分からない。

バリの音楽も聞いたし、レゲエのフェスには通ったし、アフリカのミュージシャンもいろいろ聞いた。結果未だに聴き続けているし、今でも買ったりするのはブラジルの音楽だ。

何がいいのと聞かれても困るのだけれど、多分の僕のペースに合っているような気がする。

ブラジル音楽(ハードなミクスチャー系とかは除くけど)は唯一聞きながら仕事の出来る音楽で、仕事が捗る音楽でもある。

 

そう言えば、昔ファッション誌の編集部にいた頃、夜中にリトル・テンポを聞きながら仕事をしていた。まだ、編集部にはたくさん残っていて、僕はちょっと離れたパソコンのあるところで(当時はまだパソコンというものが編集部に1台しかなく、手書きで原稿を書いている人もいれば、ワープロで原稿を書いている人がいた時代)原稿を書いていた。

ちょっと離れているからいいかと、イヤホンとかなしでCDをかけていた。一応気を使って小さな音で。

すると、急に編集長から呼ばれた。

僕はすぐに「すみません、すぐに消します」と言ったのだが、編集長は「正木君、それはなんていう音楽なの」と聞かれた。

基本的に音楽に興味のない人だったので、その言葉にはとても驚いた。

うるさいって怒られるものとばかり思っていたので。

 

ブラジル音楽とは関係ない話だけど、仕事と音楽という意味では未だ忘れられないエピソードだ。やっぱりいいものはって興味のない人にも響くんだなと。

 

せっかく音楽の話になっているので、得意のアイドルについて。

この流れなら、気持ち悪いって思われないかもとちょっと思いつつ。

 

だったら、音楽も変えちゃうか。

ということで、今日本よりも海外で注目度の高いアイドル2組について。

あ、僕はあくまでもももクロが一番好きなのですが、そこからいろいろなアイドルに興味を持ち始めたのです。

音楽にしても何にしても、ハマると追いかけないといられない性分でして。

ビーチボーイズに関しては自分で本当に深く深く掘り下げていったし、ビートルズについては詳しい先輩にいろいろと教えてもらった。

 

で、今かかっているのがBABY METALという3人組のアイドルグループ。

彼女たちはレディー・ガガのワールド・ツアーのオープニングアクトに指名されて、世界を回ったというグループで結構評判が良かったらしい。

らしいというのは聞いた話だから、らしいとしか言えない。

名前にMETALと付いているので容易に想像がつくだろうが、アイドルとヘビーメタルの融合がテーマのグループだ。その親和性については、マーティ。フリードマンが熱く語っている映像がYOU TUBEで流されているからそれを見ていただきたい。興味のある方は。

彼女たちは昨今のアイドルの中では珍しくビジュアルのイケてる。3人とも可愛い。まあ、それほどじっくりと見たことないけど。写真を見る限りでは。で、しかもまだ少女の顔でメタル的にアレンジされた歌を歌うから面白い。

ちゃんと歌も歌えてる。METALを歌うには相当な歌唱力が必要だ。

それが海外で認められた(と言ってもどれだけの人たちが認めたのかは分からないけれど、

こういうのキャップ萌っていうんだっけ? あんまり言葉を知らないもので。

でも、サイトを見ると最近もアメリカとイギリスでライブをやったようだ。

詳しいことは知らないので、語れないのだけれど面白いグループだ。

 

2組目はBABY METALとは真逆と言ってもいいグループ。

こんな事を言うとファンの人たちに袋叩きにされそうなのだが、決して可愛いとは言いがたいグループだ。

でも、気になって仕方ないというグループで、今結構ハマっているグループだ。

どうも語彙不足で褒め称える言葉が思いつかない。

このグループの名前は何となく知っていた。でも、興味が沸かなかった。

ももクロにハマってから、「ももクロChan」という番組を見るようになってからだ。

沖縄ではテレ朝系の局では残念ながらこの番組は放送していなくて、BS朝日で10日遅れて放送される。土曜日の深夜。正確には日曜日の早い時間。

なので、録画をして見ているのだが、最近よくある「このあとは◯◯」みたいな番組の宣伝があるけれど、ほぼ毎回「でんぱの神神~」と6人組の女の子(子というにはちょっと……)がどこかのライブ会場で叫んでいた。

毎週のようにそれを見ていると、さすがに気になる。

でも、どう見ても可愛いとは言いがたい。一人をのぞいて。(これは個人的な好みの問題なのでファンの方々、許してください)

それでは、見てみるかとそれも録画するようになった。

 

 

少しばかり時間が経ってしまった。

夕方に書き始めて途中中断して、夜中になって再開。

 

話はアイドルのことだったな。

もう「でんぱの神神」と番組名を書いてあったので、そのアイドルとはでんぱ組.incというグループのことだ。

直前の部分だけ読み返してみると、一生懸命オブラートに包もうとしているけれど包みきれていないな。

以前に2回ほどでんぱ組.incに関して書いたことがあったのだけれど、どう読んでも反感買うなと思ってブログに上げるのをやめたことがあった。

でも、結局一緒だ。

結論から言っておこう。

癖になる可愛くはない人、う~んこれではさっぱり分からんか。

可愛いとは言えないけれど見ていると癖になってしまうのが、でんぱ組.incというグループだ。

そして、知れば知るほど癖になる。

まるでスルメのような。

昔、「美人は三日で飽きるが、☓☓は三日で慣れる」と言ったものだが、

これは慣れるどころではない。癖になるのだ。

これってスゴいことだと僕は思っているのだけれど……。

ただ、曲はCDで聴いた方がいいかも。

ライブはパワーがあっていいのだけれど、DVDなどで見てしまうとちょっとなって思ってしまう。多分、ライブという生で見るのが一番なグループだと思う。周りの熱気を受けて一緒になって楽しむというのが正しい「でんぱ組.inc」の楽しみ方なんだろうなと思う。

まだ成長過程というか、歌も踊りもあとちょっとという感じがするのだけれど、でも癖になる。

何が癖になるのというと、彼女たちの出自を知れば分かるはず。

いちいち書かないけれど、「WWD」という曲を聞くか、もしくはググればすぐに分かる。

ザ・秋葉原なのだ。

「WWD」の中に「マイナスからのスタートなめんな~」という歌詞があるのだが、それがすべて。

興味のある人はぜひ聴いて、ググってみてください。

まあ、興味のない人はすでに読んでいないと思うけど。

 

ももクロに関しては何も書くことありませんし、言うこともありません。言うまでもないと思っているので。

 

 

さて、改めて書き始めたので、BGMを何にしようかちょっと悩む。

ってラジオかいっ!とノリツッコミでもしてみるが、面白くもないな。

どんどん文体が崩れていっている。自分では面白い。

これぞ一人遊び。

これぞ自己満足の世界だ。

 

 

そんなわけで、先月友人からもらった「ポニーテールリボン」でも聴いてみる。

いや、さすがに夜聞く曲でもないな。

面白いけど。

 

なんかこんなの読んだことあるぞ。

某芥川賞受賞作のようだ。

でも、内容は全然ない。

雰囲気だけというか。

その影響でもあるのかな。

でも、あれ読んだの去年のことじゃないか?

書いているうちに思い出したのか?

 

そう言えば、昔ある先輩に文章が上手くなりたかったら好きな作家の本を一冊丸ごと書き写せと言われたことがあった。もちろんそんなことは聞き流したけれど。

だって、好きな作家のように自分が書きたいとは思わないし、そもそも書けない。

仮に書けたとしても、その以上のものを書くことは出来ないわけだし、ただのコピーだ。

ちなみに当時好きだった作家と言えば、村上春樹、ポール・オースター、スティーブ・エリクソン……。

分かる人には分かる並びだと思うけど。

現代アメリカ文学に関係している人たちだ。ちなみに柴田元幸さんも好きで、一度原稿を書いてもらったことがある。面白かった。

柴田さんで思い出すのは、年末ギリギリで明日から正月休みに入るという日にようやく電話で原稿をお願いしたように記憶している。

周りの人たちは大掃除をしていて、どこか慌ただしく、どこか浮かれたような雰囲気で、騒々しかった。その中で、近くにいる人に静かにしてくれと言って、電話で話していたのを思い出した。

本当に今思い出した。

 

と、そんななか、僕の目の前をちっちゃなやーるーが壁を上っていった。やーるーっていうのはヤモリのこと。よくちっちゃいのがうろちょろしている。

「やーるー」なんて沖縄の方言使っているけれど、別にしゃべることが出来るわけじゃない。

基本的に方言は出来るだけ真似しないようにしている。

だって、ちゃんとしゃべらないと地元の人が聞いたら、ただ気持ち悪く感じるはずだから。

外国人が変なアクセントで日本語を話すのと一緒だ。

外国人が日本語をしゃべる分にはいい。見た目からすでに想像がつくから。

でも、見た目が同じように見える人が変なアクセントや変な使い方で方言を喋られたらいい気はしないだろう。

といいつつ、方言というものは標準語と違って強さを持っているので、自然と伝染っていることが多い。時々、自分が変な言葉をしゃべっていることにふと気づくことがある。その都度反省するのだが……。ただ、沖縄民謡を習っているおかげで、方言は多少分かる。聞いていて、半分くらいは理解出来るし、人が話しているの聞いていても、状況や話の流れなどからほとんど理解出来る。僕は今おばあちゃんの先生にマンツーマンで沖縄民謡を習っている。ワンツーマンのおかげで、細かいことまで質問出来る。この意味は?とか。語尾が違うのはどうして?とか。

そうすると、語尾の違いは敬語であったり、目下の人に言う命令口調だったりと、本でもそうそう解説されないようなニュアンスまで教えてもらえる。でも、それを知るとその歌の意味が一気に分かったりする。なるほどと。とてもいい勉強をさせてもらっている。

何より、先生にある曲をやりたいと言った時、先生はそれはやったことないから待っててと言い、先生が練習してマスターしてから教えてくれた。これってスゴいことだと思う。

先生は「私もこうして勉強させてもらっている」とさらり言ってのける。

やがて八〇歳にもなろうという人が。

 

 

なんでこんな話になったのだろう?

あ、ヤモリのせいか。

もう彼はどこかへ行ってしまった。

 

とりあえず、遊びはここまでにしておこう。

一体、僕はどれだけ書いているんだろう?

何文字だ?

13000字ちょっとか。

思ったほどではないな。

そろそろ飽きてきた、仕事にもどろう。

 

 

 

 

 


Happyな言葉

2014-11-13 10:26:46 | 日記


人生の中で“Happy”という言葉を使ったのは数えるほどしかない気がする。
前に書いたブログの時も自分らしくない言葉だな、と思っていた。
普段なら、“幸福”とか“幸せ”という日本語を使っているはずだ。
でも、何となく今は“Happy”という言葉が合うような気がしている。

今朝のこと。
いつものように朝の空を撮った写真をフェイスブックに上げた。
もしかしたら、「またかよ」と思っている人もいるかもしれないけれど、
それだけは多めにみて下さい。

最近は、個人のFBもこのブログのようになってしまっているような気がする。
何の役にも立たないことばかりで、何の情報も流していないから。
まぁ、そもそもFBを始めたのも、沖縄に引っ越し以来なかなか会うことの出来ない人たちに、
「僕は生きてますよ」ということを伝えるために始めたもの。
そういう意味では、本来の目的である「情報の共有」とかは全く考えていなかった。

話は逸れてしまったが、今朝の話に戻る。
毎日同じような場所で撮った雲の写真やオンの写真に必ずコメントをくれる友達(というより先輩か)がいる。
別に“イイね!”をして欲しいとか、コメントを欲しいとは思っていないのだけれど、コメントを頂けるというのは思いの外嬉しいもの。
情報じゃなくて、感情を共有出来たという気分はこの上なくいい気分にさせてくれるものだ。

で、今朝の写真に対してもコメントを頂いた。
「秋の雲はキレイだよね」という趣旨のことだった。
僕はそのコメントに対して「大好きです。」と返信した。

「大好き」という言葉を自然に打っていた。

それから数分後、「大好き」という言葉を使った自分が「大好き」だと思った。
なんて“Happy”な言葉なんだろう、とも思った。

そして思った。
自分がちょっとだけ成長したなと。

ひと、もの、こと。対象は何でもいい、
「大好き」だと思える、言える何かがあるということの幸せを噛み締めた朝だった。

多分、これ以上に“Happy”な言葉はないんじゃないかな。