
ここ数年、遠く離れた沖縄から東京を眺めていたが、遠くから引いた視線で見ていたせいか、いろいろと感じるものことがあった。
もちろん、ずっと沖縄にいたわけではなく、年に2~3回ほどは帰ってきては1~2週間ほど過ごしたりはしていたのだが、1~2週間では東京のペースに慣れたところで帰るという感じだった。今回は沖縄に越して初めて4週間弱という長期間滞在した。ほぼ毎日都内へ出掛け、何かしらの用事を済ませては帰るという、いわゆる郊外に住んで都内で仕事をしている人たちと同じような生活を送っていた。ただ、違うのは毎日行く場所が違うのと、通勤時間帯に移動していないこと。その点は大きな差だけれど、まぁ東京で働く人たちと同じような生活だったと言っていいと思う。
その4週間弱の間に特別に何かあったわけでもないのだが、遠くから眺めていた東京の姿(それは大きな違和感を伴うものだったのだが)を再確認したと同時に、東京(というよりも日本)の現状を再認識させられた。
東京は良くも悪くも、日本の政治・経済の中心である。それはいくら大阪が都になったとしても変わらないだろう。というのは、東京は世界でも稀に見る構造の首都だからだ。
同じことを、僕は大学生の時に感じた。1ヶ月半ほど、つまりは大学の夏休みにアメリカをバスで旅して思ったのは「東京ってスゴイ」ということだった。後に時代的にバブルの真っ只中だったからそう感じたのだと思い直したのだが、今改めてやっぱり東京はスゴイ街だと思う。
何と言っても、都内に都心的なものが複数存在し、それらはキチンと鉄道網によって繋がっている。江戸のように、都心的なものがそれぞれ何らかの意味を持っていれば理解出来るのだが、特にそれぞれの都心的なものが明確な役割を持っているわけでもなく、特色はあるけれど特別な意味はないという、何とも曖昧な都心的なものがあちこちに点在しているなんていう首都が他にどこにあるだろうか?
例えば、比較的近いと思われる首都はロンドンだけれど、そのロンドンでさえ都心的なものはそれぞれ明確な役割を持っている。
今、この東京の曖昧さが露呈してしまったのではないかと思うのだ。
分かりやすく言えば、丸の内、新宿、渋谷、池袋、上野、銀座……といった昔からの都心と、新しい都心的なものである六本木、台場、汐留などが点在する意味かないのだ。単に集中を避けるためだけに、経済活動の中心である企業が任意に場所を選んでいるという印象がしてならない。
はっきり言えば、そこに計画性が見えないのだ。特に、台場、汐留などは単に空いてしまった土地を埋めるために企業を誘致しただけにしか見えない。もちろん、それぞれの企業は何らかのメリットを感じてそこに移ってきたはずで、おそらく企業として何からの変化はあったのだろうけれども、それで何が変わったのかは外からは見えない。もちろん、見える必要はないのだが。見えないから、ただ空きを埋めただけにしか思えないのだ。
今まではそれでも特に問題もなくやってきた。先に言ったように、キチンと鉄道網で繋がっていて、それはどんどん便利になっているし、街の特色も出てきてはいる。
でも、特色だけでは意味がないのだ。経済的・社会的な役割がその場所ごとに意味付けされなくては。つまりは、必然性ということ。
今は誰もが感じているはずだが、日本の変革期に来ている。曖昧な都心的なもののあり方ではダメなのだ。
あくまでも私見なのだが、もはや日本の全てのシステムは崩壊寸前のように思える。僕が沖縄に居を構える直前にも感じていたが、それは加速していることを感じた。システムの外側はこれまでツギハギをして、時に漏れをふざき、時に溢れるならば壁を高くするなどして何とか繕ってきた。でも、大事な中身は、以前は硬い個体だったものが、融解してしまって液状化してどうにもならなくなっているように思えて仕方ないのだ。
それと同じことが都心的なものからも感じられるのだ。都心的なものという箱の中身がぐちゃぐちゃになっている。曖昧さがより加速していると感じたのだ。首都の構造はその国の構造が反映されているような気がする。あくまでも印象での話だけれど。
そんな融解・液状化は社会システム、経済システム、政治システムすべておいて言える気がする。
別に資本主義社会を辞めろとは言っているわけではない。「新しい資本主義を考えないといけない」と以前北野武ががしゃべっていたらしいが、その通りだと思う。
でも、新しい資本主義とか新しい社会システムなどと言うと、憲法改正などの飛躍した話をする人などもいるが、そんなことではない。もはや中身が液状化したようなシステムなどは捨てて、まったく別の視点から構築する必要があるのかもしれない。
もちろん、それを僕自身が提示出来ればいいのだけど、そんな頭を持っていないのがとても歯がゆい。そんな頭を持っていれば政治家になって、総理大臣でも目指すのだけれど。
正直な話、こんなことを書いても無意味だと分かっている。これを書いたのは新宿で次のアポまで時間があったので、その暇つぶしに書いたもの。この先は後から書いている。アップするのもどうかと思っていたのだけれど、たまたまテレビで見た国会中継の余りの意味のないやりとりを聞いていてアップすることにした。何故あれほど話しが噛み合わないのだろうと不思議に思った。質問になぜ答えることが出来ないのだろうか? あれで国会などやる必要があるのだろうかと思ってしまった。質問を曲解しているのでもなく、無視しているとしか思えなかった。
国会中継なんて普通に働いている人たちは見ることが出来ないと思うけれど、一度見て欲しい。つまらないけど。
アップする前に読み返してみたら、ちょっと論理の破綻があるなと思ったけれど、その場で感じたことなのでそのままアップすることにしました。