期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

台風が行ったらしい

2011-09-22 11:10:36 | 日記
 昨日は予報のごとく台風十五号の直撃に遭い、一日逼塞を余儀なくされた。日中は出て出られない天気ではなかったが、電車が早々とすべて止まったのだからどうにもならない。
 当地は夜になっていよいよ風雨が激しくなった。私の部屋は窓が北向きで、打ち付ける雨の音がうるさくて寝られないかと思った。実際は雨は夜半には止んだらしく、後は何も知らずに寝てしまった。
 しかし風雨が荒れている間は不安なもので、何が心配と言って、今は考査の答案三クラス分を持ち帰っている。私の住んでいる部屋は地勢が少し高いから、まず浸水する恐れはないとして、万一にも窓ガラスが破れて風雨が吹き込んだりして、この答案もろとも水没でもしたらどうするかと思う。
 それであまり意味はないかと思いつつ、答案の束だけは防水袋にしまって寝た。さらに寝床のあるロフトまで持ち上げておこうかとも思ったが、それはそれで何となく不安なので、居間の机の上に置いて寝た。
 朝になってみるとお天気も穏やかになって、この辺りは何ということもないが、テレヴィを見ると県内の被災地ではなかなか大変なところもある。仮設住宅が水没したり、浸水はしないにしても雨が洩る所もある。
 両親も仮設暮らしなので、どうしたかと思ってメールしてみたら、驚いたことに夜更けになって市が差し回したバスで避難していたという。結果的には浸水も何もなかったのだが、周りより低い土地なので、大事をとってというか、心配した人が避難を要請したらしい。
 それで夜の十時頃に近くの公民館に移って、日付の変わる頃に帰ってきたという。老母が言うには、避難しなくてもいいかと思ったんだけど、これが最後のバスですなんて何度もハンドマイクで騒いでるから、普段何も協力しない分こういう時くらいはと思って。ここにいる百二世帯はもう一蓮托生なのよね。
 突然話が変わるようだが、私は子供の頃から今に至るまで、自分という人間は何だか世の中のメインストリームから外れているというか、他の人々とは自然に違う方向へ行ってしまうのは何とも不思議だと思っていたのであるが、これはわが両親もそういう傾向があるのである。今回こうして被災して、私がひそかにいう収容所のような仮設に入れられてみるとよくわかる。何かとストレスはあるであろうと思う。
 そのうえ両親の住んでいる部屋でも、雨漏りというか、換気扇のあたりから軽く水が洩るらしい。なにごとも仮設だから仕方がないと言いながら、悲しいことである。私の住んでいる部屋などは、築二十年の1Kだから茅屋といってよいが、一応はじめからちゃんと人が住む部屋として念を入れて作ってあるだけに、昨夜の嵐でもどこも何ともなかった。
 こうしてみると、仮設住宅と、民間賃貸住宅の仮設扱いでは、居住環境に相当格差があると言わざるを得ない。私など自分自身が恩恵に浴しているから大きな事は言えないが、普通の貸間を借りて、県に家賃を払ってもらった方がいいに決まっている。この制度は震災の後しばらく経ってから導入されたのであるが、仮設の出来ないうちに民間賃貸を借りた人は、あくまで自分で家賃を払える見込みがあって借りたのであるから、放って置いてもまあ良いのである。
 それよりはその家賃補助のお金で、雨の洩らない、もっとちゃんとした仮設を作って頂きたかったと思う。甲斐性のない息子としては親がそんな所に住んでいてもどうしようもない。ホームレス家を買うなんてのは、ありゃ二宮君だから出来る夢物語である。