鶴岡法斎のブログ

それでも生きてます

アルケミーの道程・1

2009-06-28 12:05:41 | 雑記
さてどこから書くべきなのか。
拙作「アルケミーの羊」が張慶二郎さんの画で『別冊パチスロパニック7』(白夜書房)に絶賛掲載中なのでPR的な文章を書こうと思っているわけだが、どうやっていいのかよくわからない。
主観で、思いついた端から書く。そして記憶違いがあったらメールやミクシィ、ツイッターなどでご指摘いただければ幸い。

07年、業界の大先輩であるNさんから連絡があり、白夜書房の人と打ち合わせをしよういう話になった。Nさんが白夜から本を出したいので自分を協力者として使いたい、ということだった。

自分は当時、辰巳出版系列のパチスロマンガ雑誌でヤマアラシの第二部を連載中だった。そしてその第二部が「こちらの計算どおり」終わろうとしていた(実はたった一ヶ所ビックリするような計算間違いがあったのだが、それはもう仕方のないことだ。しかし思い出すとついつい愚痴っぽくなってしまう)。

結局Nさんの仕事は具体化しなかったのかもしれない。少なくとも自分は関わっていない。ただ自分は、ライバル誌として白夜書房のパチスロマンガ雑誌、パニック7を愛読していることを伝えた。そしてそれが本当に面白いマンガが多いことを。挙句にこれは口を滑らせた部類に入るのだが、
「ソボガさんってどんな人なんですか?」と訊いてしまったのだ。
あかいこうじさんのマンガ「沖スロで喰う」に担当編集者として登場して波の荒い沖スロに金を奪われ口ガン開きの姿が自分の脳裏に刻まれている。
いってみればスターなのだ。
しかし向こうからすれば「何だ、この人」だったのかもしれない。いや、きっとそうだ。

ちょうどその頃、辰巳出版の会議室で自分は編集長Iさんと打ち合わせをしていた。ヤマアラシの第三部はちょっと(続投が)厳しいのでは、という話題。向こう話しにくかっただろうなあ。こっちは創刊号から書いているので確かにそろそろ血の入れ替え時か、と思った。仕事がなくなるのはいろいろ不安ではあったが。
感謝しているのはIさんが「いままでのヤマアラシを総括するような読み切りを最後にやりましょう」といってくれた。もう旧い話になってしまうが、そうやって生まれたのが「ヤマアラシ ビギニング&ジ・エンド」(あれ、英語表記だったかな?)だった。
ある楽曲に思いを馳せ、開始、そして終了をイメージした。
「ところでこの前白夜の人に会ったよ」
自分はIさんとの長い付き合いで変に隠すのはよそうと思っていた。
「もし向こうが鶴岡さんを必要としているなら、こちらに義理立てなどせずに、行ってください」と。
Iさんが微笑んだ。自分も無言で笑った。

いくつかの時を経て白夜書房の編集者さんが気を使ってくれて会社である人を紹介してくれるのというソボガさんかと思ったら違った。
パニックの読者なら名前をいっただけでわかるだろう。
銀河番長だった。パニック系列の雑誌を総括している、要するにかなり偉い人だ。
その人と自分はいろいろなことを話した。好きな本のこと、パチスロマンガというどうにもマンガ業界の辺境で原作をやっていることに対しての矜持、自分がいかに物語が好きなのかとかそういうことを話した、気がする。
何しろ自分は舞い上がっていた。その自分の興奮がピークに達する「ある人」が自分の目の前を横切った。
Tさんだった。やはりあかいこうじさんのマンガに出てくる編集者Tさんだった。しかも驚くほどに「似ている」のだった。
「うわっ」と自分は叫んでしまった。自分がどうして叫んだのか銀河番長は理解したのだろう。自分たちのいるテーブルにTさんを呼び寄せた。なんという出会いだ。
「辰巳さんでやられていますよね。○○さんはお元気ですか?」とTさんは聞いてきた。○○さんとは自分がマンガ原作者になるキッカケを作ってくれた当時の編集長。その頃はもうフリーの編集者兼ライターになっていたと思う。自分はそのことをTさんに伝えた。そして気がついたらスロットの話ばかりしていた。
自分が携帯電話のカメラで撮った珍しい出目や液晶演出を見せたりして。
ただこの時、辰巳の連載が終わることを伝えるのは何か違うと自分は思った。

辰巳の連載が終了し、改めて自分は銀河番長にメールした。
「スロットマンガ原作などそちらでお仕事をさせてください」みたいな所謂『営業』のメールだ。
そして返信を見て自分はこの人がどうして銀河番長というあだ名で呼ばれているのか少し理解した。そこには、
「とりあえずキュイン倶楽部のゲストとして出ませんか」と書いてあったのだ。

続く。

そしてこの文章は飯田和敏さんのブログにある「調律への道程」からタイトルをいただいた。コピペとかじゃないよ!

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