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労働価値説と限界生産性賃金説

2010年01月15日 | 経済学

現在では価値を生み出す源が労働であるとする労働価値説は否定されている。しかし、もしそうなら賃金が限界生産性によって決まると主張するのもおかしいことになる。

労働価値説が間違っているとされる根拠の一つが、どのような労働でも価値を生み出すというのはおかしい、売れないような商品、消費者が求めないような商品を作ったとしても労働が投入されているから価値があるというのはおかしいというのがある。

そうだとすると価値の根源は労働などの投入される資源ではなく、何を生産しているかということになる。さらに一般化すればどのような仕事をしているのかによって価値が生み出されるかどうかが決まってくることに成る。だが、そうだとすれば限界生産性は投入されている資源の価格を決定するものではないので、限界生産性によって賃金が決まるのはおかしいということになる。

だから、結局のところ労働価値説も限界生産性賃金説も生産によって生み出される価値が投入資源によって決まるとしている点では同じであり、またその点において間違っているということである。したがって、本当の問題は、労働が価値を生み出すかどうかということではなく、労働でも資本でも土地でもなく、教育や訓練でもない要因が生産物の価値の多くを決めており、それが経済にとって重要なのであるがそれがどのようなものなのか、どのような経済原理に従うのかということである。

これは、歴史的な事実的にも重要である。共産主義は崩壊したが、資本の投入量においてはソ連は西側に劣ってはいなかったし、教育においても劣ってはいなかった。しかしながら、何らかの理由で生産性において共産主義は資本主義に劣り、特に資本の生産性の低さゆえに、長期的には経済が崩壊してしまった。ことことから、資本主義と共産主義とを分けたものは労働でも、資本でも、教育でさえもない何かであったとしか言いようがない。

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