昨日のブロクは力作ではないにしても、眠たいのを我慢して書き上げた "洒落クサイ”文だったのに
写真を入れたくなって、手を加えているうちに 何故か文章・・・それも肝心な部分が消滅して
しまい、どうにも悔しいやら、眠たいやら。 あきらめて寝てしまったが、今日また電脳機の
前に座るとその悔しさがよみがえってきた。
それにしても 面白いのは 一度書いた文章が消えた場合、二度と同じ文章を書くことが出来ない。
(ボクの場合だけれど)
同じことを書こうとする努力が苦痛・・で、さっきとは違うコンテクスト、文脈というより、文流
というものが明らかに違う気がする。
ついさっき書いたことなのに、同じように書けない・・・事は、不思議なことだと思う。我々の
脳はどうなっているのだろうか。
「脳」で思い出したが、先日「それでも脳はたくらむ」茂木健一郎著 を読み終えた。
P-21( 脳に蓄積された記憶は長い年月をかけて徐々に編集され、その中で次第に「意味」がたちあがっていく。
最初から「意味」を与えたり、押し付けたりするのでなく、様々なノイズに満ちた生の体験から、自ずから
「意味」を見出す編集作業こそが、私たちの脳をほんとうの意味で鍛える。)
これは確かにそうだ、五十も最後の数になるほど年をとると、それがよくわかってくる。
例えば、昔撮った写真 ボクが30代の時にニューヨークに行ったときの写真の写脈が今頃になって読めてきた
ということがあった。2,3年前にまとめた「Good-bye New York 1985」という写真は長い間、どうまとめて
いいのがぜんぜんわからずに、20年以上放っておいた写真群であったが、これには何かがあると今頃感じ始め
、その写脈が見えてきた・・・というのも、脳によって徐々に編集され、意味が立ち上がってきたわけだ。
それにしても ボクの場合は 時間が掛り過ぎるきらいがあるが。
写真を入れたくなって、手を加えているうちに 何故か文章・・・それも肝心な部分が消滅して
しまい、どうにも悔しいやら、眠たいやら。 あきらめて寝てしまったが、今日また電脳機の
前に座るとその悔しさがよみがえってきた。
それにしても 面白いのは 一度書いた文章が消えた場合、二度と同じ文章を書くことが出来ない。
(ボクの場合だけれど)
同じことを書こうとする努力が苦痛・・で、さっきとは違うコンテクスト、文脈というより、文流
というものが明らかに違う気がする。
ついさっき書いたことなのに、同じように書けない・・・事は、不思議なことだと思う。我々の
脳はどうなっているのだろうか。
「脳」で思い出したが、先日「それでも脳はたくらむ」茂木健一郎著 を読み終えた。
P-21( 脳に蓄積された記憶は長い年月をかけて徐々に編集され、その中で次第に「意味」がたちあがっていく。
最初から「意味」を与えたり、押し付けたりするのでなく、様々なノイズに満ちた生の体験から、自ずから
「意味」を見出す編集作業こそが、私たちの脳をほんとうの意味で鍛える。)
これは確かにそうだ、五十も最後の数になるほど年をとると、それがよくわかってくる。
例えば、昔撮った写真 ボクが30代の時にニューヨークに行ったときの写真の写脈が今頃になって読めてきた
ということがあった。2,3年前にまとめた「Good-bye New York 1985」という写真は長い間、どうまとめて
いいのがぜんぜんわからずに、20年以上放っておいた写真群であったが、これには何かがあると今頃感じ始め
、その写脈が見えてきた・・・というのも、脳によって徐々に編集され、意味が立ち上がってきたわけだ。
それにしても ボクの場合は 時間が掛り過ぎるきらいがあるが。