皆様、いかがお過ごしでしょうか。
昨日は東京都心でも37度の猛暑日を記録し、夜は蝉も鳴き続けているぐらいの熱帯夜…。
私は一足先に一週間ばかり夏休みを取らせていただき、リフレッシュした気持ちでこの暑さを乗り越えようと思います。
さて、更新が滞ってしまいましたが、今日は先日講師を務めた「ナレッジ・マネジメント」について少しご紹介します。
「ナレッジ・マネジメント」という言葉は聞いたことがあるかもしれませんが、一言で言うと、「暗黙知から形式知に変換し、組織力の向上やサービスの質の向上を図り、高次化するシステム」のことです。
暗黙知とは、文字や図示されていない「明文化」されていない経験値やノウハウ、情報(=ナレッジ)などを指します。
要するに、自身の内に秘めたるナレッジということです。
一方、形式知とは、この暗黙知を他者と共有できるよう文字や図示したナレッジを指します。
この一連の流れを「ナレッジ・マネジメント・サイクル(SECIモデル)」と呼んでいます。

(野中郁次郎他「知識経営のすすめ」参照)
現場における「ナレッジ・マネジメント」の例として、マニュアルや会議など挙げられます。
マニュアルは職員一人ひとりの内に秘めたるナレッジ(暗黙知)を共有できるよう文字や図示したものです(形式知)。
会議も一つの議題について、より良い成果(結論)を導き出せるよう職員一人ひとりの内に秘めたるナレッジ(暗黙知)を言葉や資料にまとめて討議していることでしょう(形式知)。
「ナレッジ・マネジメント・サイクル」でいうと、共同化→表出化→統合化のプロセスを経ているといえます。
しかし、多くの福祉施設では「ナレッジ・マネジメントが十分に機能していない」といった課題の一つとして認識しているのが実態ではないでしょうか。
マニュアルや会議を通して、知らず知らずの内に「ナレッジ・マネジメント」を実践しているにも関わらず、十分に機能していない(充足されていない)と感じる理由は何でしょうか。
それは、職員一人ひとりの内に秘めたるナレッジ(暗黙知)を、何に、どのように、どのくらい活用するのかというが組織的に明確に示されておらず、ナレッジを個人レベルで管理していても問題ない、という意識が要因と考えられます。
具体的にいうと、対人サービスである多くの福祉サービスでは、経験値やノウハウなどは、そのほとんとが対応した職員に付いています(個人レベルでナレッジが管理されている状態)。
しかし、そのような状態が続けば、その職員が退職してしまったことで、これまでと同様の内容、水準のサービス提供が出来なくなってしまうことがしばしば起こります(こういった状況を繰り返しているから、「ナレッジ・マネジメント」が十分に機能していないと感じるのです)。
法人や組織が求めるサービス水準ではなく、サービスを提供する職員個人の自己満足によるサービス内容や水準で、果たして良いですか。
ナレッジを組織レベルで管理するためには、逆説的に「個人レベルでナレッジを管理していてはだめだ」「他者とナレッジを共有し、よりレベルの高い(高次化)状態にしなくてはならない」という意識改革を行う必要があります。
意識改革を図るためには、「個人レベルでナレッジを管理していてはだめだ」という状態をいかに作り出せば良いでしょうか。
例えば、皆さんの組織ではマニュアルをなぜ作っていますか、会議をなぜ行っているのでしょうか。
次回までに答え(理由)を考えておいてください。
次回に続く。
管理人
昨日は東京都心でも37度の猛暑日を記録し、夜は蝉も鳴き続けているぐらいの熱帯夜…。
私は一足先に一週間ばかり夏休みを取らせていただき、リフレッシュした気持ちでこの暑さを乗り越えようと思います。
さて、更新が滞ってしまいましたが、今日は先日講師を務めた「ナレッジ・マネジメント」について少しご紹介します。
「ナレッジ・マネジメント」という言葉は聞いたことがあるかもしれませんが、一言で言うと、「暗黙知から形式知に変換し、組織力の向上やサービスの質の向上を図り、高次化するシステム」のことです。
暗黙知とは、文字や図示されていない「明文化」されていない経験値やノウハウ、情報(=ナレッジ)などを指します。
要するに、自身の内に秘めたるナレッジということです。
一方、形式知とは、この暗黙知を他者と共有できるよう文字や図示したナレッジを指します。
この一連の流れを「ナレッジ・マネジメント・サイクル(SECIモデル)」と呼んでいます。

(野中郁次郎他「知識経営のすすめ」参照)
現場における「ナレッジ・マネジメント」の例として、マニュアルや会議など挙げられます。
マニュアルは職員一人ひとりの内に秘めたるナレッジ(暗黙知)を共有できるよう文字や図示したものです(形式知)。
会議も一つの議題について、より良い成果(結論)を導き出せるよう職員一人ひとりの内に秘めたるナレッジ(暗黙知)を言葉や資料にまとめて討議していることでしょう(形式知)。
「ナレッジ・マネジメント・サイクル」でいうと、共同化→表出化→統合化のプロセスを経ているといえます。
しかし、多くの福祉施設では「ナレッジ・マネジメントが十分に機能していない」といった課題の一つとして認識しているのが実態ではないでしょうか。
マニュアルや会議を通して、知らず知らずの内に「ナレッジ・マネジメント」を実践しているにも関わらず、十分に機能していない(充足されていない)と感じる理由は何でしょうか。
それは、職員一人ひとりの内に秘めたるナレッジ(暗黙知)を、何に、どのように、どのくらい活用するのかというが組織的に明確に示されておらず、ナレッジを個人レベルで管理していても問題ない、という意識が要因と考えられます。
具体的にいうと、対人サービスである多くの福祉サービスでは、経験値やノウハウなどは、そのほとんとが対応した職員に付いています(個人レベルでナレッジが管理されている状態)。
しかし、そのような状態が続けば、その職員が退職してしまったことで、これまでと同様の内容、水準のサービス提供が出来なくなってしまうことがしばしば起こります(こういった状況を繰り返しているから、「ナレッジ・マネジメント」が十分に機能していないと感じるのです)。
法人や組織が求めるサービス水準ではなく、サービスを提供する職員個人の自己満足によるサービス内容や水準で、果たして良いですか。
ナレッジを組織レベルで管理するためには、逆説的に「個人レベルでナレッジを管理していてはだめだ」「他者とナレッジを共有し、よりレベルの高い(高次化)状態にしなくてはならない」という意識改革を行う必要があります。
意識改革を図るためには、「個人レベルでナレッジを管理していてはだめだ」という状態をいかに作り出せば良いでしょうか。
例えば、皆さんの組織ではマニュアルをなぜ作っていますか、会議をなぜ行っているのでしょうか。
次回までに答え(理由)を考えておいてください。
次回に続く。
管理人
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます