sweet キャンディキャンディ

伝説のマンガ・アニメ「キャンディキャンディ」についてブログ主が満足するまで語りつくすためのブログ。海外二次小説の翻訳も。

小説キャンディキャンディFinal Story あのひと考察16 キャンディとアルバートさん

2011年07月04日 | FSあのひと考察

小説キャンディキャンディFinal Story上・下巻 名木田恵子 (著) 祥伝社 (2010/11/1) の考察です
注:物語に関するネタバレがあります

あのひと考察、この記事で16回目になります

考察を始めた時点では、まさかこんなにも長くなるとは思いませんでした。いささか息切れしておりますが、考察も大詰めとなってきていますので、あと少し、しっかり分析してまいります。

今回はいよいよキャンディとアルバートさんの関係についての考察。


(c)水木杏子/いがらしゆみこ

二人の関係は果たして恋愛関係に発展し得るのか否かについて、小説Final Storyから二人の間で交わされた手紙の内容を見ていきましょう。

キャンディとアルバートさんの手紙のやりとりの時期に関する考察を以前に行っていますので、まずはそちらもご参照ください。【あのひと考察7 手紙の時期】

アルバートさんからキャンディへの手紙の内容は、自分こそがウィリアム大おじさまであり、丘の上の王子様であったことや、それを隠していなければならなかった理由についての詳しい説明が主となっています。

キャンディからアルバートさんへ送られた手紙では、事実を知ったその驚きと喜びを相手に素直に伝えています。

とにもかくにも、キャンディの喜びは半端なものではありません

キャンディはずっと長い間、ウィリアム大おじさまに会ったら自分がどれだけ感謝しているかを伝えたいと思っていましたし、丘の上の王子様は子供の頃から心の支えにしてきた大切な存在であり、アルバートさんはかつての命の恩人であると同時にキャンディが悲しい時にいつもそばにいてくれた、何でも話せる大好きな人なのです。その3人が実は同一人物で、親のいない孤児のキャンディを、影でずっと支え、見守ってくれていたのですから、キャンディの幸福は天にも昇るようなものだったに違いありません。

そのため、キャンディのアルバートさんへの手紙は、喜びと感謝の気持ちや言葉で詰まっています。

一方、アルバートさんの手紙からは、自由な生き方への希求とアードレー家の総長としての責任の重さとの板挟みに悩みながらも、キャンディがいてくれたことで道を踏み外すことなく生きてこられたことへの感謝が伺えます。そして、本当にキャンディの幸せを願い、キャンディの幸せを見届けたいという思いも。

互いを心から大切に思い、幸せを願う二人。これだけであれば、二人が恋愛関係に発展するその可能性もあるのかもしれません----しかし、その可能性は、物語の中で入念に封印されています。

それはやはり、アルバートさんとキャンディが養父と養女である事実。

二人の手紙の中では"養女"という言葉が頻繁に使われています。多く出てくる"感謝"という言葉が6回なのに対し、'養女'は7回使われており、養父もしくは父という言葉も4回登場します。

アルバートさんとキャンディは、お互いが養父と養女の関係として接することにまだ戸惑い、どこか面白がりながらも、それでもその事実を暗に認めているのです。

そして、ここに二人の恋愛関係への可能性を完全に否定する一文があります。


ポニー先生たちには「養父として当然のことをしたまで」と伝えておいてほしい。
養父----!?
しまった、自分で言ってしまったか…。

(下巻P310 アルバートさんからキャンディへの手紙)


冗談めいた口調ではありますが、"ポニー先生たちに「養父として当然のことをしたまで」と伝えておいてほしい"という一文は、自分がキャンディの父の立場であることを、キャンディの母親的存在であると同時に、キリスト教の修道女(シスター)たちに対して明言していることに他なりません。

結婚式やアメリカ大統領就任時の宣誓からもわかるとおり、キリスト教は言葉を大変重んじる宗教であると同時に、キリスト教社会は、宗教的倫理観に深く根ざしています。たとえば、アメリカでは今でもキリスト教の考えを背景に中絶の是非が大統領選挙の大きな争点となります。もちろん、宗教色の強い保守的な州では中絶に反対する候補が強い傾向があります。

日本の読者の倫理観からは完全には理解しづらい微妙なテーマであるにせよ、作者はキャンディキャンディの物語の中でも特にキリスト教的倫理観を象徴するポニー先生たちに対し、アルバートさん自らに「養父」であると明言させ、二人の恋愛への可能性を完全に否定しているのだと、ブログ主は考察しました。

作者はこの点、とても注意深く、

僕は以前より信心深くなったと思う。
(下巻P314 アルバートさんからキャンディへの手紙)


という一文で、自由人アルバートさんの中の信仰心もしっかり表現しています。キャンディの信仰心については、あえて説明を加える必要はないでしょう。

アルバートさんとキャンディは、血のつながりはないけれども法律上も、神の名においても、正式に父であり、娘なのです。


アルバートさんは、一度返してもらった王子様のバッチを、改めてもう一度キャンディに贈り、アードレー家との確かなつながりをそこに込めました。

キャンディは、セントポール学院を出る時に大おじさまに託した、テリィへの思いがつづられた日記をアルバートさんに再び預けることで、テリィへの未だ深く熱く苦しい思いを、父であり兄であり友人であるアルバートさんに分かち合ってもらったのです。

そしておそらく、アルバートさんは、スザナが亡くなり、テリィの思いが昔と変わっていないと知った時には、キャンディとテリィの復縁を全力でサポートしてくれたと思うのです。それについての考察はこちらもあわせてお読みください【あのひと考察11 シーザーとクレオパト】




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6 コメント

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ブッキング版との比較 (なつみ)
2011-09-23 17:05:33
こんにちは。
ブログ主様の考察はどれもすばらしく、非常に納得いたしました。
アルバートさんとの往復書簡を見ていて、2003年のブッキング版と比較してみました。
以前のものと比較することが、ブログ主様の趣旨に合うのかわかりません。合わなければスルーしてください。
ただ、私は思いを伝えさせていただけるだけで満足です。

ブッキング版と比較すると、キャンディとアルバートさんが恋愛に発展するのでは?と思わせる部分が消えているように思います。

特に、「いつか自由な時間がとれたら旅にでたい。キャンディもついてくるかい?」「もちろんついていくわ」のようなくだりです。そして、ブッキング版では、アルバートさんへの愛情があふれているかのような手紙で終わっていました。
でもファイナルストーリーでは、アンソニーへの手紙で終わっています。

アルバートさんに対しては、感謝と、養父であり兄であり同志でありという親愛の情のほうが強調されているように思いました。

反対に、Ⅱ章のテリィとの間には、2人の愛がより深いものである表現に変えられていると思いました。

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なつみ様 (ブログ主)
2011-09-26 18:15:57
コメントありがとうございます。
ブログ主は今回の考察には、マンガとファイナルストーリーの間に出版された小説版などはあえて含めませんでした。考察があまりに複雑になってしまうと思ったので……。でも他の方が丁寧に読み比べて頂くのは大歓迎ですし、なつみ様の考察にブログ主も同意です。

ファイナルストーリーでは必要な要素が協調され、不要な要素が削られていてよりドラマチックな仕上がりになってますよね。

また気づいたことがあったらぜひお聞かせください。
返信する
遅ればせながら… (みずあめ)
2012-02-12 15:03:55
FS一気に読み終えました。こちらの「あのひと考察」➡小説を読ませていただいた後の「あの人はテリィ」解釈の講読にもかかわらず、読みが浅いせいか、途中何度か作者のマジック(トリック?)に惑わされ、「あの人はアルバートさん?」と混乱する場面も😓
惑わされた箇所は「ちっちゃなバート」と「愛と感謝をこめて」で終わるきキャンディからアルバートさんへの手紙、最後のアンソニーへの手紙で「生きていても会えない運命」のくだりでした。
そして改めて「あの人考察」で勉強させていただきました。すごいです。ブログ主様。やはりあの人はテリィと納得させていただけました😭
私はスザナ亡き後、エレノアベーカーはキャンディから受け取った手紙をテリィに見せたのでは?と考えました。単純ですが。彼女ならそうするのでは?と。テリィは言葉より行動で示す人だから、あの手紙の投函後は「水仙の咲く頃」のような猛アタックかな?
ブログ主様より頂いたコメントのように、再読させていただきます。こちらのブログに出会わなければFSも私の中では消化不良で終わったことでしょう。本当に感謝致します。
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みずあめ様 (ブログ主)
2012-02-12 21:43:08
FS読み終えられたのですね。作者さんがあえて曖昧にしているのですからあのひとに関して混乱してしまうのはもう仕方ないですよね
手紙の「愛と感謝をこめて」ですが、英語では手紙に友人同士でもLoveと署名するので、あまり深い意味はないかと思います。「ちっちゃなバート」…ブログ主はこれもあまり意味がない気がします。キャンディの世界をあらゆる意味で包み込んでいた大きな存在(親や保護者という言い方もありますね)なのに「ちっちゃな」と呼ぶことで二人の上下関係のない不思議な強い絆を現しているような感じでしょうか……。
エレノアベーカーがスザナが死んだ後にキャンディの手紙をテリィに見せたのではないかというみずあめ様の見解、なるほど~と思いました。エレノアさんなら確かにやりそうですね
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なぜアルバートさんは (にしゆみ)
2024-05-15 15:19:00
ブログ主様、
長年の疑問がなかなか解けず、ずっと引っかかったまま とうとうこちらのブログに辿り着きました。そしてどうしても教えていただきたくコメントいたします。
17才のアルバートはキャンディに初めて会ったあの時、なぜスコットランド民族衣装でポニーの丘にいたのでしょうか? ご解答をよろしくお願いいたします。
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なぜアルバートさんは (ブログ主)
2024-06-15 12:20:50
にしゆみ様
コメントありがとうございます。にしゆみ様の長年の疑問について、原作者様が小説キャンディキャンディFinal Storyの下巻229ページ目にはっきりと答えを書かれています。簡単に要約すると、その日レイクウッドのアードレー家別宅でパーティーが開かれていたのですが、アルバートさんは自室に監禁状態。いたたまれなくなったアルバートさんは、パーティで若者が着ることになっている民族衣装に着替えて人混みに紛れようとしたのですが、見つかってしまい、追い詰められてその衣装のまま家出をした・・・ということでした。小説キャンディキャンディFinal Storyを置いてある図書館もあるようなので、ぜひご自身で読んでみられてください。
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