sweet キャンディキャンディ

伝説のマンガ・アニメ「キャンディキャンディ」についてブログ主が満足するまで語りつくすためのブログ。海外二次小説の翻訳も。

え?両手をひろげてない?

2024年06月14日 | もろもろ
当ブログの今後についていろいろ考えていた期間、久しぶりにいくつかのキャンディ・キャンディファンの方のブログを拝読させていただいていました。

どこまでもいつまでも続いていく「あのひと考察」。その魅惑の世界に身を浸していると突然、「漫画の最後にアルバートさんは両手を広げていない、両手を広げているのはキャンディ」というような内容にぶち当たりました。考察の中で堂々とアルバートさん両手を広げてる説を語っていたブログ主の額に冷や汗が

まさか、そんな思い違いをしていたの!?という驚きと同時に、記憶の思い込みの力強さに思いを馳せてみたり、アルバートさんが両手を広げていないとしたら、自分の考察を書き換えたり、何か補足したりする必要はある?としばし考えてみたり。

その場で最終巻の最後を確認すればいいものを、冷や汗をかいたまま数ヶ月放置した後、やっと昨日、最終巻の最後を確認してみました。

アルバートさん両手広げてました(ホッ)
まぁ、その後キャンデイがさらに両手を広げてアルバートさんの方に走っていってはいますが・・・。それでもアルバートさん、謙虚に両手広げてキャンディを迎え入れる体勢でございました。

ということで、当ブログの過去の考察を書き換えたり、補足したりする必要はなさそうではありますが、ブログ主も、そしておそらく原作者様や当時作品に濃厚に関わった方々も含め、人の記憶は激しく思い込みに左右されているのですよね。

ブログ主のあのひと考察も、そんな思い込みにしっかり影響を受けているのではないかと思いつつも、当ブログでは相変わらず、あのひと=テリィということが「事実」となっておりますので、何卒よろしくお願いいたします
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小説キャンディキャンディFINAL STORY テリィ派?

2017年04月01日 | もろもろ
何年か振りにFINAL STORYや水仙の咲く頃を読み返し、キャンディワールドに浸っております。

FINAL STORYが今では高値になっていることなども知り、驚きました。

「あのひと」考察がまだ続いていることも。

そして「あのひと=テリィ」と思ってる人は当然のようにテリィ派、「あのひと=アルバートさん」と思ってる人はアルバート派とされていることについて、改めて考えてみました。

ーそもそもブログ主はテリィ派なのだろうか?

そしてまた少し語ってみたくなりました。

ブログ主は、キャンディが希望を抱き続け、テリィと最終的に結ばれた美しい愛の物語が、この小説の作者がFINAL STORYで描いた世界だと100%確信していて、それゆえに「あのひと=テリィ」を考察してきました。

しかし、それをもって「テリィ派」と言われると、「いやいや、アルバートさんも、アンソニーも、ステア、アーチー、アニー、パティ、ポニー先生、レイン先生・・・そしてイライザやニールでさえも、その世界の中で役割を与えられたキャラクターとして、深く愛してるんだけど(スザナだけはあまりに人間臭すぎて、唯一愛せない登場人物かもしれません)」と、首を傾げたくなるわけです。

アルバートさんは、キャンディにとって救いの存在であったように、ブログ主にも救いの存在です。アルバートさんが登場すると、キャンディが何か大きなものに守られていることが感じられて、ホッと一息つくことができるのです。

なぜそんなに「ホッ」とできるのかというと、アルバートさんには「キャンディの幸せを見守る」という純粋な意図しかないからなのです。恋愛に発展しないからこそ、アルバートさんとキャンディの関係は無防備で、温かく、崇高なのです。

しかし、もしアルバートさんとキャンディの間に流れる感情に愛欲が混じってしまったら、それはもはや「ホッ」ではなくなってしまうと同時に(キャンディですら「誰かを心底、愛してしまったら、きれいな気持ちのままではいられない」と言っているではないですか)、過去の美しい邂逅までも違う意味を持ち始めてしまうのです。

だから、アルバートさんが「あのひと」であるとすると、その美しい愛の物語の世界が、(養”父”・養”子"というタブーを超えるという意味においても)ドロドロとしたものになってしまうことが、ブログ主にはどうにも耐えられないのですよ。

(アルバートさんを綺麗なままにしておいて!)と心の中で叫びたくなってしまうのです。そういう意味において、ブログ主はもしかしたら究極のアルバート派とも言えるのでは!?

たとえひとに「ブログ主さん、ナイーブじゃね?」と言われようが、耐えられないものは耐えられないのです。そしてまた、 原作者さんはブログ主よりももっとナイーブな感性をお持ちだと思うのですよ。そこで、ちょっとばかり、「アルバートさんは”あのひと”じゃない」考察を軽くしてみたいと思います。


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FinalStoryのキャンディとテリィ

2011年06月21日 | もろもろ
ブログ主は、海外のキャンディファンたちとキャンディの話をするのを楽しんでおります。キャンディファンはそれこそ世界中にいるのですね。

つい数日前には、フランス人の熱心なキャンディファンの方のご主人が東京出張に来るついでに、ファイナルストーリーの本を手に入れたいということで、少々お手伝いをしました。日本語は読めないのに、イラストの挿絵もないのに、キャンディの新しい物語を手元に持っていたいというそのファン心理

フランス人のご主人は、出張の休み時間を使って慣れない東京の電車に乗り、新宿の紀伊国屋まで足を運び、予約されていたキャンディキャンディの小説を買い求め、飛行機でユーラシア大陸を超え、妻に届けるのです。愛ですね

かつて、留学先で、南米やヨーロッパの国の女の子たちからキャンディが彼女たちの国でも人気があると聞いて知ってはいましたが(「そばかすっ、なんてっ」をそれぞれの国の言葉で合唱してみました)、インターネットで未だに根強いファンがいることを知り、改めてキャンディの物語のパワーに圧倒された気持ちになったのです。

ひたすら名木田恵子さん、いがらしゆみこさん、当時マンガ・アニメの制作に関わった皆様に拍手でござます

あっもちろん、このファイナルストーリーをまた世に送り出してくれた名木田恵子さん、出版社の方にはもう一度拍手でございます

では、海外のキャンディファンの最新ホットなファンアートをご紹介します。
グアテマラのキャンディファンによる小説キャンディキャンディFinalStoryのファンアート


© Alejandra Cabrera


キャンディとテリィの別れがあまりにショックで、キャンディとテリィのファンアートはこれまで書けなかったのに、今回のFinalStoryでキャンディとテリィのハッピーエンドを確信して、初めて書けたという、何とも可愛らしいエピソード付き。

海外ファンはアニメでキャンディを知っている人が多いので、キャンディと、特にテリィはアニメのイメージが強いですね。

エイボン川から吹く春の風にのって、ラッパ水仙(ダッフォディル)の香りが漂ってくるようではないですか。
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