小説キャンディキャンディFINAL STORY上・下巻 名木田恵子 (著) 祥伝社 (2010/11/1) の考察です 注:物語に関するネタバレがあります
あのひと考察セカンドシーズン「あのひと=アルバートさんじゃない」。いよいよアルバートさんの生き方を通して、アルバートさんはいったいキャンディに恋愛感情を抱いているのかどうかを検証してみます。
出会いから一貫して、アルバートさんのキャンディに対する気持ちは「幸せを見守りたい」ーーその気持ちがブレることはありません。
二人の出会いーーキャンディ6歳、アルバートさん17歳
アルバートさんは、自由でいたい気持ちと、アードレー家の一員として家を捨てきれない気持ちとの間で揺れ、1日だけの家出をします。丘に登り「これからは自分で判断し、自分で決めていくーー」と気持ちが吹っ切れて生き方を見つけた時に、泣きたいのをこらえながら丘をのぼってくる幼いキャンディの姿を見て心打たれます。
二人の再会ーーキャンディ14歳、アルバートさん25歳
レイクウッドで滝に流されたキャンディを助けたアルバートさん。助けた女の子が、かつて自分が生き方を見つけたあの丘で出会った子だとすぐにわかり、「この子には幸せになってほしい」「それが僕にはできるはずだーー」と決心します。
キャンディを幸せにするためにアルバートさんがした事ーーそれはキャンディをアードレー家の養女にしたこと。このことから、アルバートさんには自由になるためにアードレー家を捨てるという考えがないことがわかります。なぜなら、アードレー家を捨てたいという思いがある一方で、キャンディを幸せにするために自分の養女にするという行為は、ひどく無責任なものになってしまうからです。
アルバートさんがかつてポニーの丘で見つけた生き方ーーそれは周りの大人の操り人形としてではなく、自分の自由な意思でアードレー家の大総長としての責任を果たすことだったということが、キャンディを自分の養女にするという行動から見えてくるのです。
その証拠に、キャンディがセントポール学院にいた同じ時にアルバートさんがロンドンにいたのは、決してアードレー家から逃れるためではなく、「イギリスに進出する事業のためだった」ことが明かされています。
その後、若気のいたりでアフリカから姿を消したアルバートさんは、当時の自分の行いを「なんという身勝手さだ」「今、そんな自分の甘さに深く恥じ入っている」と振り返ります。(ここまで自分を責めるアルバートさんが、キャンディと一緒になるためにアードレー家を捨てるというような結末は、残念ながら用意されていないと思いませんか?奥さん?)
そして、記憶を失ったアルバートさんを献身的に看病してくれたキャンディに対して「どんなに感謝しても、し尽くせない」「僕はこれからも、きみの幸せがどこにあるのかを見極めたいと思っている」と手紙で伝えます。
このアルバートさんの思いは、FINAL STORYで漫画から変更されている内容のひとつです。
漫画ではテリィと別れて傷ついたキャンディを見て「きみはほんとうにいままで苦労してきた……きみをしあわせにしたい……」とつぶやいていたアルバートさんが、FINAL STORYでは一転、キャンディが幼い頃からずっとそうしてきたように「僕はこれからも見守っているからね……」と、娘の幸せを見守る父のような覚悟を、キャンディに改めて伝えるのです。
作者さんがキャンディとアルバートさんを漫画の束縛から解放してくれていますよ、皆さん!
その後、レイクウッドにキャンディを呼び、テリィのことばかりが書かれたキャンディの日記を返すアルバートさん。キャンディは、テリィへの深く熱い思いやスザナのことなど、自分の気持ちを包み隠さずアルバートさんに話していますので、アルバートさんはキャンディの辛い気持ちを”完全に"理解しています。
キャンディの幸せを誰よりも見守りたいと思っているアルバートさん。心から愛するひとと一緒になれない過酷な運命を背負ったキャンディのことをまともに見ることができず、窓の外を見つめたまま、つぶやくように「これは……きみの大事なものだから」と静かな声でいうのです。
美しい父性愛!
キャンディは、そんなアルバートさんの父性愛に甘えて、「わたしはこの日記をまたアルバートさんに託すつもりです」と返します。
こうしてキャンディのテリィに対する愛の行方を見守り続けたアルバートさんが、キャンディの”あのひと”とのハッピーエンドをどれほど喜んだかーーそれはきっと「テリィ派」女子たち以上の喜びようだったのではないかと思うと、ブログ主の心も温かくなるのです。
ところで、ウィリアム大おじさまとして登場したアルバートさんと再会し、さまざなな謎が一挙に解けたときに、「心労でいっぺんに年取った気分だった!」と悔しがって責めるキャンディにアルバートさんが笑いながらも真顔になって言う「妹だと思われるより、少し大人に見えるくらいがちょうどいい……」というセリフに対して、アルバートさんが記憶喪失の間にキャンディに恋愛感情を抱いてしまったからだ……という解釈があるようですが、それはどうでしょうか。
真顔になった……という記述に何か意味を見出したい気持ちはわかりますが、アルバートさんはそう言ってからーーからかうように目を細めた……とあり、キャンディは(煙に巻かれた)と思うのです。とすると、このセリフは深い意味を込めた「告白」ではなく、ふたりのいつもの無防備な掛け合いであり、もしセリフ以上の何らかの意味が込められているのだとしたら、それは(あんなに小さかった女の子が、たくさんの悲しみを経験しながら、よくここまで大きくなった)ではないでしょうか。
ああ、アルバートさん……大きな父性愛でキャンディを見守り続けるそのひと……!愛と感謝をこめて ブログ主
しかし、この「水仙の咲く頃」は、あまりにも良く出来ていて、説得力がありますね。
アルバートさんの言動が、とてもアルバートさんっぽい。
男と女にならないキャンディとの関係性が、絶妙です。仲の良い家族としてハグもすれば
「愛してる」
も言い合う。
アードレー家運営の協力者としてアニーもアーチ―も含め、チーム形成している。
こういう頭の良い選択は、いかにもありそうです。
法的に親子である点が障害にならないし、ずっと親しい関係でいられるからです。
個人的に、起伏の激しいテリィが苦手だったのですが、この小説を読むと、
「アルバートさんはナイ。テリィで決まりだわ。」
と思えて、アルバートさんの独り身を寂しく(笑)思いました。
けれども今は、どちらでもない気がしています。
そもそもは「足長おじさん」を下敷きにしていても、既に原作者さんは、この物語の決着を付ける気がないらしいです。
だからFinal storyはミスリードではなく、本編の後に続く物語が、どちらにでも転がせるように書かれたのだと思います。
つまり、パラレルワールドがアリ、なのです。
著作権でもめなければ、今頃オトゲーが製作されて、アルバートエンド、テリュースエンドの両方が楽しめただろう、と想像してしまいます。
ついでに、アンソニーとステアが死んでいなかった設定のエンドとか、ニールが改心エンドも出来たでしょうし。
ああ著作権問題さえ解決していれば・・・。
おー!!キャンディキャンディのオトゲー、いいですね!!めちゃくちゃわくわくしてしまいました。
アンソニーが死んでいなかったエンドとかは結構二次小説であったりするんですが、その設定でプレイしたい!!
「あのひと」に関しては、ここではお相手はテリィということでファイナルアンサーとなっております。
ここは、テリィとキャンディの別れで心に傷を抱えて大人になったたくさんのファンの方たちの、大切な癒しの場なので
でもでも、オトゲー・・・私も想像が止まらなくなりましたよ。
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