小説キャンディキャンディFINAL STORY上・下巻 名木田恵子 (著) 祥伝社 (2010/11/1) の考察です 注:物語に関するネタバレがあります
あのひと考察セカンドシーズンとして、「あのひと=アルバートさんじゃない」を検証してきました。
検証する過程で、あのひとがアルバートさんではないという確信は、ブログ主にとって確かなものになりました。作者さんが「小説キャンディキャンディFINAL STORY」という物語の中で描いたあのひとはテリィであると確信していると、ブログ主は以前からこのブログの中で言ってきましたが、アルバートさんがあのひとである可能性はゼロであると言える今、「あのひと=テリィ」はもはや確信というよりも「事実」だと言っていいと思います。
作者さんのあとがきでの「(あのひとが誰かは)はじめから曖昧にしようと決めていました」という言葉に世の読者は釣られ、あのひとは好きなように誰にでも取れると思ってしまったことがそもそもの間違い。小説の中では、作者は個別具体的に特定の人物を「あのひと」として描いているのです。
曖昧にしたのは、その事実を受け入れることが難しいと思われる既存のファンのために、余白を残したというだけのことで、小説の中の事実としてあのひとがテリィであることは、もはや疑う余地がありません。
キャンディの愛の物語は、テリィの愛の物語でもあったのです。
水木杏子/いがらしゆみこ
では、アルバートさんの愛の物語はどうなっているのでしょうか。
この若さで独身なのに養女がいるなんて、自分でも驚いてしまうーーとキャンディへの手紙に書いているアルバートさん。
アルバートさんがいつか誰かと出会い、結婚する……そんな余白が感じられる一文です。ただ、残念ながらこの余白は、どこかの二次小説あたりで楽しむしかなさそうですね
あのひと考察セカンドシーズンーーお付き合いいただきありがとうございました。
私はバリバリのリアルキャンディキャンディ世代、特にテリィ登場の場面は、今でもその絵を見ただけでセリフがスラスラ出てくるという、気味の悪いおばちゃんです。
とは言っても、つい最近までキャンディキャンディは私の記憶の片隅に追いやられていました。
ところがある日のこと、家事も一段落し、スマホをいじっていたところ、突然、テリュースGグランチェスターという名前が降臨してきたではありませんか!!!即検索〜 40年‼️も昔の話だし、それほどのことは期待してなかったのですが…開けてびっくり⁉️FINALSTORYなるものが世に存在していたのですね〜
それからというもの、あちこち検索し廻り、私の失われた40年が戻りつつあります。
キャンディとテリィの別れ、そしてあのラストシーン、全く納得はいかなかったけれど、あぁ、世の中は決してめでたしめでたしだけでは終わらない、テリィファンにとってですが…そして余韻を残した壮大な物語の終わりに、大人の世界を垣間見た気がしたのを覚えています。
ところがです…こちらのブログや、それに続く水仙の咲く頃を読ませて頂き、あの頃無理やり抑え込んできた感情が、ムラムラと顔を出してきました。
なんだか取り止めなく長くなってしまいましたが
緻密な考察、そして繊細な翻訳、素晴らしいなぁと思いました。
あのひとの正体は…??
水仙の季節は少し過ぎてしまいましたが、黄色の水仙の花🌼言葉、復活愛、もう一度愛して、私のところに戻ってきて…ですよね。
>突然、テリュースGグランチェスターという名前が降臨してきたではありませんか!!!
この感覚すごくわかります!聖ポール学院の礼拝の時間に遅れてやってきたテリィに向かってシスターグレーが発する神々しいその名前には、「降臨」という表現がまさにぴったりですよね
そうですね思うと居ても立っても居られなくなり、youtubeで見れるはずと思い、115話まで一気に見てしまいました!そして、漫画も高価ではありましたが、大人買いして一気読み。あの頃感じたドキドキ感がまた再燃してきたわけです。初めは、アンソニーって何てステキなんだろうと、落馬したところは嗚咽してしまいました。でも、話が進んでいくうちにテリュースが出てきて、昔の初恋したあの気持ちが再び蘇り、やっぱりテリィは私の永遠のあこがれであり、初恋の人なのです。今見ても、かっこいいですよね!
キャンディとの別れのシーンは辛すぎて、自分も辛い失恋をした昔と重なり、号泣です。
ネットで検索していくうちに、今もキャンディファンが多いのにびっくりして、やはりこれは名作だったんだなと改めて思っています。小学生の頃にはわからなかった話やシーンも今ならはっきりわかって、深いなぁと思います。ファイナルストーリーなるものがあるのか!と知り、早速ヤフオクで購入しました!
待ちきれずに、こちらのあの人考察を熟読させて頂いている次第です。
テリィとスザナは結果結婚しなかったというのは最もだと思います。現実、自分をかばってくれたからといって、あんなに命がけで愛したキャンディから、スザナに心変わりするようなテリィではないです。テリィはどこまでもキャンディ一筋なのです。
あの時は仕方がなかったからでしょう。スザナは自分の命を投げ出して自分を助けてくれた、ならば自分も命がけで愛したキャンディを諦める事がスザナに対する謝罪であったのでしょう。スザナもテリィを奪いたかった、奪ったつもりだったけど、テリィの本心はキャンディを愛している事を嫌というほど感じていたのではないでしょうか。愛はそんな簡単に右から左へとうつろうものではないという事を、私はこの年齢になって思うからです。キャンディにしても、テリィとの激しい恋を諦めたとは言え、無理矢理自分の気持ちを閉じ込めてしまったわけなので、変わるはずがないと思っていました。ファイナルストーリーがあるのを知らなかった時は、漫画の最終話を読んで、アルバートさんが丘の上の王子様とわかり、これからキャンディはどう生きていくのかなと想像すると、やはりお屋敷でアルバートさんと一緒に暮らすのではなく、看護婦を続けたのだと思います。私は多くの人を救っていきたい!と燃え立ち、独り立ちすると思わせられました。キャンディの性格を考えると。
ファイナルストーリーのあの人は絶対にテリィであってほしいのです。二人がやっと一緒にならなければ、私も救われないです!現実の世界では、失恋してもよりを戻すことはできませんが、物語の中では美しい恋が実ってほしいのです。でないと、現実的すぎる。。
キャンディは私たち自身なのですから。
私的には、キャンディは従軍看護婦になり、イギリスに派遣される。そこへ、爆撃があり、イギリスに公演に来ていたテリィが流れ弾に当たり、負傷して野戦病院へ運ばれて、キャンディと再会する。
スザナが死んだことを知り、戦争も終わり、キャンディとめでたく一緒になることができた!みたいな、。すごい単純な話でスミマセン。
アルバートさんはどこまでも、アルバートさんでいてほしいですよね。遠くからキャンディを見守る役。
遠くから見守るのは父の愛であるからです。お父さんとは恋愛は成り立たない。私の想像の中には、キャンディとテリィのカップルの絵しか思い浮かばないですし、どんな画像にもテリィとキャンディのコンビの絵が多いのも、2人の愛の物語だったように思います。
物語が進んでいくうちに、アルバートさんの存在意義がなくなりつつあったんじゃないかと思います。あしながおじさんが土台であれば、アルバートさんと一緒にならなければおかしいのですが、テリィが素敵すぎた。テリィという人物がアルバートさんより輝いてきたわけですよね。まあ漫画の最後は、テリィとハッピーエンドにはできなかったのでしょう。あしながおじさんにならないから。でも、主人公たちは人格を持ってそれぞれ歩き出すのですね。あしながおじさんではテリィ的な恋人があしながおじさんであったからそれはそれで良かったのでしょう。
だから私もあの人がテリィであってほしいのです!
キャンディの世界は現実みたいで現実ではないです。だからシンデレラストーリーであってほしい!
110代の恋は実らないかもしれない、実らないのが当たり前かもしれない、別れてしまった人とはよりが戻せない、愛は冷めてしまう。。そんなたまらない現実は忘れさせてほしいのです。
ファイナルストーリーが届くのが待ち遠しいです。
あの人はテリィ!と断言してくださってありがとうございます!私まで救われた気分です。
長々とお読み頂いてありがとうございました❗️^_^
ファンの長年の夢を大切にしようとした作者さんは、あえて「あのひと」をはっきりさせませんでした。でもブログ主は、作者さんにとっての「あのひと」をどこまでもはっきりさせることで、夢みるゆきんこさんのような多くのファンの長年の願いを成就させたかったのですよ。
このようなコメントをいただくと、しつこくしつこく考察ブログを書いてよかったと思います。ありがとうございます。
シェイクスピア全集が棚にあるという事はテリィしかありえないですよね。私が思ったのはそういうキーワードも大きなヒントですが、何と言ってもテリィのあの短い手紙が大きいと思います。何も変わってない、というところが全てを物語っていますよね。これまでのキャンディキャンディを覆したわけです。
それに対してキャンディの返事がないところも大きなヒントです。その内容を書いてしまえば、あのひとが誰だかわかってしまうから書いてないのでしょうね。
最後にキャンディが「おかえりなさい」を言える喜びに声をつまらせるとありますが、戻ってこないと思っていたテリィが、今は自分のそばにいる、帰ってきたのだという事を、おかえりなさいという言葉で作者は表現しているのではないかなと思いました。
アルバートさんのセリフで、君の幸せがどこにあるのか見極めたいと思う、というセリフにも感動しました。キャンディの幸せは愛するテリィと一緒になる事を一番良く知っていたのはアルバートさんだからです。
テリィと再会して一緒になるまで、アルバートさんの大きな協力があったのではないかと思います。
アルバートさんはどこまでもアルバートさん的存在でいてほしいです。手紙からも恋人からの手紙ではないですね。それを匂わすようなセリフも少しありますが、ファンサービスだと思います。
ファイナルストーリー自体に、原作者がとても気遣っているところが多く、描くのにとても苦労されたように思いました。特にテリィとスザナ、キャンディの絡むシーンでは特に神経質な感じがします。
当時の反響の大きさがわかるような気がしました。
あんなに涙を流したキャンディがテリィと幸せにならなければ物語としては成り立たないです。
白雪姫の王子さまが実は隣の国の王子で違っていました〜みたいな結末では誰も納得がいかないですものね。
ファイナルストーリーで全面的に書き直すと原作者の言葉にもあるならば、テリィとハッピーエンドしか考えられないと思います。
文字だけでも、キャンディとテリィのやりとりにドキドキしながら、私も童心に帰って楽しんでいるところです。
>戻ってこないと思っていたテリィが、今は自分のそばにいる、帰ってきたのだという事を、おかえりなさいという言葉で作者は表現しているのではないかなと思いました。
そうですね。このブログではできるだけ結末のネタバレだけはしないようにしていたので、この部分は考察に含めていませんが、ブログ主もそう思います。
読みました。ありがとうございます!!
わたしはキャンディ人形も買ったほどに
大ファンでした。
ファイナルストーリーがあったんですね。
作者さんの思いを分かることができました。
あのひと考察、楽しんでいただけてよかったです。
キャンディ人形いいですね!
いろいろなキャラクターグッズがありましたよね。
ブログ主は同級生との交換日記にキャンディのノートを使っていました。
はじめまして。こちらのブログに出会って1年になろうとしています。
この作品を作ってくれたジョセフィンさん、翻訳をして下さったブログ主様にどんな言葉でこの感動と感謝をお伝えすればいいのか分からないまま……。「ありがとうございます」の言葉では足りません。このブログに導いたのはあの人……。
その名を目にした時、子どもの頃にもうあんな切なくて納得のいかない思いはしたくないと心の奥深く鍵を閉めて閉じ込めていたのに……。
いつも通る場所に古い建物がなくなり、新しい建物が建ち始めても何も気に留めることもなく通り過ぎていました。ある日、新しく完成した建物の前をいつものように通り過ぎようとした時、私の心臓は一瞬止まりました。もう鍵を開けることはないと思っていた扉が開いた瞬間でした。
切なさと愛しいさが入り混じり心がザワザワしたまま帰宅した私はネットでその名を打ち込みました。色々検索し裁判の事やFINAL STORYの事を知りました。今なお世界中で愛されていることも。そしてこのブログにたどり着いたのです。
私が目にした名は『グランチェスター』……。「……テリィ…だ…」と。
2人の別れから40年近く。私はテリィの事だけがずっと気がかりでした。だからと言って当然私にはどうすることも出来ずに心の奥深くにしまい込み忘れることで自分の気持ちに整理をつけていたつもりでした。でも彼の名を目にした時、会いたい気持ちを抑えることなど不可能でした。
人生経験をそれなりに積んだ今なら子どもの時に感じた感情とは違うのかもしれないとマンガを一気読みしましたが2人の別れには今でさえやはり納得がいくはずがありませんでした。
ブログ主様のあのひと考察を読んでFINAL STORYをゲットしました。(かなりの高値でしたが💦)
そしてまたあのひと考察を読んで納得しかありません。
FINALSTORYを読んでどうしてテリィ以外だと思えるのでしょう。(確かに原作者の名木田さんは曖昧にしているかもしれませんが。)あのひと考察セカンドシーズンでも納得しています。
水仙の咲く頃を読んで私はやっと彼への気持ちを確信しました。忘れたいから閉じ込めたんじゃない。
大好きだから。愛しているから。彼が幸せになることが願いだから。
テリィとキャンディが別れたままの結末に納得はしていなかったけれどキャンディがアルバートさんと結ばれたなんて一度たりとも思ったことがありません。この水仙の咲く頃を読んで心のザワメキがなくなり、私が望んでいた結末にどんなに感動したかジョセフィンさん、ブログ主様への感謝の気持ちを伝えたいのに言葉が見つかりません。
この1年、水仙の咲く頃を読まない日はありません。就寝前の至福の時間が日課となっています。毎日読んで何十回と繰り返し読んでも飽きることなく幸せな気持ちになっています。これからも欠かさず日課を続けるでしょう。
ジョセフィンさん、ブログ主様に見つからない感謝の言葉の代わりに。
チョコレート様のテリィとの再会、ロマンチックで素敵ですね。キャンディキャンディと関係のない日常生活の中で、グランチェスターという固有名詞と遭遇することはそうそうないことで、本当に導かれたという感じなんですね
コメントを残してくださる多くのキャンディファンの方が、テリィとキャンディの悲しい別れを受け止められずに長い年月を経て、やっと気持ちが癒されたと伝えて下さいます。幼い頃に大好きだったマンガの登場人物に対しても、そんな純粋な気持ちを持つことができる(自分も含めて)人の思いの強さに、いつも感動してしまいます。
チョコレート様が満足するまで、「水仙の咲く頃」をこれからもどうぞ楽しんでくださいませ。
また語りたくなった時は、コメント欄も使ってくださいね。