小説キャンディキャンディFinal Story上・下巻 名木田恵子 (著) 祥伝社 (2010/11/1) の考察です
注:物語に関するネタバレがあります
考察2の最後に、ブログ主は、作者がキャンディの「愛の物語」を書き下ろしたのは、本当の夢を、キャンディを貫く希望を形にして残したかったからではないかという見解を述べました。
その夢であり希望とは、こちらですね。
© 水木杏子/いがらしゆみこ
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キャンディが抱き続けた思いです。
生きている人と死んでしまった人。死んだ人は心の中で生き続けるけれど二度と会えない、生きていれば必ずもう一度会える---希望がある。
これは、アンソニーがバラの散る中でママの言葉として優しくキャンディに伝え、テリィにメイフェスティバルで激しく教えられた、大切な気づきなのです。
作者にとってもそれは大切なメッセージであろうと推測できます。
しかしどうでしょう。マンガ・アニメは、生きていたって会えないのだ、という絶望を残して終わっています。そこに神の祝福はありません。
© 水木杏子/いがらしゆみこ
さて、今回の小説では、その希望は、気づきは、どうなったのでしょうか?
この小説を読むうえで理解する必要があるのは、小説の中では過去と現在の時系列は入り乱れているということ。過去に飛んだり、現在に戻ったり、手紙のやりとりも時系列通りには並んでいません。そして作者はおそらく意図的にそうすることで、あの人を可能な限りあいまいに描こうとされたのでしょう。
下巻エピローグ(p327)、最後のクライマックス。アンソニーへの心の手紙の中でキャンディはこうアンソニーに告げます。
生きていても、会うことがかなわない運命があることも知ったのです。
これは、マンガ・アニメ終了時のキャンディの心境と同じです。
このアンソニーへの心の手紙は、キャンディがアルバートさんとレイクウッドを訪れた直後のもの。ブログ主は、この訪問は、アルバートさんがウィリアム大おじ様であり、丘の上の王子様であったと明かしてから1年以内の出来事であったろうと推測します。
では、これはどうでしょう。上巻第二章冒頭(p232)、大人になったキャンディの独白です。
今までつらいわかれはいくつもあった。
けれど、生きてさえいればまた巡り会うことができるのだ。
だから、わたしはもう、別れを怖れない。
けれど、生きてさえいればまた巡り会うことができるのだ。
だから、わたしはもう、別れを怖れない。
このキャンディの独白は、第一章レイクウッドの思い出から第二章セントポール学院への思い出に移行する間にさらりと、目立たないように書き込まれていますが、キャンディの人生に何かが起き、心境が変化しています。
第二章から第三章の中でキャンディは、テリィと出会い、恋に落ち、生きていても会えない運命の別れを経験するのです。しかし作者はその物語を語り始める前に、キャンディに、あっさりとFinal Storyが書かれる必要があったその理由を独白させているんですね。
大切なのでもう一度。
今までつらいわかれはいくつもあった。
けれど、生きてさえいればまた巡り会うことができるのだ。
だから、わたしはもう、別れを怖れない。
けれど、生きてさえいればまた巡り会うことができるのだ。
だから、わたしはもう、別れを怖れない。
アンソニーと違い、テリィは生きていたからこそ、また巡りあうことができた。スザナが死に、テリィが今なお変わらぬ思いをキャンディに伝え、また巡り会えた。だからキャンディはもう別れを怖れない、余程ひねくれた解釈をしない限り、こう考えるのが至って自然ではないでしょうか。
アルバートさんは、キャンディとのつらい別れを経験していませんね。彼はいつも、キャンディの幸せを見守り続け、必要な時には必ず手を差し伸べられるところにいるのです。アルバートさんが記憶を失っていた時でさえ、彼はキャンディの近くにいたのです。ですから、このキャンディの今の思いは、アルバートさんに対しては当てはまりせん。
生きていればきっと会える! いつかきっと…
この思いと並んで、キャンディの物語を通して何度も出てくるテーマがあります。ポニー先生の言葉です。
曲がり角を曲がったところには何が待っているかはわからない。
この言葉はアンソニーへの心の手紙の後、エピローグ最終頁の大人のキャンディの独白でも言及されます。
希望さえ持ち続ければ、どれだけ運命だとあきらめていたことでも、かなうことがある---やはりこれもテリィとの復縁がなければ、あえて意味を持たない言葉でしょう。
作者はキャンディとテリィの愛を成就させ、希望を持ち続けることの祝福を、キャンディキャンディの物語の大切なテーマを、やっと書くことができたのだ、とブログ主は思うのでございます。