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『断捨離』の特集をみた。意外と奥が深く感銘を受けた。意外と遅い話題だけど。。面白いと思った点。1)モノと対話すること、2)今、必要ないモノと「関係を絶つ」、3)モノの前に人がある。使うのがもったいないといったモノを「日用的」に使う。特に引っかかったのは、関係を「絶つ」こと。
00:22 from web
結婚式。結婚式は、今まで、或いはこれからも関係を「続ける」人達の集まりである。断捨離の真逆。そして参列者は、当事者の「続けてきた」こと、関係の集大成を見せつけられると、実は一部しか知らなかったんだという現実を突きつけられると同時に別の一面が垣間見えて、感動させられてしまう。
00:30 from web
それにしても『断捨離』の特集を見た嫁は、真っ先にオレの集めてるパンフレットを槍玉に。もちろん人から見ればガラクタではあるが、僕は彼と対話をしたところ、まだ彼との関係を「続けよう」ということになった。というか、ずっと前から対話し続けているのだ。そこに『断捨離』の真意がある。奥深い。
00:35 from web
選択と集中。『断捨離』の適用の限界は、今、という時間軸で決める、というところ。儲からない事業は切ればよい。しかし、一度「断絶」した後には何も残らない。いま日の目を見ている事業は、スポットライトが当たるまで「続けてきた」からなのだから。
by swdssm on Twitter―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

使うものは使う。
使わないものは捨てる。
『断捨離』とは、簡単に言えば「なるべくモノを減らす」手段であり、
そして、モノに対しても、ヒトとの関係に対しても行う作業のようです。
要らないものを捨てる。と聞くと、無機質で、
合理性だけを追求しているような印象を受けますが、
しかし、その本質は、「捨てる」ことではないように思えます。
つまり、本当に大事なのことは、
無駄なモノを「捨てる」ことによって、
本当に必要なモノを「見つける」こと。
そういうことではないでしょうか。
更に勝手にこの考えを発展させると、
必要なモノを「見つける」まで
そのモノとの対話(関係)を「続ける」こと。
これが真意のような気がしてきます。
「捨てる」と「続ける」。
一見反対に聞こえるこの二つの作業が、
実はひとつなぎになっている気がしているのです。
これは、「記憶」するためには、「忘れなさい」という
ある意味、真逆のエッセンスを併せる作業に似ています。
或いは、「発散」と「収束」という言葉で
表現すれば理解しやすいのかも知れません。

さて、久しぶりに結婚式ラッシュです。
先日、4連荘のうちの一つに行ってまいりました。
今回も、懲りずに余興ビデオを友人と作ったのですが、
16時からの披露宴に、ビデオが完成したのが15時半!
あまりのギリギリさに、さすがに胃がキリキリする思いでした。
いっそのこと皆でブッチしよう、という声まで挙がっていましたから。
自分の喉からですけど。
そこまで時間がかかってしまった原因は、
カメラの高画質にPCの性能が追いつけていない、といったところ。
準備開始が遅かった、アイデアがなかった、とかじゃねぃです。多分。
内容ですが、今回は、情熱大陸とカンブリア宮殿とプロフェッショナルを
一気にパロディにする、というチャレンジをしました。
珍しく結構ウケたので多少いい気になっていましたが、
そんな気持ちも、新郎本人の出し物による感動で吹き飛んでしまいました。
長年「続けてきた」モノ。
「捨てず」に、自分の中で育て「続けている」モノ。
それを見せつけられた気がして、思わず泣いてしまいました。
そんなわけで、歳のせいか、酒のせいか。
随分と涙もろくなってきていることを、実感する。
そういえば、「泣く」と「笑う」も、
奥の方でつながっている気がしますね。

『断捨離』の特集をみた。意外と奥が深く感銘を受けた。意外と遅い話題だけど。。面白いと思った点。1)モノと対話すること、2)今、必要ないモノと「関係を絶つ」、3)モノの前に人がある。使うのがもったいないといったモノを「日用的」に使う。特に引っかかったのは、関係を「絶つ」こと。
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結婚式。結婚式は、今まで、或いはこれからも関係を「続ける」人達の集まりである。断捨離の真逆。そして参列者は、当事者の「続けてきた」こと、関係の集大成を見せつけられると、実は一部しか知らなかったんだという現実を突きつけられると同時に別の一面が垣間見えて、感動させられてしまう。
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それにしても『断捨離』の特集を見た嫁は、真っ先にオレの集めてるパンフレットを槍玉に。もちろん人から見ればガラクタではあるが、僕は彼と対話をしたところ、まだ彼との関係を「続けよう」ということになった。というか、ずっと前から対話し続けているのだ。そこに『断捨離』の真意がある。奥深い。
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選択と集中。『断捨離』の適用の限界は、今、という時間軸で決める、というところ。儲からない事業は切ればよい。しかし、一度「断絶」した後には何も残らない。いま日の目を見ている事業は、スポットライトが当たるまで「続けてきた」からなのだから。
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使うものは使う。
使わないものは捨てる。
『断捨離』とは、簡単に言えば「なるべくモノを減らす」手段であり、
そして、モノに対しても、ヒトとの関係に対しても行う作業のようです。
要らないものを捨てる。と聞くと、無機質で、
合理性だけを追求しているような印象を受けますが、
しかし、その本質は、「捨てる」ことではないように思えます。
つまり、本当に大事なのことは、
無駄なモノを「捨てる」ことによって、
本当に必要なモノを「見つける」こと。
そういうことではないでしょうか。
更に勝手にこの考えを発展させると、
必要なモノを「見つける」まで
そのモノとの対話(関係)を「続ける」こと。
これが真意のような気がしてきます。
「捨てる」と「続ける」。
一見反対に聞こえるこの二つの作業が、
実はひとつなぎになっている気がしているのです。
これは、「記憶」するためには、「忘れなさい」という
ある意味、真逆のエッセンスを併せる作業に似ています。
或いは、「発散」と「収束」という言葉で
表現すれば理解しやすいのかも知れません。

さて、久しぶりに結婚式ラッシュです。
先日、4連荘のうちの一つに行ってまいりました。
今回も、懲りずに余興ビデオを友人と作ったのですが、
16時からの披露宴に、ビデオが完成したのが15時半!
あまりのギリギリさに、さすがに胃がキリキリする思いでした。
いっそのこと皆でブッチしよう、という声まで挙がっていましたから。
自分の喉からですけど。
そこまで時間がかかってしまった原因は、
カメラの高画質にPCの性能が追いつけていない、といったところ。
準備開始が遅かった、アイデアがなかった、とかじゃねぃです。多分。
内容ですが、今回は、情熱大陸とカンブリア宮殿とプロフェッショナルを
一気にパロディにする、というチャレンジをしました。
珍しく結構ウケたので多少いい気になっていましたが、
そんな気持ちも、新郎本人の出し物による感動で吹き飛んでしまいました。
長年「続けてきた」モノ。
「捨てず」に、自分の中で育て「続けている」モノ。
それを見せつけられた気がして、思わず泣いてしまいました。
そんなわけで、歳のせいか、酒のせいか。
随分と涙もろくなってきていることを、実感する。
そういえば、「泣く」と「笑う」も、
奥の方でつながっている気がしますね。

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