岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

法華経信者の夢見たユートピア

2018-03-07 09:00:00 | 賢治と法華経
《『イーハトーブと満州国』(宮下隆二著、PHP)の表紙》

 そろそろこのシリーズもこれで終わりにしたい。
 宮下氏は、
 日蓮から発し、はるか後世の弟子弟子たちへと継承されて脈々たる流れがあった。
 開祖である日蓮の持っていた、聖なる狂気とでもいうべきものは、後世の弟子たちにもそのまま受け継がれた。彼の持っていた光と闇の両面を、賢治も石原も受け継いでいる。それは賢治が光で石原が闇という単純なものではない。
 そう、繰り返すようだが、まさにこの、理想社会の建設というベクトルこそが、日蓮とその弟子たちの際だった特徴である。
           〈202p〉
と断じていた。そして私も、基本的には肯う。弟子であった智学も、賢治も、そして石原、あるいは妹尾義郎も皆そのベクトルは極めて大きかったと。しかも、その向きはそれぞれかなり違っていたのだと。

 さらに宮下氏、
 法華宗(日蓮宗)は、日本の宗教史の中でも、極めて戦闘的かつ排他的な一派となった。昭和維新の嵐の中で起こった数々の血なまぐさい事件に、日蓮と法華経の影響を受けた人物が多数関与していたのも、決して偶然ではない。
 …(投稿者略)…当時の政治家、文化人、宗教家に大きな影響力を持っていた田中智学は、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた明治の御代に颯爽と現れた宗教改革者であった。…(投稿者略)…
 そして、宮澤賢治と石原莞爾は明らかに、日蓮から田中智学に至る、法華宗(日蓮宗)の系譜の中に位置付けられる、彼らはみな、理想郷を夢見た思想家であり、かつ、その実現のために奔走した活動家であった。
           〈203p~〉
と続けて、まとめていた。端的に言えば、
    智学の場合の理想郷は「八紘一宇」の世界
    賢治の場合の理想郷はイーハトーブ・羅須地人協会
    莞爾の場合の理想郷は満州国
であったということになりそうだ。そして、それはいずれの場合も「理想」郷のままで終わってしまったと言えそうだ。

 なお、この羅須地人協会に関して、国柱会講師補秋場善弥氏の〝羅須地人協会と「本時郷団」〟についての論考が見つかったので、次回はこのことについて少し述べてみたい。

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