やりたいことは、やり残したことだ!

今日一日を出来るだけ楽しく過ごすよう努めています。
日々の他愛のない出来事を取り留めもなく書いています。

防災ウォーク

2018-02-20 12:39:25 | 日記



2月18日の日曜日、静岡市ろうあ協会主催の防災ウォークに参加してきた。

この日は少し寒かったけど晴天に恵まれ絶好のウォーキング日和になった。

自分は手話サークルに所属しているのだが、当日は静岡市にある

5つのサークルから40名もの参加者が集まった。

9時半にJR清水駅をスタートし、およそ10キロの行程を避難ビルや

河川の氾濫箇所などを確認しながら歩いていく。



わが町の清水区役所。

住民の反対を押し切りさらに海の方に移転することがすでに決定済み(-_-)



これは老人ホーム。一応避難ビルに指定されてるものの建物は低い(・・?



歩道についてる海の方と避難ビルの方を指示するマーク。

今回歩いてみて初めて気付いた^m^



武田信玄が造ったという江尻城跡。今は小学校になってる。




川の土手を目的地に向かい上っていく。川沿いに梅が咲いていた。



今回の目的地の大正に建てられた鉄筋コンクリート造りのお寺「光福寺」。

地元にこんなお寺があるとは全く知らなかった(゜o゜)

参加してくれた方、お疲れ様でしたm(__)m

本当に感謝しています。











今日も自転車通勤

2018-02-16 12:44:30 | 日記

今日は朝寒かったけど、だんだん晴れてきて昼間は

暖かくなった。

昨日自転車でこけたけど、今日も頑張って自転車通勤。

子供の頃はよく肘や膝を擦り剥いていたなぁ。

痛い思いはしたくないけど、こうして血を流したりすると

生きてるんだと実感する。

大人になり何処へ行くにも車ばかり乗って行くようになり

こういうことは久しく無かった。

みんなもっと歩こう!自転車に乗ろう!





朝の衝突

2018-02-15 13:01:47 | 日記

今日の静岡市は日中18度にもなりさながら春の陽気だ。

朝の送迎を終え自転車で事務所へ向かう途中、前を走って

いた自転車が突然右折。

前輪が前の自転車の後輪に引っ掛かり転倒してしまった。

前の自転車の若い男は転ばずに一旦立ち止まり、なにやら

ブツブツ言って走り去っていってしまった。



膝、肘、手の指などを擦り剥いた。

警察に言えば事故として扱ってくれただろうかと後になって

考えてみたりした。

でも完全に相手が悪いとは言えない。

車とは違い自転車事故は曖昧で難しいなと思った。



健常者文化と障害者文化

2018-02-08 12:38:10 | 日記

「健常者文化」という言葉を障碍を持った方からたまに聞く。

障害者からこの言葉を聞くたび聞くたびに「健常者は障害者を

差別しているんだ」というニュアンスが含まれているのがひしひし

感じられた。

田舎なので今も少ないが、自分が子供の頃は街で車椅子の人なんて

ほとんど見たことがなかった。

障害者の数が少なかったのではなく、家や施設の中にいることが

多かったのだろう。

30年以上前は本当にそうだった。

家族も恥ずかしいという考えで隠していたのかもしれない。

障害者に関しての法律もとても不十分なものだったし。

ただ自分はやはり障害者のことを知らない人が多いのが

障害者への配慮がない社会になる一番の原因だと思うのだ。

差別しているのではなく彼らのことを知らないだけ。

当事者ももっと認知されるような努力をしなければいけないと思う。

そうした上で障害者は健常者はどう考えるのかをたくさん話し合えば

いいと思う。



坂本博之

2018-02-07 09:21:24 | 日記

主に90年代に活躍した元日本、東洋太平洋ライト級王者だ。

自分は当時ボクシングに興味をもっていたのだが、坂本選手の

ことは名前を聞く程度でよく知らなかった。

90年代初頭の日本ボクシング界と言えば鬼塚、辰吉、渡久地

選手が話題になっていた頃だ。

坂本選手はこの頃12戦全勝のまま日本タイトルを獲得し、

さらにノンタイトルながら1クラス上の日本王者にも勝っている。

目を見張る活躍なのだが当時ボクシング雑誌も含めたメディアは

坂本選手のことを人気の3人に比べてあまり取り上げていなかった

ように思う。

1995年、元世界王者のファン・コッジに敗れるも翌年に東洋太平洋

ライト級王座を獲得。

その後多くのノンタイトルなどをこなし1997年、29戦目にして

初めて世界へ挑戦することになる。

この29戦目27歳にして世界初挑戦というのは、ボクシングを

知っている人が聞いたら疑問に思うほど遅いと感じるだろう。

デビューからの活躍を見ていたら15戦目くらいで世界挑戦しても

不思議ではない。

プロモートに問題があったのではないかと勘繰ってしまう。

ほんとかどうかわからないが、当時のジムの会長の意向で坂本選手に

苦労させるために多くの試合をこなさせたという話を聞いたこともある。

坂本選手は子供の頃養護施設に入っていたことでも知られているが

ボクサーになってからもどこか不遇だったと思ってしまう。

この世界初挑戦は失敗し、その後それまでの経緯とは裏腹に立て続けに

世界挑戦するもすべて失敗に終わっている。

スポーツ選手にはピークというものがある。

坂本選手は時期を逸した感が否めない。