元ジュニアライト、ジュニアウェルター級チャンピオン。
今はフロイド・メイウェザーの叔父として有名かもしれないが
自分がボクシングに興味を持ち始めた時、海外の強豪選手として
メイウェザーのことを知った。
あまり知らないけど、若くして世界チャンピオンになってるから
チャンピオンになる前から期待のホープだったのではないだろうか。
スタイルもボクシングセンスを感じさせるものだった。
左腕を下げたスタイルから長いジャブを打ちながら必殺の右ストレート、
右アッパーを狙う。
この階級にしては背が高いので、あまりフットワークは使わず上体の
動きとブロックだけで相手のパンチをかわしていた。
しかしロッキー・ロックリッジに1回KO負けで王座を追われた後は
あのフリオ・チャベスに挑戦しているが2回TKO負けを喫している。
メイウェザーはジュニアライト級時代は打たれ弱かった。
その後階級を上げライト級で北米タイトルをかけパーネル・ウィティカと
戦うも判定負けを喫する。
この試合では得意の右ストレートでダウンを奪い、ディフェンスマスターを
あと一歩というところまで追いつめている。
さらに階級を上げ1987年、WBCジュニアウェルター級王者レネ・
アルレドンドに挑戦して6回、凄い右ストレートで倒してチャンピオンになる。
何回か防衛するものの3階級制覇を目論むチャベスと再び対戦して敗れた。
初戦と違い今度は簡単には倒されず10回終了時にメイウィウェザーが棄権した。
メイウェザーは階級を上げて打たれ強くなり、逆にチャベスはパンチを強振する
ようになりコンビネーションが続かなくなったのが原因と思われる。
その後IBFタイトルに2度挑戦するがラファエル・ピネダに8回までリード
するも9回に左フック1発で倒され、コンスタンチン・チューには勢いの差か
判定で完敗した。
晩年はパッとしなかったが一時期自分が憧れたボクサーだった。
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