わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、
実を結ぶものはみな、もっと多くの実を結ぶために、
刈り込みをなさいます。
ヨハネの福音書 15章 1節・2節
イエスさまをぶどうの木にたとえています。イエスさまに繋がって、豊かな実を結ぶ者となりなさい・・・と言っています。
教会の頭はイエスさまであり、教会はキリストの御体と聖書に書かれています。
イエスさまに繋がるとは、教会に繋がり、神様に聞き従って行く事です。
イエスさまの十字架と復活を信じ、信仰の告白をしておられるクリスチャンはたくさんおられます。けれど、クリスチャンのすべては教会に繋がっていません。教会に行っていても、あっちの教会こっちの教会と、渡り歩いてる方もおられます。
以前、そのような方が礼拝に集ったことがあります。70か80目の教会です・・と言っておられました。そのまま繋がることはありませんでした。
また、一年中、色々な教会を巡り、たまたま私たちの教会の礼拝に来た・・・と言う方もおられました。
イエスさまは、イエスさま・教会につながり、神様に従うなら、豊かな実を結ぶ者としてくださいます。実を結ぶために不必要なものは、私たちに刈り取る事ができなくとも、神様がすべてを刈り取ってくださるのです。
りんごの木の剪定を見たことがあります。まだ雪深い中、その剪定の作業を行なっていました。バッサリ・バッサリ枝を切り落として行きます。のこぎりで切り落としたり、剪定ばさみで切り落としたり。
もったいないと思いました。枝がついていたら、そこにもりんごが生るのに・・と。けれどそうではないのです。もっと大きな、もっと美味しい、もっとたくさんのりんごを収穫するために切り落とすそうなのです。
イエスさま・教会につながり、神様に従おうとする時、神様は私たちが実を結べるように刈り込み、剪定をしてくださるのです。教会に繋がりましょう。