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すずりんの日記

動物好き&読書好き集まれ~!

小説「雪の降る光景」小休止5

2007年01月09日 | 小説「雪の降る光景」
やっと第2章が終わりました。
いや~~、長かった。
長かったし、だんだん重くなってきて、つらかったです

以前第1章を手直ししたので、
第2章もそれに合わせて、手直ししながら載せていたのですが、
これを最初に書き上げたときは完璧!と思っていても、
やっぱり言葉や表現力が足らないところばかりで・・・
手直ししてアップしたあとに直したいところが目についたりね。

ちょうど年末で終われるか、と思ったんですが、
最後だけ年を越してしまったし。

とにかくまた少し小休止を挟んで、
それから第3章に突入しますので、
よろしくお願いします
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小説「雪の降る光景」第2章 終

2007年01月05日 | 小説「雪の降る光景」
 「おまえなんかに・・・、殺されてたまるか!おれを笑ったやつを1人残らず・・・殺して・・・殺して・・・。」
ハーシェルの視線が、床に滴り落ちる自分の血からゆっくりと私の方に向いた時を待っていた。
「言いたいのはそれだけか?」
今度は右肩を狙って撃った。彼は大きく仰け反り、両手首の手錠が皮膚に食い込んでいた。彼は何も言わず、目を大きく見開いて私の言葉を待っていた。
「あの時と同じように、おまえは卑怯者と言われるのだ。」
右の足首。
「幼稚な感情を持ったまま大人になってしまったおまえの、これがふさわしい最期だ。」
右わき腹。
「これがおまえの運命だ。」
左太もも。
「これが私の・・・。」
みぞおち。
 私は、彼が死んでしまったかと心配になり、一度銃を下ろして呼吸を整えた。
「まだ・・・まだおまえを殺すわけにはいかない。」
「・・・そうだ・・・おれを・・・ころ・・・殺すこと・・・がおまえの・・・うんめ・・・。」
顔は血の気が無くなり、全身はボロ布のようにズタズタになっていたが、彼の目だけはギラギラと輝きを増していた。
 私は再び銃を構え、5発の弾を彼に向かって撃ったが、彼はまだ死ななかった。いや、彼の中にある私への憎しみが死ななかったのだ。しかし、さすがに目もうつろだった。
「か・・・かな・・・らず・・・おまえ・・・ころ・・・。」
彼は一時私を見据え、がくっと首を落とした。
「ハーシェル・・・。」
彼は、もう顔を上げなかった。



 私は、収容所を出た。銃は部屋の中で落としたのか、手には何も持っていなかった。誰も、何も、言わなかった。ハーシェルをこの手で殺し、晴れやかなはずの道のりが、人生の終焉に向かっているように思えた。その道の、そんなには遠くない果てに、ハーシェルが立っていた。
「ハーシェル・・・。」
終わったのだ。彼は死んだ。私が殺したのだ。それが彼の運命だった。そして、私を殺すことが自分の運命だと、彼は言った。必ず、自分が私を殺すと。そう。それが私の運命なのだ。
「ハーシェル・・・。」
彼は不運な男だった。彼の唯一ラッキーだったことといえば、私の手で殺されたことくらいのことだろう。私は・・・彼が大嫌いだった。
「ハーシェル・・・。」
彼の名は、口に出すたびに次第に意味を持たなくなっていった。私の意志とは関係無く、機械的に動いていた私の足が、ふっと動きを止めた。
 私は、・・・涙を流していた。以前あの夢を見た時と同じ涙だ。涙が止めどなく、頬を流れ顎を伝って足元にポタポタと落ちていくのを、私はずっと眺めていた。
「ハーシェル!」
そうだ。・・・私は、殺してしまったのだ。お互いが絡み合ってこそ、その存在を証明し合えていたものを、お互いの存在でしかそのその価値をしることができないものを、私はこの手で断ち切ったのだ。もう、どこにも、私の存在理由を教えてくれる人間はいない。
「・・・ハーシェル!!」
 
 もう、他の言葉は思い浮かばなかった。ただ、ただ、私という「人間」の中から込み上げて来るものが、足元を少しずつ、そして確実に濡らしていった。

(第2章終わり。第3章へつづく)

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小説「雪の降る光景」第2章18

2006年12月28日 | 小説「雪の降る光景」
 「今日は黙って見ていろ。」
そう私が言うと、皆、一言も口をきかずに私の横に並び、いつものように記録の用意を始めた。サンプルは、相変わらず幽霊のようにユラユラと揺れていた。
「やぁ、おはよう。ハーシェル。」
彼が気づくように、わざと大きな音を立ててドアを閉め、私は中に入った。彼は顔を上げ、私を認めると、目を吊り上げて急にわなわなと震えだした。
「まだ生きていたのか・・・!」
私は、彼の息がかかるほど近くまで顔を近づけた。
「それはこっちの言うセリフだ。」
「なんだとっ!」
逮捕されて間もなく軍服を脱がされて下着姿で過してきた彼の体臭が鼻を突き、私は一歩後ずさった。
「この間の新聞を見ただろう。おまえはもう、この世には居ない人間なのだ。おまえは、病院で私を襲ったあの日にもう死んでるんだ。なぜ早く死なんのだ?」
「おまえを殺してからだ!おまえを・・・!」
ハーシェルの目は、私を睨みつけて離さなかったが、体は彼が言葉を発するたびに小さく前後に揺れ動いた。
「私を殺してどうする?」
「おまえを殺しておれが・・・、このおれが総統を守るのだ!」
 「・・・あの時と同じだな、ハーシェル。」
私はそう言うと、彼がいる反対側の壁際まで行き、再びハーシェルと向き合った。そして白衣のポケットから銃を取り出し、銃口をハーシェルに向けた。彼の歯がギリギリと音を立てていた。
「・・・どうする気だ!」
「あの時と同じだ。ハーシェル。」
彼が何かの拍子に大きく前につまづき、両手が上に引っ張られた。バンザイをしたような格好になったが、かろうじて膝を付くまでには至らなかった。
「・・・殺してやる!おれを笑うやつはみんな殺してやる!」
「あの時おまえは、ナイフで私の右手を刺した。そしてそのナイフで逆に自分が恥をかかされると、今度は私を陥れようと教官に告げ口をした。」
真っ白な壁に囲まれた2人だけの空間に時折響く、ハーシェルの吐息を私は穏やかに聞いていた。
「ちくしょう!おれを放せ!総統とボルマンを連れて来い!」
「・・・しかしその結果、私は総統に引き抜かれ、おまえはナチス失格だと言われた。」
彼が私の言葉を無視して鎖を引きちぎろうともがいているのが、構えた銃越しに見えた。
「・・・そうだ!おまえのせいだ!おまえのせいでおれは!」
「いいか、ハーシェル。思い出せ。これはおまえの銃だ。」
「それはおれのだ!返せ!その銃でもう一度おまえを撃ってやる!」
彼の右腕が一瞬私の方に伸びたが、鎖がピンと張り、その先に繋がっている手錠が彼の手首に食い込んだ。
「そうだ。おまえはこの銃で私を撃った。」
私は、彼の左足を狙い、引き金を引いた。一瞬彼は黙り込み、まるで他人事のように、血の噴き出した自分の左足を見つめていた。ペンキをこぼしたように、ハーシェルの足元の白い床が真っ赤に染まった。


(つづく)

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小説「雪の降る光景」第2章17

2006年12月23日 | 小説「雪の降る光景」
 最期を迎えるまでの1週間、ハーシェルには、朝夕のわずかな食事と共に私への憎悪が与えられていったが、それが逆に食事から得られるカロリーを食い潰して、日に日に彼の中に増殖していった。
 今の彼にとっては、全てが私のせいなのだ。こうやって、捕らえられて私の前に膝まづいているのも、ひもじい思いをしながら1週間生き恥をさらされているのも、病室で私を襲う破目になったことも、銃で私を撃ったことも、総統が自分に裏切り者のレッテルを貼ったのも、前線から本国へ送り返されたのも、ゲシュタポとして数多くの人間を殺してきたことも、そして、いつの頃だったか、自分が私と出会ったことも。・・・全てが私のせいなのだ。そうでなければ、この実験は失敗に終わる。この憎しみが無ければ、彼はとっくに朽ち果てているだろう。憎悪というエネルギーに、彼は生かされているのだ。

 その日私は、今まで味わったことの無い興奮を感じていた。次の日にピクニックを迎える子供のようであった。心がウキウキしているのがわかった。

 ハーシェルは、その日の朝、食事が与えられなかったことに気づいてはいなかった。彼の胃は確かに空腹を感じてはいたが、彼の意識は、いつ果てるかもわからないほどの私への憎悪で一杯だった。
 彼は、サンプル№1057としてその部屋に連れて来られ、壁から数メートル離れた所に立たされた。有無を言わせず両手両足に着けられた枷は、4つともそれぞれ太い鎖で彼の背後の壁の四隅へと繋がっていた。ハーシェルが、立っているのも精一杯でフラフラしながら鎖をカチャカチャいわせているのを、私は隣の部屋から眺めていた。
 今日の実験が私の一存でいきなり決まり、サンプルとその実験内容が最初から指定されていたことについて何か聞きたそうな顔をして、部下が数名私の背後から近づいていたが、ハーシェルのいる部屋を一望できる目の前のガラスに視線を移して、1人が足を止めた。
「所長・・・。」
そう言いかけた自分の顔の横で、殺気立った私の顔がガラスに映っていたのだ。


(つづく)

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小説「雪の降る光景」第2章16

2006年12月19日 | 小説「雪の降る光景」
 今までは全て予定通りだった。・・・そう、今までは。ハーシェルは、自身の死を以ってクライマックスに臨み、それと同時にこのドラマも幕を閉じる。しかし、私は、・・・私はどうなる?私は、彼とのクライマックスを迎えドラマが終了した後も、生き続けなければならないのだ。私のその後は、誰が筋書きを書いてくれる?私がこれからどうなってしまうかを、誰が知ってる?私がハーシェルにそうするように、いったい誰が自分の死を確認してくれるのだ?
 私が、私が今すぐ脚本を変更して、ハーシェルを殺さなければ、きっと彼が自分の手で私を殺してくれるだろう。それはまた、それまで私が確かに生きていたという証にもなる。・・・しかし、それはもうできないのだ。私が彼を殺さなければ、今までの芝居は全部無駄になる。私が屋上で負った傷も、子供の頃のナイフの傷も、だ。いや、そればかりじゃない。彼との因縁そのものが無駄に終わってしまう。
 いったい、彼が死んだ後、誰が私の存在を記憶していてくれるだろうか。それも、ヒトラーの片腕とうたわれた冷酷非道な男ではなく、足かせとなっていた何かを外せずに一生を終えなければならなかった私を、である。いったい、誰が。
 その時、ただひたすらに道を歩いていた私の目の前を、白く小さなものが舞い降りて、足元に落ちた。それはゆっくりとではあったが、確実に数を増し、順々に揺らめいては落ちた。雪であった。しかしそれが本物の雪であるには少し季節外れなようにも思えた。私は、自分の目に映っているその「雪」に向かって、思わず両手を広げてそれを抱きしめた。何度も何度も、何の意味も無く、ただそれが無性に愛しかった。
 私は、意識が遠のくような感覚の中で、かつて見たあの夢の中の少女の想いを、強く自分に感じていた。

 

 生が永遠でないように、死も永遠ではあり得ない。
 生が永遠の中の一瞬なら、死も永遠の中の一瞬だ。
 死を恐れずに、ゆっくりと目を閉じれば、
 眠る時に自分の周りに在った多くの縁(えにし)と、
 目が覚めた時、再び必ず会える。
 
 誰も、孤独ではない。

 何ものも、孤独では在り得ないのだ。

 

 はっとして我に返ると、「雪」は消えていた。そして、私はナチスだった。


(つづく)


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小説「雪の降る光景」第2章15

2006年12月15日 | 小説「雪の降る光景」
 「ちくしょう!おまえさえいなければ!おまえさえ死ねば、俺はこんな目に遭わずに済んだんだ!覚えていろ!必ずおまえを殺してやる!」
「そんなに私が憎いか。」
私はハーシェルに憎まれるようなことはしていない。私の方こそ彼を憎いのに、この男はどこまで私を逆恨みする気なのだろう。
「何がおかしい!・・・えぇ?!何がおかしいんだ!笑うな!笑うな!!」
「私がこうなるように仕向けたのだ。あの屋上でのことも、病院でおまえが私を殺しに来ることも。全てはおまえに、・・・卑劣なおまえにふさわしい死を与えるためのものだったのだ。」
いいや、私はもう彼を憎んではいない。私は彼を軽蔑しているのだ。私は、彼の唾が私の制服にかかるだけで汚らわしく感じた。
「・・・そうだ!全ておまえのせいだ!おまえのせいで俺は!・・・俺は!」
「我らナチスが誇るべきゲシュタポが、聞いて呆れるな。」
今の彼の姿を見て、冷酷な殺し屋のハーシェルだとわかる者がいるだろうか。目の前で話している私でさえ、それを認めたくはなかった。
「笑うな!・・・笑うな!!」
「私だけではない。みんな笑っている。総統も、おまえの上司だったヒムラー長官も。」
鉄格子にぶつけるハーシェルの拳から血がにじみ、赤く錆びたような色に変わってきた鉄格子さえもが汚らわしかった。
「おまえのせいだ!おまえを殺してやる!絶対に殺してやる!笑うな!・・・笑うなー!笑うなー!!」
私は、息が切れて膝を付いてしまった彼の目の前に、自分のデスクに置いてあった新聞を私と彼の写真が上にくるように放り投げて、その場を立ち去った。

 全てが、私の予定通りだった。あの、屋上に向かう階段のシーンからスタートしたドラマが、ハーシェルの死というクライマックスに入ろうとしていた。

(つづく)


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小説「雪の降る光景」第2章14

2006年12月13日 | 小説「雪の降る光景」
 全てが予定通りだった。ハーシェルの侵入から10日ほどが過ぎ、私はいまだ治療継続中の、左肩の傷と右足首骨折のみを伴って退院した。ボルマンは約束通り私を迎えに来てくれて、改めて私の回復力に感服していた。私はボルマンに付き添われ、その足で党本部に向かった。
党本部で私を待っていた総統は、松葉杖をつき、左肩の傷をかばいながら敬礼をしている私に近づき、哀願するように両手を差し出して握手を求めた。
「御心配をおかけしました、総統。」
「ハーシェルは、党を裏切り、私を殺そうとした。君はその裏切り者に傷を負わされながらも、私に代わって彼に制裁を与えてくれた。」
総統は、私の手を強く握りしめ、瞳を潤ませた。
「たった1匹のネズミに傷を負ってしまって、お恥ずかしい限りです。」
「ハーシェルは死んだ。君は私の命の恩人だ。」
ボルマンが手配してくれた通りだ。総統は、ハーシェルが私の病室に忍び込んで来た際、私が彼をその場で殺したのだと思い込んでいた。現に、総統のデスクの上に置いてある党新聞の一面には、「裏切り者は死んだ!」と書かれた見出しと、私とハーシェルの写真が紙面の大部分を割いて載せてあった。1人は国民的な英雄として、そしてもう1人は国民的な裏切り者として。しかし、どちらもやっていることに何も変わりは無いのだ。

 私はその後ボルマンと別れ、1人で収容所へ向かった。アウシュヴィッツの独房に居るハーシェルに会うためだった。その、サンプル用の地下牢に、我が愛しのゲシュタポがうつろな眼をして膝を抱えて座っていた。彼は最初、私が誰かすっかり忘れてしまっているようだったが、私の足の先から頭のてっぺんまでゆっくりと視線を移していくうちに、ゆらっと立ち上がり、鉄格子越しに私を睨みつけてつぶやいた。
「いつかおまえを殺してやる。」
「おまえに“いつか”は来ない。」
彼は鉄格子から両手を伸ばして私の喉元をかき切ろうとしたが、それが失敗に終わると今度は鉄製のドアに体当たりして私への怒りをぶつけ始めた。


(つづく)



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小説「雪の降る光景」第2章13

2006年12月09日 | 小説「雪の降る光景」
 私は、刺すようなハーシェルの視線を体中に受けながらタイミングを待っていた。深呼吸をしたにも関わらず、奴の息はだんだんと荒くなり、それと同時に刃物のようなものが奴の胸元から顔を出して、暗闇にかすかに光った。
 奴がそれを大きく振り上げ、振り下ろしたその時、私の右手が彼の腕をわしづかみにし、持っていた刃物が宙に止まった。一瞬ハーシェルは、喉元から乾いた音を発し、硬直状態に陥った顔をゆっくりと私の顔に向けた。私が、右手の力を弱めずに目を開き、込み上げてくる笑いに顔をゆがめた時、奴は初めて驚きの声を発した。奴は混乱し、耳をつんざくような声で力任せに私の右手を振り払おうとした。私が、「生死をさまよっている」のではなく、「生きていた」。今のハーシェルには、それがわずかに理解できるだけだった。ただ、ただ、張り詰めていたものが切れた時の反動から生ずる恐怖、それだけだった。
 隣にいた2人の強靭な兵士が、未だにわめき散らしているハーシェルを、いとも簡単に両脇から押さえ、奴を連れ去ろうとしていた。
「私の退院まで牢屋にぶち込んでおけ。」
彼らは短く返事をし、ハーシェルを眉一つ動かさずに連行した。彼らと入れ違いに、ボルマンが病室に入って来た。
「早かったな。」
ハーシェルを見送った後、ボルマンはベッドの横に立ち、満足そうに私を見下ろした。
「何がそんなにうれしいんだ、ボルマン。」
「うれしくないのか?良かったじゃないか、裏切り者が捕まって。」
ボルマンがこれほど早く駆けつけて来たことについての疑問が私の意識に浮かんだが、一瞬のうちにシャボン玉のように消えた。
「ハーシェルをどうする気だ?」
「どうする気、だって?彼は死刑だ。決まってるだろう。」
私が微笑んでボルマンを見上げると、代わりに彼の笑みが消えた。
「どういうことだ?彼は公の軍裁判にかけられて、そして、死刑、だ。例外は無い。」
「ハーシェルは、私が殺す。彼は、ゲシュタポとして私を殺そうとしたのではない。彼は私の古くからの友人だ。彼にふさわしい死に方を知っているのは私しかいない。・・・ボルマン、君が何も言わない限り、総統は何の疑問も言い出したりしない。きっとハーシェルのことなんてすっかり忘れているよ。」
ボルマンは私から視線を外し、しばらく考え込んでいたが反論はしなかった。
「実験に使うのか?」
「あぁ、・・・彼は良いサンプルになるよ。」
「私なら、そんなことはできない。」
ボルマンは目を閉じ、小さく頭を横に振った。
「君は戦争屋じゃない。政治家だからさ。」
私も、ボルマンの真似をして頭を横に振った。


(つづく)

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小説「雪の降る光景」第2章12

2006年12月06日 | 小説「雪の降る光景」
 私が入院している2週間の間に、アネットとクラウスが、ボルマンからの偽の報告を受け、病室に駆けつけた。案の定アネットは、ハーシェルの存在さえ知らないままクラウスに肩を抱かれてベッドの端に腰掛けた。
「兄さんたら、全くドジなんだから!研究所の階段から足を滑らせて全身打撲だなんて!」
クラウスは、アネットの肩に手を添えながら優しく微笑んだ。
「そうですよ。あなたらしくもない。」
私は立ったままのクラウスを見上げた。
「これが、君たちの知っている私の姿だよ。」
「何言ってるのよ!他にどんな姿が兄さんにあるって言うのよ!」
「そうですよ。あなたはあなたじゃないですか。」
いや、私はナチスだよ、という言葉が、妙に場違いなような気がした。2人は、「階段から落ちた私」の間抜けな姿に多少苛立ちながらも、たった2週間の入院であることに安心し、30分ほどで帰って行った。
 その後、2日が経って奴がやって来た。ボルマンが置いていった2人の兵士は、隣の部屋にいた。ハーシェルは、ナチ最高幹部の1人である私がいる病室に誰も見張りがいないことに、たぶん何の疑問も感じないだろう。奴は誰の目にも留まらず、誰にも呼び止められずに、1人でこの部屋にやって来る。・・・そう、全て脚本通りだ。
 奴がドアを開け、じっと中を見回している。中は真っ暗だ。奴はすばやく部屋の中に滑り込み、その時無用心にもドアが音を立てて閉まった。奴は少しその音の大きさに驚き、しばらくドアにもたれてじっとしていた。奴が、この時ゲシュタポとして私を殺そうとしていたら、私は兵士を隣室に潜ませ目を閉じて彼を待ったりはしなかっただろう。今のハーシェルは、殺し屋としては失格だ。真暗闇の中で目を閉じて寝た振りをしている私でさえ、奴の気配から、その一挙手一投足が手に取るようにわかる。奴が私のベッドの脇に立ち、再び静止した。そして、食い入るように私を見つめていたかと思うと、突然、何度も何度も深呼吸をし始めた。

(つづく)

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小説「雪の降る光景」第2章11

2006年12月04日 | 小説「雪の降る光景」
 「あぁ、そうだ。忘れていたよ。さっきドクターが、念のために全身の精密検査をしたいと言っていたよ。」
「ボルマン、私はどこを撃たれたんだ?」
ボルマンは、呆れ顔で優しく笑顔を向けた。ボルマンも私も、握った右手を引くタイミングを探りながら会話を続けていた。
「弾丸は、左肩、心臓の上辺りを貫通した。その傷と右足首の骨折、打撲など、少なくとも約2ヶ月の入院になるとドクターは言っていたが。」
「そうはいかないよ。次に君が見舞いに来てくれる日には必ず退院するつもりだ。」
ボルマンは堪えきれず、笑い声を上げ、それをきっかけに、私は握手を解いた。
「全く、君の体力と精神力にはいつも驚かされるよ。・・・で、私は次に、いつ来れば良いんだ?」
「・・・2週間後だ。」
ボルマンの笑顔はまだ続いていたが、彼は少し悲しそうにつぶやいた。
「君を敵に回すなんて、ハーシェルも馬鹿な真似をしたものだな。」
彼はコートに袖を通しながらそう言い残し、病室を出て行った。

 ハーシェルのことは相変わらず私の頭から離れることは無かったが、第一のステージが計画通りに終わったことで、とりあえず今は休息を取ることにした。今病室を出て行ったボルマンが、別室でドクターと密談をしていることは予想もしていなかった。

 「それで、さっきの話だが・・・。」

「えぇ、まだ確かなことではありませんが。」

「しかし、よりによって癌とは・・・。」

「ボルマンさん、お気持ちはわかります。ですから先ほど申し上げたのです。今すぐに手術すべきだと。」

「ドクター、確かに私は、友人として彼を気の毒に思っているし、1日でも長く生きるために、できる限りのことをしてやりたいと思っている。しかし、私はナチスなのだよ、ドクター。」

「私も一応、その端くれとしてこの病院に勤めているんですが。」

「ドクター、私だけが特別なのではない。もし、彼と私の立場が入れ替わったとしても、彼は君に同じことを言うだろう。」

「しかしボルマンさん、それはあまりにも・・・。」

「我々はそのうちに、後の時代に生きる人々に感謝されるようになるだろう。投薬も何もせず自然に放置したままの癌細胞の成長を正しく把握することこそ、それを阻止するための薬を作り出すための第一歩なのだからな。」

「ボルマンさん、そんな立派な大義名分があるのなら、彼もナチスの一員としてこのような判断をしたあなたを責めたりはしないでしょうに。」

「そうだ。今、彼に、彼の体が癌に蝕まれている事実を話しても、彼は決して動揺したり、私を責めたり、薬の副作用を受け入れてまでも延命することに賛成したりはしないはずだ。」

「では、なぜ?」

「彼が自分の病名を正しく認識したら、彼の生命力は、自らその病気を治してしまうのだ。」

「そんなばかな!いくら強い人間でも、治癒力がそこまで・・・。」

「彼はそうなのだ。彼が恐れるのは自分の死ではない。自分が人間に戻ること、つまり、ナチスとしての自分の死、だ。」

「ボルマンさん、あなたは、そんな彼が恐いんじゃないですか?」

「そう、正直、私は彼が恐いのだ。自分の死を恐れない彼の存在が恐ろしくてたまらないし、彼の存在に、総統や我々ナチスへ影響を及ぼしてほしくない。そして、そんな彼の死を、この目で見届けたいのだ。」

「彼を抹殺する良い機会だ、というわけですね?」

「・・・そう思ってもらって結構だ。では、よろしく頼むよ、ドクター。」


(つづく)
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小説「雪の降る光景」第2章10

2006年12月01日 | 小説「雪の降る光景」
 「あの時・・・。」
「あの時?」
「そうだ、あの時だ。君が、仲間と一緒に私を襲い、そして呆気なく気を失ってしまったあの時、・・・あの時と同じだ。」
ハーシェルは何も答えなかったが、彼の銃を握る手に力が入った。・・・もう少しだ。
「あの後、君は誇らしげにあの時のことを教官に報告した。が、君は褒められるどころか腰抜け呼ばわりされ、私は君の軽はずみな密告のおかげでナチ党幹部に抜擢された。」
「しかし今度は違う!今度こそおまえは!」
銃を持つ右手が小さく震え始め、彼は銃を持つ手を左手で支えた。9時20分。・・・よし、今だ。私はハーシェルの真似をして、空を見上げて大声で笑った。
「引き金を引いてみろ!腰抜けめ!!」
そう言って私が微笑んだその瞬間、彼の理性が消え、銃が火を放った。
 私は撃たれた反動で後ろに仰け反り、手すりを越えてそのまま真下へ落下した。体中が燃えるように熱く、全身から血が噴き出すような衝撃を感じた。私は薄れていく意識の中で、ハーシェルの奇声を聞いた。
「まだまだだ、ハーシェル・・・。」
そうつぶやくと、私は静かに目を閉じた。


 私は指示通りの時間に駆けつけた部下によって、軍病院に運び込まれた。無数の打撲傷や、弾丸が貫通した穴が速やかに処理され、数時間後に麻酔が切れて私が幹部専用の特別室で目を覚ました時には、すでにボルマンが駆けつけてベッドの横で医師と話をしていた。ボルマンは布の擦れるかすかな音を聞き、ベッドに寝ている私に視線を落とした。そして、私が目を開けているのを知ると、急に顔を近づけてきてこう言った。
「誰にやられた?」
「ゲシュタポだ。」
私のその一言で、ボルマンは何かを察したようだった。
「彼は今どこにいる?」
「わからない。が、私がここで生きているのを知れば、必ずここにやって来るはずだ。いいか、ボルマン。党内部には、私は瀕死の重傷を負って病院に運び込まれた、と伝えてくれ。怪我を負わせた犯人は現在不明で、私が意識を取り戻し次第モンタージュを作り、指名手配捜査を開始する、と。」
「しかし、ハーシェルがそんな罠に掛かるとは思えんが。もう少し慎重に計画を練った方が・・・。」
ボルマンは、計器のチェックを終えた医師が病室から出て行くと、改めてコートを脱ぎ、来客用の椅子に腰掛けた。
「ボルマン、私の話を聞いてくれ。彼はすでにゲシュタポとしての平常心を失っている。私に怪我を負わせた頃に退行しているのだ。君が流した噂を聞けば、私に一刻も早くとどめを刺そうとするだろう。でないと自分が殺られる、ということで頭が一杯になるはずだ。自分をおびき出すための罠だということなどに、頭は回らないのだ。」
「わかったよ。」
ボルマンは、私の言う内容に納得がいったのではなかった。私の言う理屈が誰を以ってしても曲がらないことをわかっているのだ。私は、最初の提案にボルマンの了解を取り付けたことで、気を良くして言葉を続けた。
「おとりは使わなくても大丈夫だ。生死をさまよっているはずの私が、まさか自分を取り押さえようとは思ってもみないだろうからな。」
「・・・よし、では、彼が腰を抜かした後、直ちに逮捕し連行するために、病院に2人だけ兵士を残しておこう。」
「ありがとう。助かるよ。」
私は立ち上がって公務に戻ろうとするボルマンに握手を求めた。

(つづく)

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小説「雪の降る光景」第2章9

2006年11月29日 | 小説「雪の降る光景」
 「総統が知れば、おまえの妹も妹の恋人も収容所行きだ。そしておまえは総統への忠誠を2人の命と引き換えに誓うことになる。もしくは裏切り者のレッテルを貼られ、妹と一緒に収容所で死ぬか・・・。ふふっ。どっちにしても、おれの前から邪魔なおまえの姿は消えて無くなるというわけだ。」
ハーシェルは、そう一気にまくし立てると、ゆっくりと私に銃口を向けた。が、彼には私を殺す意志の無いことは明らかだった。銃は、あくまでも脅しなのだ。私にははっきりとそう言い切ることができた。なぜならば、今私の前にいる人間は、ゲシュタポではなく、あの臆病者のハーシェルなのだ。
 普段から「虫けら」を殺すことには慣れているゲシュタポでも、同胞に銃を向けることを許されているはずは無かった。今の奴の心理状態は、ゲシュタポとしての理性を失い、完全に、学生であった頃の幼児性を取り戻していた。それゆえに、後先を考えず邪魔な者をむやみに痛い目に遭わせようとはするが、その相手が自分に従順になりさえすれば気が済むのだ。それ以上の状況の予測に関しては頭が働かない。・・・ということは、妹のアネットは人質に取られているどころか、今頃家で忙しく洗濯でもしていることだろう。
 「奴に私を撃つ意志は無い」・・・とすれば、私の意志で発砲させれば、彼は間違いなく幼児性を爆発させる。すなわち、・・・発狂、だ。
「おまえがいなくなれば、おまえの地位はおれのものになる。」
「それはどうかな?」
「・・・なにっ!」
私は彼の言葉を左に感じながら、1メートルに満たない手すりの方へゆっくりと歩き出した。そして手すりに手をかけて振り向き、一瞬、腕時計を見た。9時12分。・・・まだ早い。

(つづく)
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小説「雪の降る光景」第2章8

2006年11月28日 | 小説「雪の降る光景」
 収容所に着くと、私はまっすぐに屋上へは行かずに実験室に顔を出した。予定していない日に姿を見せることなど滅多に無い私に、みんないっせいに驚いてみせたが、私はそれを無視して、実験の一切を任せている部下の1人に、30分後に屋上に来るように言った。自分がハーシェルに万が一負けるようなことになった時のためではない。これも、演出の1つだった。
 屋上に開くドアの前で、私は立ち止まって腕時計を見た。9時1分。この5階建ての建物の屋上で、これから何が起こるのか、それは私をここへ呼び寄せた張本人のハーシェルにも予想することはできないだろう。なぜならば、私が屋上へ足を踏み入れた時、そこはすでに私が演出したドラマの舞台となるのだから・・・。私はゆっくりと鉄製の重いドアを開けた。私と彼の2人芝居の幕は上がったのだ。
 「必ず来ると思っていた。」
ハーシェルは、手すりにもたれかかったまま私を見ていた。
「妹は無事なんだな。」
「あぁ、今のところはな。」
ハーシェルは、一瞬殺気が途切れた私をあざけるように小さく笑った。私は彼の笑い声のする方向へ近づいていき、屋上の中央付近で足を止めた。
「おまえの妹、反ナチの男と付き合っているそうじゃないか!このことを総統は知ってるのか?知ってるわけがないよな!」
彼は高く上った太陽に向かって甲高く声を上げ、もうすでに自分が私に勝利したかのような錯覚に陥っていた。


(つづく)
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小説「雪の降る光景」第2章7

2006年11月24日 | 小説「雪の降る光景」
 それからさらに1週間が過ぎた日の朝、私が定刻通り総統の別荘へ向かうため家を出ると、道端で、5、6歳の少年に呼び止められた。私はその少年の姿に見覚えは無く、少年もまた、私を知っている様子ではなかった。その少年は、みすぼらしい身なりを恥ずかしく感じるふうでもなく、私の怪訝そうな顔に微笑みかけて、汚れた指で紙切れをポケットからつまみ出し、私に見せた。私はその少年の微笑には応えずに、無言で紙切れを受け取った。少年が走り去って行く姿を目で追いながら、4つに折られた紙切れを開くと、紙の右下に走り書きされたサインが真っ先に目に入った。ハーシェルからだ。
 彼はいったい、どこにいるのだ。なぜ姿を見せないのだ。何か目的があるのか。彼はいったい、何をしようとしているのだ。・・・明らかに私は動揺していた。そのために、その文面に一度は目を通したが、内容は全く頭に入って行かなかった。私は別荘に向かうのが大幅に遅れるのを承知で、立ち止まったままゆっくりと、もう一度読み返すことにした。


「別荘に着くいつもの時間に、収容所の屋上へ来い。
さもないと妹を殺す。
                 ハーシェル・マイラー     」



 一語一語を暗誦するようにして最後まで文面を読み終えた時、私の心の中には、彼に対する同じナチスとしての尊敬や彼と共に死という運命に殉じようという神聖な想いが存在するはずは微塵も無かった。代わりに思い浮かんでいたのは、まだ学生の頃に汚い手を使って私や仲間たちを痛めつけようとした、あのハーシェルの姿であった。ゲシュタポとして大成した彼ではない。見栄っ張りで、自己本位で、幼稚で、他人を蹴落とすことしか頭に無い、あのハーシェルである。その彼が、自分の願望の達成のためにまたしても私以外の人間の命を引き換えにしてきたのだ。
 私は今わかった。私の命を道連れにしてやるほど、私にとって彼の存在は重くは無いし、私はこんな下衆に黙って殺されるほど馬鹿じゃあない。とすれば、答えは1つだ。私の手で奴を殺す。しかも後々にまで、総統をはじめ我々ナチスの顔に泥を塗った人間として人々に語られるための最高の演出を、彼のために用意しておくとしよう。

 私はいつも通る道を引き返し、急いで収容所へと向かった。


(つづく)

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小説「雪の降る光景」第2章6

2006年11月21日 | 小説「雪の降る光景」
 その日の午後、ハーシェル逮捕の指示を受けたゲシュタポの1人から、彼を確保したとの連絡が入った。当然のことだが、ハーシェルは相当抵抗したらしく、彼も彼を確保した数人の兵士も、かなりの怪我を負ったらしかった。いくら軍の人間でも、あくまでも「逮捕」の命令しか受けていないのだから、当たり前のように人を殺してきたゲシュタポの必死の抵抗を防ぐことは、並大抵のことではなかったに違いない。
 ハーシェルは入れられた独房の中で、総統とボルマンへの面会を求め続けていた。そしてそれが実現できないことを知ると、
「ちくしょう!・・・またあいつの仕業か!」
そう言ったきり黙ってしまったのだそうだ。私たちがそのように報告を受けた時、彼がおとなしくなったことでとりあえずホッと胸を撫で下ろしているボルマンの横で、ハーシェルが最後に言ったその言葉が、私の胸に深く突き刺さっていた。「面倒なことにならなければ良いが。」・・・私はそう思っていた。しかし、「そうならなければ良い」と願う気持ちほど、時にあっけなく裏切られるものだ。そしてこの場合も例外ではなかった。この日の未明に、ハーシェルが独房を脱走したのだ。
 彼は必ず、私の前に姿を現す。そのことには確信があったが、だからといって私が前もってどのような対応をすれば良いのか、という点については、私は何一つ確かな答えを引き出すことはできなかった。

 彼が姿をくらましてから3日が過ぎた。彼は一向に消息がつかめず、私は相変わらず、彼と対面した時の対応に答えを出せずにいた。総統は、姿を見せぬまま自分を再び殺そうとするかもしれないハーシェルの名前が自分の耳に入るのを極度に恐れていた。ボルマンは、そんな総統に気遣いながらも、ハーシェルはどこかで死んだのだ、と思い込もうとしていた。そして私は、何も考えられずにいた。ただ、「ハーシェルは必ず、私の前に現れる。」ということだけは、私にとっては、火を見るより明らかなように思われた。

 彼に怯えていないとは言い切れなかった。しかし、怯え切っているという訳でもなかった。何か目に見えない運命のようなものに殉じるような、神聖な感じがしていた。・・・そう、その運命が、「死」そのものを意味するものであったとしても、である。彼が正々堂々と、正面から私を殺そうとするならば、そして彼が、私を殺した後「ナチスを裏切った者」としてのレッテルを貼られ、裁判で死刑の判決を受ける覚悟をしているのなら、私は喜んで彼に殺されようではないか。・・・恐いことなどない。なぜならば、私と彼はたぶんこうやって、今まで何度も生死を繰り返してきたのだから。


(つづく)


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