goo blog サービス終了のお知らせ 

にゃんこと黒ラブ

猫達と黒ラブラドール、チワックスとの生活、ラーメン探索、日常について語ります

コロナパンデミック後の仕事

2021-04-26 18:25:00 | 日常

 コロナパンデミックで大規模な社会変動が起こる昨年初めあたりまでは、AIの導入で雇用はどう変わっていくかがずっとメディアで議論されてきた。

 日本のメディアでは雇用消失の話はあまり好まれていない。アメリカでは執拗にこの話題が登場していた。人間のする仕事が機械やAIによって奪われて、どれだけの職業がこの世から消え去るのだろうか?という危機的試算が具体的になされてきた。

 日本ではどうして雇用消失の話が好まれないのかというと、これはたぶんマスメディアで働く人たちが「これから食えなくなる職業」のリストのけっこう上の方に出てくるからです。

 最新の統計では、民放TVは感染症の影響で大幅な収入減となっている。スポンサーである企業の収益が落ちているから、民放TVの人件費、制作費はさらに大幅な圧縮が予想される。

 若者のテレビ離れ、活字離れも大きな影響を与えている。彼らはいわゆるTV番組に無関心で、スマホでYouTube動画やSNS動画で興味あるものだけを選んで見る。

 だから、新聞、テレビ、広告代理店を就職先に考えている人は立ち止まって一考した方がいい。一般人がこの業界について知っている情報はこの業界経由でしか伝えられないのです。メディアにとって不利な情報をメディアは伝えないということです。

 これまでも科学技術の進歩によって旧時代のシステムやそれに依存していた職業が消えるということは何度もあった。でも、今回のAIによる雇用の再編は規模と速度において歴史上類をみないものなのです。










 コロナパンデミックによって、仕事の再編成は加速しそうな勢いだ。AIの恐ろしいところは、ゼロか100%の両極端であること。AIによって取って替わる仕事は、ある日突然にゼロになるということ。

 それによって何十万人、何百万人もの人が短期間のうちに全員失業することになります。なんとかしないと大量の失業者が次々とさまざまな業界から出てきて、消費は冷え込み、市場は縮減し、税収は落ち、治安は悪化して社会そのものの活力が失われるのです。

 コロナパンデミック後のこの5年、10年はほんとうに大変な時代になるのです。あまりにも急激な社会変化に我々はできる限りの準備と備えをしていかなければなりません。

 その準備と備えのできない人にも国は生きていくだけの支援をしなくてはいけません。もはや自己責任では片付けられない国の責任と政策が必要なのです。




 


クラウドファンディングとは?

2021-04-22 19:50:00 | 日常

 クラウドファンディングという資金調達の仕組みをご存知でしょうか?

 どうやら2000年代にアメリカで生まれて、日本では震災後この10年で急速に広がりつつある。あるサイトからの引用。

クラウドファンディングとは、「群衆(クラウド)」と「資金調達(ファンディング)」を組み合わせた造語で、「インターネットを介して不特定多数の人々から少額ずつ資金を調達する」ことを指しています。

 資金調達といえば、一般的に金融機関からの借入や関係者・ベンチャーキャピタルによる出資などがあげられます。クラウドファンディングは、そういった資金調達にはない「手軽さ」や「拡散性の高さ」、「テストマーケティングにも使える有用性」といった点が魅力的な新たな資金調達の仕組みとして近年注目されています。

 中でも、「こんなモノやサービスを作りたい」「世の中の問題をこう解決したい」といったアイデアや想いを持つ人は誰でも“起案者”として発信でき、それに共感し「応援したい」「モノやサービスを試してみたい」と思った人は誰でも“支援者”として支援できる、双方にとっての手軽さがクラウドファンディング最大の特徴といえます。』



 ネット社会の申し子みたいな感じがする。不特定多数の共感した人から支援を受けるという仕組み。しかし、支援の善意を悪用する人はいないのだろうか?


 調べてみたらやはりありました。融資型のクラウドファンディングでは、出資したお金が全て戻ってこない事例が頻繁してる。でもこれは自己責任で法律的には詐欺には当たらないそうである。


 あくまでも同意(口約束)と支援によって成り立っている契約ではない何といい加減なお金集めシステムなのだろう。手軽に集めたお金は手軽に消えていくようでならない。















  




悪い予測はよく当たる

2021-04-21 18:00:00 | 日常

 ポストコロナ期をどう生きるか?
という問いを立てたところで、私たち年配者はあまり役に立つような知恵を伝えることができない。

 今まで人類は「ポストコロナ期」に相当するような時代を生きたことがない。だから、「こういう場合にはこうすればいいのだよ」というような古老の知恵をお伝えすることができない。

 僕たちが熟知している世界であれば、それがどうして成り立ったのか、どういう仕組みなのか、どうやって制御したらよいのか、どう振舞ったらいいのかについてそれなりに有用な知見をお伝えすることができる。

 でも、若い人がこれから生きる世界は僕たちの手持ちの経験値が適用できない未知の世界です。政治経済のシステムも、仕事のやり方も、家族のかたちも変わる。全部、変わる。

 だから、アフターコロナの世界はいろんな人がいろんな予測をして、当たったり外れたりする。外れることの方が多いような気がします。

 未来予測が外れるのは主観的願望のバイアスがかかるからです。「こうなって欲しい」ということの実現可能性を過大評価して、「こうなったらいやだな」ということの実現可能性を過小評価する。おしなべて人間はそういう傾向がある。

 「こうなったらいいな」という願望バイアスのせいで予測を誤ることが多く、「こうなったらいやだな」という「起きて欲しくないこと」の実現可能性を過大評価して予測を誤ることは非常に少ない。

 まことに皮肉なことですが、『悪い予測はよく当たる』んです。ポストコロナ期では仕事のあり方がかなり変わってくると思う。またの機会にどう変わっていくのか書いてみたい。















 

ツツジの季節〜東京オリンピックとワクチン接種

2021-04-19 18:36:00 | 日常

 なな&りりィの散歩道にはツツジの植え込みが多く、日当たりの良い場所では白、赤、ピンクの花がもう咲いてきている。

 これから新緑の季節だというのに、世の中はコロナ禍影響でパッとしない。東京オリンピック開幕まで3ヶ月だというのに、真に人手が必要な準備がほとんどできていない。

 医療関係者の確保もまるで足りない。競技会場でいろいろなサポートに当たるボランティアの人集めも計画的な準備ができていない。

 オリンピックというとんでもない一大イベントを観客なしで実施するだけでも、途方もない人手が必要だ。実行委員会組織はほんとうに実現するだけの準備、手配ができるつもりなのだろうか。









 自民党の重鎮が今回のオリンピックについて、最悪中止もあり得るのではと発言しただけで、ほんの一部だけを切り取ってあれこれと周り(マスコミ)が騒いでいる。

 たしかにその重鎮は問題発言も多いが、今回は真っ当なことを話している。かなりの方が思ってることを素直に述べただけだと感じる。

 オリンピック開催に水を差す話ではないと思う。普通に冷静に考えたら、この状況下で世界規模のスポーツ祭典はできないと考えるのが普通である。関係者の方々は内心厳しいと思っても口に出して誰も言えないだけだと思う。

 アメリカでは、ワクチン接種が国民の1%も満たない国で「一緒に競技して感染しないか」とアスリート関係者から出ているらしい。

 9月までに国民分全員のワクチンを用意できると政府は言いながら、現実は65歳以上の高齢者だけで来年3月まで接種終了がかかるかもなんて言っている。

 ワクチンはあってもその接種計画、実施状況があまりにも現実進まないのが現状。素早く何とかしてもらいたい。




自由を使いこなす能力

2021-04-14 20:23:00 | 日常

 高校を卒業して大学生活に入ったとき、「なんて自由なんだ」と思った。自由という時間や行動や責任を初めて感じて、嬉しくてたまらなかった。

 受験勉強とは異なり、やりたい学問を好きなだけ勉強できるという喜びでキャンパスに行くのが楽しかったことをよく覚えている。

 人間は本来、自由に考え、自由に行動する権利を持っている。社会のルールは、各人の自由と自由が衝突したときに、弱い方の人が痛みを感じたり、我慢を強いられたりしないように作られたものだが、先にあるのは自由であって、ルールではない。

 ただし、自由の度合いが大きければ大きいほど、すべての人にとって良いかと言えば、それは必ずしも正しくないといえる。一人一人にとっての最適な「自由の大きさ」は、その人が持っている「自由を使いこなす能力」に対応している。

 旅慣れた人なら、旅行先で「1日、自由に過ごしてください」と言われたら、自分で情報を集めて計画を立て、満足できる時間を過ごせるでしょう。

 けれども、あまり旅慣れていない人なら、自分で内容を自由に決めるという意味での「自由度」が少なくていいから、失敗しない計画を誰かに決めてもらえたら、と思うでしょう。

 怖いのは、自分の能力以上の自由を与えられたとき、その人はそのストレスに疲れて自由を手放していいから他人に物事を決めて欲しい、と投げ出してしまうようなことである。

 そうならないために、自由という道具を使いこなす能力を積み重ねて磨いていくことは大切なことです。

 マニュアルのない創造的な仕事ほど、この自由さが必要になる。遊びや無駄のない合理性を突き詰めてしまうと、新しい発想やアイデアなどはなかなか浮かばないものである。

 決まり切ったルーティーンの仕事に追われると、深く考えることを忘れてしまいがちである。その方が楽だと思う人もいれば、自由さのない苦痛を感じる人もいることでしょう。

 毎年、春先の4月は自由度の少ない仕事に追われて変な疲労感が溜まる。自分を律する自由をいつも求めていきたいものだ。