先代の4代目レガシィは、03年5月にフルモデルチェンジした。「年別レガシィ販売台数推移」で見ると、04年からのミニバンブームで他車が販売台数を落としている中で、RVとして人気が高いツーリングワゴンを有するレガシィは、従来並みの台数を確保している。
07年は、同年に登場した新型「インプレッサ」の影響で、販売台数が低下している。08年に入ると、1月の「フォレスター」マイナーチェンジの影響 . . . 本文を読む
3.50連勝を阻め、日本での戦い
国際レースのファクトリー・スケールのレース活動はとりやめることになったが、国内におけるファクトリー・スケールのレース活動は継続できることになった。
ファクトリー・ロータリーレーシングカーが国内のレースにデビューしたのは、1969年11月に鈴鹿サーキットで開催された「全日本鈴鹿自動車レース」である。
当時、ツーリングカーの王者は、スカイラインGT-Rであった。 . . . 本文を読む
SA22C RX-7もP815、P130とマイナーチェンジを繰り返す度に重量が増し、要求性能も高度化が求められるようになった。
次期RX-7を考えると、12A+ターボチャージャーで馬力的にはOKだが、ピュアースポーツのドライバビリティとしては低速のトルクが不足である。
どうしても、低速トルクの太いエンジンがほしい。
それには、排気量をアップするしかない。13型の新しいロータリーエンジンがほし . . . 本文を読む
●フォードは、第二次大戦中ジープGPWを生産していた。軍需用に開発されたこのクルマの技術を、フォードは民需用として転換させることにした。そうした時期、シェル付きピックアップトラック改造4WDが流行り始め、SUV(スポーツ・ユーティリティ・ビークル)というカテゴリーが芽生えていった。
1966年にフォードのSUV第1号のブロンコが発売された。ブロンコは、ジープから受け継いだタフな足回りとセダンのよ . . . 本文を読む
由香里は、広島に来てからお好み村に行きたかったのだなかなかチャンスに恵まれなかった。事務系の職場なら同期の女の子が沢山いるので、友達同士誘い合って出かけているのだが、実験グループには誘い合う女の子がいなかったのである。
由香里は、喜んでお好み村に行こうと言った。
お好み村の前で待ち合わせた。
お好み村の3階にある「ひろちゃん」に陣取ってまず生ビールで乾杯。肴に適当な鉄板焼きを注文してから、お互いの . . . 本文を読む
ターゲットの定義
Webサイトの目的は、見込み客であるターゲットの商品に対する認識、知識、イメージを変え、商品購入態度や行動を惹起することです。
しかし、人間は自分に関係のあることや、自分の興味のあること、自分の利害に影響すること以外には関心を持たず、商品メッセージも受け入れません。
したがって、Webサイト効果をあげようとするのであれば、再三述べてきたように、訴求対象であるターゲットの生活 . . . 本文を読む
クラウドコンピューティングがビジネスを変える8つの方法続き
7.企業の側から見た、イノベーションや実験の容易さ。
事業を改善するための新しい方法を作り出すための、技術的な障害や経済的な障害が少なくなることから、クラウドコンピューティングは新たなアプローチのプロトタイピングと市場における検証を、以前よりも素早く、安価に行うことを可能にする。法的な問題、ブランディングの問題、コンプライアンスの問題は . . . 本文を読む
では、新型レガシィが大型化戦略を採用したマーケティング上の意味を考えてみよう。国際的な「Dセグメント」の意義は前述したが、国内市場ではどうだろうか。従来モデルのスポーツセダン派ユーザーからのある程度の抵抗は否めないが、クルマの出来からするとスバルらしさは十分にあり、スバル離れは起こらないと考える。
むしろ、この市場で新しく生まれた「真性団塊ジュニア世代」(72~81年生まれの20代後半~ . . . 本文を読む
11年の歳月が流れた。1981年に、トム・ウォーキンショウがスパ・フランコルシャン24時間耐久レースにRX-7 で出場した。耐久レース仕様235~240bhpのレーシング12Aエンジンを供給し、アドバイザーとして松浦が参加した。出場した3台のRX-7の内、トム・ウォーキンショウの1台がBMW530と激闘の末、日本車としては初めて総合優勝した。1970年のスパ・フランコルシャン24時間耐久レースでB . . . 本文を読む
それもつかぬま、レシプロエンジンにターボ着きが出てきて、またまたパワーコールである。
試作ターボエンジンが出来て、テスト走行が始まった。
三次のテストコースで乗ると、ガクンと加速が始まり背中がシートに押し付けられた。
今まで味わったことのない荒々しい加速である。
このパワーの出方では商品にならないと、田所に言ったら、まずターボをお前に理解させるために乗せた。商品化できるまでこの特性をマイル . . . 本文を読む
4.カルチャーとしての4WD
アメリカで4WDがカルチャーになった。
アメリカの1960年代は、黒人と白人、若者と大人、さらには戦争に送られる下層市民と徴兵を逃れる上流市民、傷ついた帰還兵と一般市民が、互いに対立しあう、混沌とした社会であった。
トンキン湾事件を引き金としてベトナム戦争(1965年~1972年)へ発展した。北ベトナムへ地上軍を進めることの出来ない米軍は、北から次々に侵入する . . . 本文を読む
量産となると信頼性の問題と性能面の問題とそれぞれについてたくさん問題があった。
由香里の耐久テストベンチは、そうした問題を解決するのが仕事であった。
信頼性の面では、横のシール部分、サイドシールにサイド排気にしたがために従来にはない問題が出てきた。
ある時間、耐久テストベンチで回すと出力が低下してきた。
そこで、エンジンをバラして、調べると、ローターのサイド面にカーボンスラッジが溜まり、サイドシー . . . 本文を読む
セグメンテーション基準としては、年令などの人口統計的な基準ととも重要なのがライフスタイルです。
福岡の繁華街天神で、若い女性に衣料品購入のプロセスを聞いたところ四種類のタイプが確認されました。いずれも年令的にはほとんど同じで、職業を持つキャリア・ウーマンです。仮に、タイプA、B、C、Dとしましょう。
タイプAの女性は、私はあるブランドが好きです。出来るだけ、そのブランドで揃えるようにしています . . . 本文を読む
6.事業部門によるITのセルフサービス。
多くのクラウドソリューションは、特にSaaSに関連している場合は、IT部門が関与する必要が少なくなってきている。今後出てくる多くのクラウドコンピューティングソリューションは、ビジネスユーザーが完全にセルフサービスで導入することができるようになるだろう。McKendrick氏が述べているように、これは多くのシナリオがより小さいものになり、数も増えて、IT需要 . . . 本文を読む
富士重工業は第二次大戦中、世界的に優秀な戦闘機を数多く生み出した、当時の日本で最大の航空機メーカー「中島飛行機」の流れを汲んでいる。戦後は、モノコック構造の軽量ボディーなど航空機の設計思想を自動車に応用して、国民車の「スバル360」を開発した。
続けて開発したのが「スバル1000」で、水平対向エンジンをフロントに搭載してフロントホイールを駆動する(=FFレイアウト)画期的なクルマだった。当 . . . 本文を読む