鉄人 須藤 將のホームページ

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ロータリーエンジン開発物語 その18

2010-01-18 05:08:55 | 車・バイク
10.60台の試作型コスモスポーツによる市場評価テスト

コスモを生産する2年前の創立記念日(1965年1月)。毎年講堂に販売店をふくめて取引先も集まって、お祝いをして、パーティをやる。そのときに、松田恒次社長が不自由な足を引きずりながらビールをついで回って、山本健一のテーブルにもきて、「どうぞよろしくお願いします」なんてやってそばを離れていくときに、「みんな呑気なもんやなぁと。自動車の世界ってのは、今からだんだん深刻になって、難しいのにわからんのかなナー」と聞こえるように言った。

山本健一は、あうんの呼吸で「今はクルマが売れているけど、呑気だなぁ、おい、ちゃんと考えていてくれとるのか」と、社長の催促と思った。その晩、山本健一は、もう寝られなかった。どういう風にして生産の時期を設定するかと考えた。通常、販売目標が決まっていて、それに合わせてクルマの開発が行われる。しかし、ロータリーエンジンという新しいことをやるにあたって、販売目標を立てることは難しい。その目標は、むしろエンジニアがたてないと立たない。言いたくとも社長がいつまでにやれなんてことは言えるもんじゃないと山本健一は考えた。
山本健一は、夜通し寝ずに、何を攻めて、どういうアプローチをして、何をどうしたらできるか、2年後までにこういうスケジュールで、こういう問題をつぶして、と計画を立てた。

翌日、課長職に集まってもらって、「ロータリーエンジンという革新的技術、ベンチャー・プロジェクトというのは、それに打ち込んでいるエンジニアが自ら目標を立てて提案しないとまとまらんと思う。いろいろ考えてみたのだが、2年後の販売を設定したらどうか」と言った。さらに、「我々は大学の研究室でも国の研究所でもない。一私企業の研究開発部門だということは、生産に移さなければ意味がないし、研究開発のみは許されない。だから協力してくれ、2年後を目標にしたい、そのアプローチはこういう風にしたい」と言ったら、みんなびっくりして。「部長、冗談じゃないですよ。何を言っとるんですか。そんなもんで出来るわけないでしょ」と言う。

そこで、山本健一は、松田恒次社長のつぶやきをを話した。「これほどマツダを考えて、ロータリーエンジンを考えて、志高く我々を守ってくれている松田恒次社長の気持ちをわれわれは察することが必要だと。だから、男ならトップのこういう気持ちを理解して、協力しよう、どうだ!」と言ったら、そういうことならみんなでやりましょうということになった。

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