鉄人 須藤 將のホームページ

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ロータリーエンジン開発物語 その20

2010-01-20 04:44:07 | 車・バイク
11.ローターギヤと固定ギヤが壊れた

その年の暮、山本健一は松田恒次社長のお伴をして小旅行に出かけた。
当時、外資自由化を控えて自動車業界再編成の動きがあり、マツダは決して予断を許さない条件下にあった。販売店の動揺を鎮め、将来のための協力を要請する必要があった。

販売店に対する最大のアピールポイントは、いま取りかかったばかりの、まだどうなるかも判っていない「ロータリーエンジン」であった。
当時、業界や学会では、ロータリーエンジンに対する批判が強く、実用化がいかに不可能であるかという一連のキャンペーンを行なう学者さえいたが、そのロータリーエンジンが販売店に希望を持たせる最大の目玉であった。すべての販売店の従業員は二人を拍手で激励し、将来への希望を私達に託してくれた。

山本健一は「販売店の人達の前で大見得を切ってしまった以上、後へは引けない、私個人の問題だけでは済まされぬ、会社全体の信用問題にもなってくる。」これはもう、何が何でもモノにしなくてはという思いだった。前進あるのみ。山本健一の脳裏にはフッと若いエンジニア達の顔が浮かんだ。

山本健一は後に語る。「私のまわりには多くの優秀なエンジニア達がいた。
彼らは時には私に共感し、また時には反発し、己が索むる道を探した。
彼らは自分達が取り組むべき対象、つまりロータリーエンジンに心底惚れぬいていたと私は思う。
いや、惚れぬいていたからこそ世の中の常識人から「実用不可能」とまで言われたエンジンの開発に、文字通り寝食を忘れ打ち込んで来れたのだと私は思う。

私は多くの若きエンジニア達のすばらしいアイデアと熱意に助けられてきた。
そこには夢があった。
何が何でもそれを自分達の手で実現しようとするエンジニア達の執念にも似た夢があった。

今にして思えば、それは一つのドラマである。苦しいがそれを克服し、己が生きる道をきわめようとする人間のドラマである。
燃える集団、人生意気に感ずる人達、そのような人々がいなければ決してロータリーエンジンは完成できなかったであろう。」

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