単室排気量は491cc、トロコイド寸法はe=15mm、R=105mm、b=60mmである。
ローターハウジングにはトノコロイド摺動表面に高硬度クロームメッキが施されたアルミニウムが用いられた。アペックスシールはアルミを含浸させたカーボン材で、日本カーボン社の高硬度「パイログラファイト」カーボン・コンパウンドを使用している。このカーボン・コンパウンドのアペックスシールには自己潤滑性があり、シールの耐 . . . 本文を読む
14.ロータリーエンジン誕生
エンジンの開発の一方で、社内では量産の準備が始まった。マツダが有利なのは社内に工作機部門を持っていることであった。
ロータリーエンジンの専用工作機(トランスファーマシーン)や組立てラインは全て社内で製作された。また、ローターハウジングのアルミの精密鋳造、溶射、内面研削、クロームメッキ処理、サイドハウジングの高周波焼入、ガス軟窒化処理、ローターのシェルモールド鋳造な . . . 本文を読む
それから住友銀行へ行って、済んだら今度は東海道を下る。神奈川、静岡の販売店へ行く。販売店には前もって連絡が行っているから、セールスマン、サービスマンが表にでてきて、サーッと並んで待っている。そこへ、松田恒次社長がコスモに乗ってスーッと入っていったら、ダーッと拍手で迎えてくれる。そこで、松田恒次社長が、「最近耳にしていると思うが、マツダがどこかとひっつく、無くなるという噂が飛んでいるけれども、そうい . . . 本文を読む
13.挨拶回り
試作型コスモができて2年目、「山本君ちょっと旅行したい。国内旅行だから付き合ってくれって。まぁまぁ、付いてくればいいんだ」と松田恒次社長から声がかかった。
コスモで、松田恒次社長が自動車ショーに乗りつけて展示した後、まず行ったのが池田勇人首相のところ。朝早く行ったら、寝ておられた。山本健一は、松田恒次社長と応接間でで待っていたら、どてら着て眠そうな顔で入ってこられた。松田恒次社 . . . 本文を読む
こうした課題解決は、材料研究部の得意とするところで、他社にはない特徴であった。
とても考え及ばないような技術を材料部門、研究部門が数多く提案した。
NSUタイプのオイルシールは、軸方向に金属のリングがはっていて、ローターの表面にサイドハウジングを押し付けるというタイプであった。ひとつのシールの中でローターが回転するから、こちらはオイルがのって、他方は掻いていかなければならない。ひとつのシールでノ . . . 本文を読む
12.お尻から白煙 カチカチ山のたぬき
1963年7月には、開発中のロータリーエンジンは、後のL10Aコスモスポーツへと発展するプロトタイプのL402Aスポーツカーに搭載され、各種の実車走行テストが行われた。
すると、お尻から白煙を出して、カチカチ山のたぬき状態になった。
そんな煙っちゅうもんじゃない。火事だー。
NSUの原案は混合燃料であった。マツダは三輪車で混合燃料の経験がある。メータ . . . 本文を読む
クロスホロー・シールを採用したL8Aロータリーエンジンのベンチテストを行っていたとき、ローターギヤと固定ギヤが壊れた。
ハウジング側に小さい固定ギヤがはいって、ローターのほうには大きな内歯歯車が固定されている。この固定ギヤであるステーショナリーギヤが回転して、ローターギヤと固定ギヤが壊れる現象が生じた。
理論的にはロータリー運動するのだから、それらのギヤに荷重はかからない。それでも壊れる。
現 . . . 本文を読む
11.ローターギヤと固定ギヤが壊れた
その年の暮、山本健一は松田恒次社長のお伴をして小旅行に出かけた。
当時、外資自由化を控えて自動車業界再編成の動きがあり、マツダは決して予断を許さない条件下にあった。販売店の動揺を鎮め、将来のための協力を要請する必要があった。
販売店に対する最大のアピールポイントは、いま取りかかったばかりの、まだどうなるかも判っていない「ロータリーエンジン」であった。
当時 . . . 本文を読む
翌日、山本健一は、松田恒次社長のところへ行って、「ロータリーエンジンをだらだらやっているわけにはいかんので、2年後をキリにさせてくれんませんか。それまでになんとかモノにして、生産したいと思います」と言ったら、びっくりしたような顔をして、「ああ、それはありがたいなー!、よく決意してくれた。ついては皆によろしく言ってくれ」ということだった。
そして、その翌日、山本健一は、松田恒次社長に呼ばれた。「ほ . . . 本文を読む
10.60台の試作型コスモスポーツによる市場評価テスト
コスモを生産する2年前の創立記念日(1965年1月)。毎年講堂に販売店をふくめて取引先も集まって、お祝いをして、パーティをやる。そのときに、松田恒次社長が不自由な足を引きずりながらビールをついで回って、山本健一のテーブルにもきて、「どうぞよろしくお願いします」なんてやってそばを離れていくときに、「みんな呑気なもんやなぁと。自動車の世界っての . . . 本文を読む
また工業製品として歩留りを良くするための研究、さらに出来上がったカーボンの中から非破壊で良品を選び出す検査方法の開発が行われた。
カーボン製アペックスシールを量産するにあたって、やはり精度を確保しなければいけない、品質も当然の課題。量産したカーボン製アペックスシールが、うまいことエンジンのなかで作動して長時間もつということが必須である。
1本1本、保証しなければいけない。アルミ含浸は、石垣み . . . 本文を読む
9.カーボン製アペックスシール~社外協力
クロスホロー型アベックスシールをもってしてもローターハウジングの耐久性はせいぜい5~6万km走行程度であった。自動車用エンジンとしては不十分である。
これに対して非金属材料も種々開発テストを行った結果、やはりカーボンが良いというデーターを早くからつかんでいた。しかし長寿命なものもあれば、短時間で折れたり、ひどいのになると粉々になって排気孔から飛び散って . . . 本文を読む
8. 武者修行で看板外してこいや
チャターマークがでなくなった。で、これを利用する手があると山本健一は思った。
当時はベンツはどうだとか、BMWがどうだとか、ドイツ、アメリカのやり方はこうだってのをしょっちゅう気にしていた。進んでいると思うから、いかに追いつくかばかり気にしていた。マツダもいろいろテストをしていて、NSUはどうやってるかなとかベンツはどうだとか、カーチスライトはどうだとか、アメリ . . . 本文を読む
予備校での受験準備を着々と進め、さあこれからという受験の当日の朝に発熱した。同時に腹痛も起こり最悪であった。
それでも、1年間の努力を水の泡に帰してはと2校を受験した。
自信があったのだが、みごとに落ちてしまった。
国立2次校の横浜大学を考えたのだが、城北予備校に行くことにした。受験すると悪友2人も受けに来ていた。手を握り合って大笑いである。早速、技術の歴史という本の話が咲いた。
2年目だから勉 . . . 本文を読む
御召列車は、他の部所の人を犠牲にする可能性があるということで、制度として「すぐやる課」が試作の中に設置された。
「すぐやる課」は、ロータリーエンジンだけでなく、全社的に対応した。
そこでは夜中にきてやるとか、昼休みに加工するとか、声がかかったら即座に作業に入れる体制が組まれていた。
製造部の組立のチームが、われわれに黙って、組立て終ったら、自発的に自分達でバラしてチェック、検討している。第2ロー . . . 本文を読む