マロンが旅立って1ヶ月たちました。
長く闘病生活を送っていたのでいつかは見送らなくちゃいけないと覚悟はしているつもりでしたが、いざそうなるとやはり「つもり」だけでした。
生きていてくれるだけでいいって思いました。
私の一部だけが先にいってしまいました。
少しずつ家の片付けを始めています。
マロンが嫌うのでやってませんでしたが、まるで引っ越しの時のように奥にしまってあるものも出して、いるものいらないものにわけました。
マロンのもので使えるものは、いずれまた後輩が来るだろうからきれいにして押し入れに。
今すぐに思い浮かぶのは年をとって具合も悪くなってからの彼女がですが、片付けしていて写真とかを見るとまだ若くて元気のよい頃の姿がいっぱいあります。
つらかった時しんどかった時も含めての彼女ではありますが、いつかすぐに思い出すのは溌剌とした姿になればよいなと思ってます。
1ヶ月が区切りと思って文字にしてみましたが、やっぱりうまく書けないですね。
すごくマロンに会いたい。
長く闘病生活を送っていたのでいつかは見送らなくちゃいけないと覚悟はしているつもりでしたが、いざそうなるとやはり「つもり」だけでした。
生きていてくれるだけでいいって思いました。
私の一部だけが先にいってしまいました。
少しずつ家の片付けを始めています。
マロンが嫌うのでやってませんでしたが、まるで引っ越しの時のように奥にしまってあるものも出して、いるものいらないものにわけました。
マロンのもので使えるものは、いずれまた後輩が来るだろうからきれいにして押し入れに。
今すぐに思い浮かぶのは年をとって具合も悪くなってからの彼女がですが、片付けしていて写真とかを見るとまだ若くて元気のよい頃の姿がいっぱいあります。
つらかった時しんどかった時も含めての彼女ではありますが、いつかすぐに思い出すのは溌剌とした姿になればよいなと思ってます。
1ヶ月が区切りと思って文字にしてみましたが、やっぱりうまく書けないですね。
すごくマロンに会いたい。
私は自分の心の中がごちゃ混ぜで未だよくわかりません。
ただ、あとどれだけ持つだろうと思うようになってからの時間がとても純粋なもので、「悲しいけれど幸せで宝石のような」って言葉は今の私の心にすとんと入るってきました。
16年間飼っていた猫を家族全員で看病して
ICUまで最後は入っていたのですが、偶然にも
親族の葬儀と猫の最後が重なってしまい、猫を
看取れなかったことを思い出しては悲しみ、生きていることさえつらく・・・といった内容でした。猫から学んだ最大の教えは、病や老いや死を平然と受け入れてしまう、その自由さかもしれない。猫と同居するのは、猫を飼うというより、対等なパートナーと暮らしている感があり、猫は不思議な哲学者なのかもしれないと結んでいました。また共にいられるのはあと数時間だと気付きながら過したそのひとときは、短いけれど、そして悲しいけれど幸せで、宝石のような時間だった。時間が長さではなく質であることに身をもって気付かされたのはこのときである。とも書かれていました。
家の片付けはほぼ終了しました。
思っていたより広くなって、それがまた悲しかったりしてね。
最後までお世話したでしょうから、今は安らかに眠っていることでしょう。
ゆっくり元気をとりもどしてね。