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者迄男女之差別なく奉感由日本大小之神承及たるよりハ右之通道
すから咄承屋敷へ出入之町人ともも右之咄迄之旨何も傍輩共も承申候
誠以御忠信天道之御めぐみと奉存由申候得ハ助右衛門申候ハ扨傳右衛門殿ハ誠ニ
御たのもしく何も打寄候而忝がり申事共御座候御身を被捨思召
事ニハ御座候得共唯今之世間ハ世のならゐニ而御座候や侍出家ニ至迄
其外ハ不及申当世のなかれワたりのもの多ク御座候間能々御心を
被付御咄なとも被成候様ニ誠ニ大事之儀ニ而御座候と被申候故扨々御心
入別而不浅忝奉存候いかにも被仰聞候通ニ私も神以奉存い申候別而
不浅得其意申と返答仕候事
一.助右衛門一子長太郎とて二歳ニ而愛宕下之田村右京大夫様御家中
菅次右衛門と申仁之所ニ居被申候同御屋敷之内ニ岸宗卜と申御茶
道江村節齊小屋ニ而知る人ニ成い申候此宗卜小屋ニ而右之長太郎ニ
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逢申度兼々案内申候得ハ別而悦被申候幼少之子ニ初而逢申事故我等
町宅近所ニ小西十兵衛居申候故前之夜人形調くれ候へと申遣候得ハ十兵衛
より其儘調参候故はさミ箱ニ入候而参候而長太郎ニ逢申候扨も扨も
助右衛門ニよく似たる生レ付ニ而御座候其後助右衛門御母義ニも此方おやしきへ
出入仕申候竹屋惣次郎宅ニ而逢申候竹や惣次郎先祖ハ内匠頭様御
先祖子細御座候而東国辺ニ被成御座候事しばらく御座候其砌かろき
奉公人ニ而御座候ハハそれゆへ惣次郎所へハ何も折々参候而御当家之御衆
中御用承由ハ兼而存候由何も若キ衆咄被申候を承い申候故右之通ニ
助右衛門御母儀惣次郎宅ニ而逢申候御母儀被申候ハ扨々御尋被下初而懸
御目助右衛門無事居申事承申ハ誠ニ氏神之御引合と存候子細ハ助右
衛門其夜罷出二度逢申様も無御座候ヘハ猶以左右も同前之儀御座候
私の女心ニても内匠頭様ハ御切腹上野介殿ハ其儘被召置候と承候へハ
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片手うちの御仕置不及是非事共と教候へハ男子ニ生レ
今度之仕方尤成ル儀共存罷在候我等かけニて無事ニい申段々結
構成ル御馳走共??承及候得ハ何の取のこす事も御座有まじく候
段々被申候事手先初而ニ女ノ口上ニ片手打の御仕置と被申候を承候て
扨々女ニ珍敷生レ付さすが助右衛門御母義と存候得ハ感涙をなかし
神以拭?ハとかくの返答成かねしばらくハ落涙仕漸々相応之阿
いさつ申候右御母儀親父ハ山本長左衛門と申何方ニか千石被下口をきき
たる侍と承申候助右衛門親父もれきれき筋之仁と磯田浄慶咄承申候
江戸町人移入ニ而御用なと承申候住江紀右衛門なと一類ニ而候
侍たるものの子ハ女ニても能々そだて可申事
とも我等姪共ニも此段可被申聞事
一.熊本ニも昔ハ女ニも助右衛門十郎左衛門母義様成ル衆多ク有之と筑後殿
御母義ハ十左衛門殿おばニ而も山田調唐母ハ古笠印娘ニ而候学文有之由
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何ニてもよみ講釈も被仕候様承申候筑後殿御袋へハ毎度参候而四書
なと講釈太平記なと不断読ませ御聞候と拙者も幼少ニ而調唐母儀ハ
覚申候其時分之母ハ大形右之通小身成ものニも多ク我等祖母母な
とも皆々昔ハ同前ニ而候姪共ニも被申聞可有事
一.助右衛門ハ十九才之時内匠頭様御使役被仰付候由其日より馬持被申候由先
年水谷出羽守様御居城内匠頭様御請取ニ被成御座候刻助右衛門赤穂
江初而早□六日ニ着と咄被申候原惣右衛門咄之様ニ伝馬丁穴屋ともに
兼々金銀を被下置候由被申候定而道中筋之穴屋共ニも同前と
察入申候就其助右衛門初而ニても早キかと存候中々右之通ニ早く参候事
ハならぬ事ニて候壱々助右衛門懐中ニ金子廿両入置候右之被仰付之
刻御広間より直ニ立被申候由何もワかき衆咄被申候
当御家なと御受番と申ニ而ハなく他家ニてハ組付ニても使役と申有之候
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一.助右衛門咄ニ上野介殿屋敷へ毎夜代々物見ニ何も申合参候惣体平長屋
ニ而竹之腰板中ぬりぐらゐのかべニてすき通り申候故内ニ火をとも
し候而夜更候迄毎夜毎夜ひかり見へ申候故殊之不用心を仕候様子ニ
外より見へ申候兎角鑓なとも短ク仕可然と申合大形九尺程ニ仕候其夜
戸障子なとふみやぶり候得ハ屋敷乃内野原同前ニ広く覚申候長
屋もしかじかへだてもなく妻子なと居申所も一間ニ而夜なべなと仕候
とほし火詰方ニ すきわたりあかり見へ申たるニて御座候とて笑被申候
何も色々心をつくし申候ハ上野介殿居宅知レ兼難儀仕候磯貝十郎左衛門
なとハ女ニもたよりニ而心をつくし尋申たる事共御座候とて何も咄被申候
以後十郎左衛門御母義ニ逢申候而色々咄ニ十郎左衛門儀ハ内匠頭様へ児小姓ニ
被差出段々御懇意ニ而上下衣類等も沢山ニ持い申候へとも牢人之内何も
傍輩衆心あき衆も多く有之外之衆ニハ尚以上下衣類もなく成申候
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御前様へ折々御機嫌伺ニ参候故多ク右之衣類それぞけニ遣申候衆も御座候
其内以後ニハ了簡を替被申候衆も有之候当夏之比ハ町屋ニ出居申内ニ
ねつ病を相煩申候故下女召仕候而病中しハらくかんびやう仕候うわ事
など皆々一巻之事心底ニ有之故外へきこへ不申様ニと扨々難儀
仕申候十郎左衛門兄共両人共ニ妻持不申候故とかく妻無き候而ハな
らぬ事ニ御座候とていろいろ心かけ方々たのミ廻り申事も皆々一巻の
手だてニての儀と其後あらハれ申候と咄被申候故扨ハいつれも咄被申候
ことく女ニたよりても心をつくし申され候由ハ此儀と奉存別而別而
感入申候十郎左衛門切腹の時節も血出かね候いな事と被申たる衆も
有之候右之夏大病殊ニねつ病久々被煩候得ハいかにも血出兼申候
筈と存当り申候事
一.大石瀬左衛門冨森助右衛門磯貝十郎左衛門と咄居申候得ハ助右衛門被申出候ハ十郎
左衛門
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左衛門儀ハ幼少之時より大出頭仕候私共ハ外様ものニ而御ざ゜そ瀬左衛門兄は
今夏了簡かへ申候つる兄之分別かましてハないかと笑被申候ヘハ瀬左衛門赤
面被仕それぞれのおもひよりナレハ不及力事とて少迷惑そうニ見へ
申候故我等申候ハ扨々むさとしたる御咄とて其儘罷立候事
一.何も拙者へ被申候ハ其夜共ニ御つき被成候御衆中様へ道すから段々
御心被付扨々忝奉存候それぞれニ御礼難申上候間能々心得申くれ候へと
度々被申候助右衛門被申候ハ扨々其夜さむき目ニ逢申候由被申候故誠ニ左様
可有御座候其日ハ八ツ時分ニ屋敷を何も罷出候故夜ニ入候迄かかり可申
事とハ□而心付不申候而小袖羽織等入可申心つき不申候つると申候事
一.次之座ニ而何も之咄ニ今度上野介殿屋敷へうち入申候時分磯貝十郎左衛門母
以之外相煩居申候太分此比ハ果可申候十郎左衛門心底御察被成候得と被申候
其後十郎左衛門側へ寄り候而尋申候得共御袋之居所不被申聞候我等申候ハ
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内々私儀何も様へ申入置候様ニ以誓言身命をおしミ不申御用を可
承と申儀御失念被成候哉不及是非仕合共申候得ハ其時十郎左衛門
被申候ハ扨々不浅御志共とかく難申盡とて具ニ咄被申候ハ将監橋
筋松平与右衛門様と申寄合衆細川主税様なと御相役ニ而外輪の
御門御顕被成候右与右衛門様御内ニ内藤満右衛門と申候ハ私兄御座候母も一所ニ居申と被申候扨ハ私町宅より是へ通候道筋ニ御座候御尋申候而御左右可申上何ぞ
しるしを被下候得御袋様万右衛門殿へ懸御目如咄迄ニてハ慥ニ不思召候事可有之候やいなものと存候と申候得ハ扨々不□候仕合しからハとて手紙之様ニ調被
申紙ニつつミ内を御覧被成御持参被下候へと火申候故扨々被入御念候御事
日本大小之神見申心底ニ而無御座候とて懐中仕罷立申候右万右衛門
事ハ与左衛門様ニ而家老と相見へ平小屋ニ而も広ク庭も有之候路次
よりはいり屋敷も床なと有之きれいなる様子後ニ承申候得は
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与右衛門様も折々御出被成候様承申候御母儀ハ貞柳と申候而罷出被申万右衛門も
宿ニい被申被罷出候かゆるゆると咄い申候へハそはきり出申候随分馳走ニ而
御座候つる扨拙者へ被申候ハ十郎左衛門事其夜で申候而二度左右可承様も
無御座候処我等参候事ハ誠ニ氏神之御引合と悦被申候我等ハ惣体
涙もろく兎角の咄もしハらくハ出兼涙をながしい申候そは切り給
い申内ニも出被申候而十郎左衛門ハそは切り好物ニて御座候つると被申候扨ハ
左様御座候や惣体朝晩之料理ハ二汁五さいニ而こたつ水風呂尤たは
こ御酒等も出夜食ハ何も傍輩共より合々おもひよりにて随分御
馳走仕候様ニ兼々被申付候故うどんそは切或ハならちゃ被申付候故
最早只今迄二三度出申候かと覚申候と咄申候へハ扨も扨も段々之御馳走共
忝次第と悦被申候扨最早罷帰可申候御気色も御快気被成候御様子見
申殊更色々御馳走共罷帰候而十郎左衛門殿ニ具ニ御咄可申候是へ罷越候
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刻も十郎左衛門殿へ申しるしを被下候得と申候へハ万右衛門殿へ致持参候御手紙之
様ニ御書きキ被成候内を見申候而遣シ申様ニと被入御念被仰聞候得共以誓
言見申心底ニ而ハ無御座候と申候こなたへ参候而又帰候而も
十郎左衛門殿へ御咄可申候私儀ニ御座候へハ慥ニ懸御目候様ニも可被思召候へ共
是ハ私の為ニ而御座候是非共御文を被遣候様ニと申候得ハ貞柳被申候ハ
扨々被入御念候事共忝存候併十郎左衛門儀赤穂へ籠城ニ罷候刻私ニ
申置候ハ日数も自然かさなり能キたよりなと御座候とても城中へ
書通第一女より之書通猶以不仕事御座候なととくれくれ申置候
其上私ハ無筆ニ而御座候ヘハ猶以調申事難成存候旁以御ゆるし被下候
やうニと被申候万右衛門方へむき候而申候得共尚以被入御念候儀御免被下候得と
被申候故我等も感涙をながし兎角申されず左候ハバ せめて今日之御馳走
の御たばこ持参可仕とてはな帋出したばこをつつミ床ニ鼻いけて有之候
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