
気乗りがしないブログを書くよりも
訪問者のブログを読むことに徹しよう。
この3日間よく読んだ
もやもやのイメージがシルエットになった感じ。
理路整然とした教科書みたいな文章は読み流す
資料本やエッセイを読みたいわけじゃないから
普段のありのままに口をついて出る言葉がいい
いかにもその人となりが浮かんでくる。
"みんなのブログ"は自分から動かない横着者にとって
有意義といえる、いつも誰かしら来てくれるから
読み物に不自由しない。
積んどく本はうっすらホコリが溜まって白々しい。
母の日によせて
5/9(日)は母の日だった。
母が想い出になるのはいつの日だろうか、
ぼくにはまだ生々しい
病床に横たわる母の姿しか浮かんでこない。
父が旅立ってから8年のあいだ母は婦人会や隣組のひとたちに
見守られて山の家でひとり暮らしをしていた。
縁側で婆さん連中とおしゃべりしながら人形作りや編み物に
せいをだし年に2回の老人会の旅行を楽しみにしていた。
10月のある日、山の家の隣人から電話がきた。
一緒に小学校の運動会に見に行く約束だった母の体調が
ひどく悪そうなので診療所に連れて行ったと。
ぼくが診療所に着いたときはもう母は救急車で病院に運ばれていた。
医師の説明は軽い狭心症と気管支炎の発症が認められるが、これと
いってすぐ命に関わる病状ではないときかされた。
ひとつ気になるのは全体的に顕著な老衰があるのでしばらく
入院して栄養の改善と体力をつけてから退院しましょうと。
それから3ヶ月後に母は静かに息をひきとった。
点滴意外の食べ物は頑として拒み流動食さえ受け付けない
先に逝った父より若い83歳なのに「もう十分生きた」と言い、
お父さんが迎えにくるから邪魔をするな、仕事は休むなと
付き添うツレにこんこんと諭したと云う。
転院リミット3ヶ月が近いのに医師はうちで最後まで診ますと
云われたとき、母の余命の短さを知った。
治療を拒否する患者を根気よく治療し最後を看取ってくれた
医師への感謝と自分の不甲斐なさを悔やんだ。
まるで緩慢な自死ともいえる母の有様を容認した自分。
父が入院中に点滴はイヤだうちに帰るとゴネる父の点滴を
引き抜きタクシーで連れて帰った母、細く華奢な母だが、
常に剛毅な人でぼくたちはいつもあっけにとられていた。
最後の最後まで母は父の妻だった。
母より妻の座を選んだぼくの母、
一途な愛って本当にあることを教えて見せてくれた。
ぼくは実母より義父のほうが身近に感じる不思議なクロス、
母との乖離はいまもそのままに。
昨日のいまごろは、
横浜の貴婦人のIDがひとつだけ残っていて
ふふっとした(◦ˉ ˘ ˉ◦)ニヤニヤ
かのひとは篤くやさしい人なのだ。
彼女のところに初孫ができて、
うちには孫がいないから指をくわえているけど
目の中に入れても....なくらい可愛いいらしい。
彼女の浮かれぐあいがハンパなくて羨ましいやら、
お孫さんの後頭部を見るたびにわらってしまうwww
Happyな笑いは手放しでいいよな。
Happyな笑いは手放しでいいよな。
近くの空き地に近寄ってみると駐車場らしいが
もとはガソリンスタンドとすぐに分かるのは地下に
埋設されたタンクへの給油口が残っているから。

このままで安全?
タンクのガソリンや軽油は抜かれているにしても不安を感じる
むき出しの給油口、土壌汚染しかり、進むも退くも大変だ。

たまにブログ休むといいね
リフレッシュ効果
飽きたーというよりいいだろ
リフレッシュ効果w
明日のことは
明日になってから。
心とカラダによいこと・十六夜の月(5/8)はビルの上から今朝は早くに家を出て厚木市役所と山の家向け。土曜日の市役所は午前中のみの受付に気が付いて目覚まし5時にセットした。混雑は避けたいがニュースによるとマイナンバーカードを受け付けている......
かっこいいおかあさまですね。
私も息子がだいぶ大人になった時にそんな風に思い出してもらえる母になりたいなぁと思います。
今はきっとふざけすぎているバカな母親ですが💦
これからもじんわりと心にしみるブログを楽しみにしてます💕
若かりし頃はオンボ日傘のお嬢様、跡取りというだけで
祖父のいいなりに婿養子と結婚し、ぼくを産み、父の浮気
(家政婦さんを孕ませた)で離婚という茨の道を歩んできた。
そのころに吹っ切れたのか、もともとの素養なのか、
義父と出会い一途な愛に目覚めたとたんぼくは捨てられたww
人生山あり谷あり、おまけに青かった('Д')
放浪もいいものですよ、決してムダではなかった。
コメントありがとう。