睡蓮の千夜一夜

馬はモンゴルの誇り、
馬は草原の風の生まれ変わり。
坂口安吾の言葉「生きよ・堕ちよ」を拝す。

生等(せいら)もとより生還を期せず

2009-08-15 05:20:05 | 時事・世相・昭和~令和

8/15 終戦記念日
戦争という碑(いしぶみ)のうえに今の自分がある
決して忘れない
毎年これだけを念じ戦没者の方々に黙祷を捧ぐ



短絡的に三島由紀夫の「英霊の声」を耳に反芻させながら、
2000/08/14のNHK特集
「雨の神宮外苑・学徒出陣56年目の証言」の録画を観た。

タイトルは、当時東京帝國大學3年の江橋慎四郎氏が当時の首相東条英機を前に
詠んだ答辞の一節です。天下国家を論じ、憂い、戦後の日本の将来を案じる
若人が
こうして無益に死んでいった。


    「海ゆかば」
     海ゆかば水(み)漬(づ)く屍(かばね)
     山ゆかば草むす屍(かばね)
     大君の辺(へ)にこそ死なめ
     かへりみはせじ

たとえ江橋慎四郎氏が出征せず、アジテーターの任務を遂行するために
壇上に
あがったにしても、雨の神宮にこだました「海ゆかば」は学徒動員の
総意だったと思う。 

時代の風の狂気。


かたや、与謝野晶子は出征する愛する弟にこう詠んだ。

   君死にたまふことなかれ
   すめらみことは戦ひに
   おほみずからは出でまさね
   かたみに人の血を流し
   獣の道に死ねよとは
   死ぬるを人のほまれとは
   大みこころの深ければ
   もとよりいかで思(おぼ)されむ

戦争は紙一重を越えさせる。
どんなに高潔な人格であろうと、国を守るという大義を背負って戦場に出れば、
目をつむっても人を殺す。己の生死を分かつ戦いに本能のままに人を殺すのだ。
そして、生きて故国に帰ったオトコの心に死ぬまで消えない「負」を刻む。

さて、オヤジが旅立つ前に、オヤジが経験した「時代の風の匂ひ」をじっくりと聴かねばならん
大正2年の春に生まれ、戦前・戦中・戦後を生きぬいたオヤジの顔の皺の分だけ聴かねばならぬ
そう思っていたのに...。
父は最後まで戦争末期のことは何も語らず、重き荷を背負ったまま逝った。

開け放した夜の縁側で酒に酔うほどに「麦と兵隊」や「ラバウル小唄」を唄い、
最後はきまって「海ゆかば」、オヤジのグラスを持つ手が、肩が、震えていた。
うつむく父の背中が小さい。

それをみる私の胸も張り裂けそうだった。
誰のせいでもない!
みんなお国のためによかれと思ってやったの
だ。






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