日曜日は自主練で「小山田緑地公園」のグランドを使わせてもらいました。
小山田緑地公園とは多摩市と町田市の堺にある、昔の田園風景が存在する良い公園です。
何度もハイキングに出掛けました
今日もの練習をするのに、彼のいるグランドへ行ってきました。
残念なことに、私の持っている望遠レンズ
”Canon 望遠ズームレンズ EF-S55-250mm F4-5.6 IS II APS-C対応”
中古で7,000円くらいだったのですが、250mmは性能悪い。
”Canon 望遠ズームレンズ EF100-400mm F4.5-5.6L IS USM フルサイズ対応”
に変更しようかなーー。と迷い中。
こうやってどんどんカメラにはまってお金を吸い取られていくんだよね~。
良い写真とか撮る技術ないくせに・・。
もうちょい、距離があっても表情とかをクリアに撮影したい!
ほら、下の写真の表情まったく分からないでしょう!?
↓ ↓ ↓
ワンコは広いところで遊べてめっちゃ、楽しそう
おかげで今日遊び疲れてぐったりしてますが・・。
昨日は野球練習に参加するのか、しないのか連絡がなかったけど、車で出発直前になって来られたお子様がいらっしゃって・・。
そのお子様の保護者は「連絡しました!」とか言ってらしいのですが、実際には連絡がされておらず。
このようなことが、その方は何度も過去にあり・・。
ちょっと手を焼いてます。
このように、役員側に回ると今まで見えてこなかったいい加減な保護者がわかってしまうのも嫌なところです。
でも、子どもは野球をやりたくて来てるのでその保護者に「連絡くらい入れて」とお願いしたら、逆上して『息子に野球の野球を辞めさせる!』とか言い出すにではないだろうか・・。
そしたらその子が悲しむのではないかな・・、と思ってしまいます。
保護者ではなく子どものほうに言ったほうがいいのかな-!?
来週野球来たいなら、このメールに返信したらいいんだよってお母さんに伝えてとか。
等々いろいろな保護者がおり、対応が難しいけど・・。
最近読んだ「ニートの歩き方 pha」 phaさんの本ですが、
”集団を見るときは 個々の性格とか性質とかを問題 に する よりも、全体を 一つの生き物のように考えたほうが分かりやすいということだ。”
”あるアリが働くかどうかは、そのアリ自身が持っている 性質ではなく、アリの 群れ 全体とのバランスの 兼ね合いで 決まっている。”
”つまり、 全体と個体はつながっていて、切り離して考えることができない。 これは人間の社会にも当てはまることだと思う。”
”一つの社会の中にも両方のタイプ 人間が存在するのだ、と僕は考えている。”
受け入れよう、 全てはつながっ ているの一部抜粋
”自分と違う生き方 を する 人 たちについて、 自分は全く切り離された何かだと思わ ず、 自分と共通する土壌 から生まれ た全体の一部 だと思っ て受け入れられるような、 そんな寛容さをみんなが持ったらもう少し世界は生きやすくなるんじゃないかと思う。”
自分と違う生き方 を する 人 たちについて、 自分は全く切り離された何かだと思わ ず、 自分と共通する土壌 から生まれ た全体の一部 だと思っ て受け入れようという考えもりだなと思ったら、「許せるかも。」のように思ってしまった。
ボランティア精神のある人たちって真面目だし、だからこそ使命感みたいなものもあって自分はこんなにやってるのに、やらない人達がずるいって感覚になってしまうけど、もしかしたらきちんと出来ない環境にある人達もいるのかもしれないですね。性格の特性とかもあったりして・・。
全体の中の一部はきちんと出来ない人もいるけど、それもひっくるめての社会なんだー、と思ったらフォロー出来る方法でフォロー出来る人がしてあげようという気持ちになってきたよ。
ありがとうphaさん。
小山田緑地公園とは多摩市と町田市の堺にある、昔の田園風景が存在する良い公園です。
何度もハイキングに出掛けました
今日もの練習をするのに、彼のいるグランドへ行ってきました。
残念なことに、私の持っている望遠レンズ
”Canon 望遠ズームレンズ EF-S55-250mm F4-5.6 IS II APS-C対応”
中古で7,000円くらいだったのですが、250mmは性能悪い。
”Canon 望遠ズームレンズ EF100-400mm F4.5-5.6L IS USM フルサイズ対応”
に変更しようかなーー。と迷い中。
こうやってどんどんカメラにはまってお金を吸い取られていくんだよね~。
良い写真とか撮る技術ないくせに・・。
もうちょい、距離があっても表情とかをクリアに撮影したい!
ほら、下の写真の表情まったく分からないでしょう!?
↓ ↓ ↓
ワンコは広いところで遊べてめっちゃ、楽しそう
おかげで今日遊び疲れてぐったりしてますが・・。
昨日は野球練習に参加するのか、しないのか連絡がなかったけど、車で出発直前になって来られたお子様がいらっしゃって・・。
そのお子様の保護者は「連絡しました!」とか言ってらしいのですが、実際には連絡がされておらず。
このようなことが、その方は何度も過去にあり・・。
ちょっと手を焼いてます。
このように、役員側に回ると今まで見えてこなかったいい加減な保護者がわかってしまうのも嫌なところです。
でも、子どもは野球をやりたくて来てるのでその保護者に「連絡くらい入れて」とお願いしたら、逆上して『息子に野球の野球を辞めさせる!』とか言い出すにではないだろうか・・。
そしたらその子が悲しむのではないかな・・、と思ってしまいます。
保護者ではなく子どものほうに言ったほうがいいのかな-!?
来週野球来たいなら、このメールに返信したらいいんだよってお母さんに伝えてとか。
等々いろいろな保護者がおり、対応が難しいけど・・。
最近読んだ「ニートの歩き方 pha」 phaさんの本ですが、
”集団を見るときは 個々の性格とか性質とかを問題 に する よりも、全体を 一つの生き物のように考えたほうが分かりやすいということだ。”
”あるアリが働くかどうかは、そのアリ自身が持っている 性質ではなく、アリの 群れ 全体とのバランスの 兼ね合いで 決まっている。”
”つまり、 全体と個体はつながっていて、切り離して考えることができない。 これは人間の社会にも当てはまることだと思う。”
”一つの社会の中にも両方のタイプ 人間が存在するのだ、と僕は考えている。”
受け入れよう、 全てはつながっ ているの一部抜粋
”自分と違う生き方 を する 人 たちについて、 自分は全く切り離された何かだと思わ ず、 自分と共通する土壌 から生まれ た全体の一部 だと思っ て受け入れられるような、 そんな寛容さをみんなが持ったらもう少し世界は生きやすくなるんじゃないかと思う。”
自分と違う生き方 を する 人 たちについて、 自分は全く切り離された何かだと思わ ず、 自分と共通する土壌 から生まれ た全体の一部 だと思っ て受け入れようという考えもりだなと思ったら、「許せるかも。」のように思ってしまった。
ボランティア精神のある人たちって真面目だし、だからこそ使命感みたいなものもあって自分はこんなにやってるのに、やらない人達がずるいって感覚になってしまうけど、もしかしたらきちんと出来ない環境にある人達もいるのかもしれないですね。性格の特性とかもあったりして・・。
全体の中の一部はきちんと出来ない人もいるけど、それもひっくるめての社会なんだー、と思ったらフォロー出来る方法でフォロー出来る人がしてあげようという気持ちになってきたよ。
ありがとうphaさん。