秋分の日のお供えにする。習慣から仏教の儀式に乗っかる。
何の目標も何もない毎日を淡々と過ごすのは辛い。
宗教は心の空白を埋める。長い年月を経た物語は安らぐ。
地獄の釜の蓋さえも開き家路に戻る。極楽に住む人も帰る。
これからも安心させる。その話に乗っかる。
自分を舞い上がらせる。気分は高揚する。恐怖は消え去る。
ならば自分も行ってみるか。
小豆も煮込んでいる。十分朝のお供えには間に合う。
砂糖だけの甘みで作る。弥次喜多にある”半殺しか皆殺しか”
を思い出す。思わずニンマリ。
朝ごはんの準備も並行して行う。焼き魚と茹でウインナ。
キャベツの千切りを添える。バナナにトーフの味噌汁。
日頃自分の葬式もしないというのに変だが何もない、何も
しない暮らしだけでは隠居とはいえ寂しい。
家を覆いかぶさる雑草、枝木の張り出しなどすべき事は山程
ある。何は置いてもおはぎつくりをしてしまう。オロカ。
姪との暮らしは頭がおかしくなる。何とかお下の事だけは
身に付けさせたい。これが私に残された課題。