本当に当時は8ツリとかで、タンスに入りきらない着物、洋服とそれに伴う小物
から一生困らないだけの道具、和洋の式服など全てがありました。
それだけ親御さんの気持ちが熱く伝わってきます。
さすが40年にもなると絹物は痛みが来ています。お返しをした方が良いのかこちらで
片付けたらよいのかということです。
ただ本当の目的は折角の良い娘さんだったのに病気をさせた上、先に逝かせた事を
謝りに行くためです。七七日の時のお礼の言葉で息子を失くした時に家内と二つの
約束をしたことを話しました。一つは両親よりも長生きをさせる。
二つは何らかの形で世に出す。
父親より先立たせてしまったことを改めてお詫びに行くためでした。
しかし、丁度全員が出払っていて留守でした。家に帰るとお礼の電話が有りました。
またの機会に話そうと思い直し丁寧に返事をしました。
それにしても生前実家の方に用事があっても一切近づかなかった。
思い入れがある分、自分の感情を抑えきれなかったのでしょう。
私もこれで脚を向けることは残りの二分の時しかないでしょう。


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