①唐津市立切木小学校 肥前町万賀里川(まがりかわ)
②唐津市立納所小学校 肥前町納所丁(てい)
③唐津市立呼子小学校 呼子町呼子
④唐津市立加唐小中学校 鎮西町加唐島
⑤唐津市立馬渡小学校 鎮西町馬渡島
⑥鳥栖市立麓小学校 山浦町
⑦多久市立 東原庠舎 西渓校 多久町
⑧神埼市立神埼小学校 神埼町枝ヶ里
⑨三養基郡みやき町立中原小学校 大字原古賀(はるこが)
読みなど
① きりご 明治22年4月,東松浦郡切木・万賀里川など15村が合併し切木村成立(~昭和32)。村名の由来は不詳。木は「こ」の濁音。
② のうさ 納所半島の中央部に位置。納所の由来は不詳だが,年貢を納める場所,あるいは収穫場所の置き場であった所なのか。
③ よぶこ 東松浦半島の北部に位置。明治22年4月,東松浦郡呼子・大友など5村が合併し呼子村成立(~昭和3)。村名は,朝鮮に出兵した子を山頂からいつも呼んでいた母の叫びからつけられたという伝承がある(『丹羽・難読』)。
④ かから 東松浦半島の西北端にある波戸岬から3.5キロ北にある島(208ha)。島名の由来は不詳だが,唐へ渡る足掛かりとなった島と関係があるのかもしれない。なお,島内には新羅(しらぎ)出兵の際,身ごもっていた神功皇后に因む地名(おびやが浦)がある。
⑤ まだら 波戸岬から西方7キロにある島(413ha)。島名の由来については,美濃国馬渡庄の本馬八郎義俊が冤罪で,この島に土着し,馬渡と称し斑島(まだらじま)を馬渡島に書き改めとする説や,大陸から馬が最初にきたので,「馬渡る島」といった説などがある。
⑥ ふもと 明治22年4月,養父郡山浦・宿(しゅく)など4村が合併し麓村成立(~昭和29)。村名は,佐賀平野に孤立する朝日山(133m)の麓に因む。麓の地名は消滅したが,駅名(長崎本線,肥前麓駅)などがある。
⑦ とうげんしょうしゃ せいけい 小学校と中学校の一体校。東原庠舎は多久4代領主・茂文(しげふみ)が元禄12年(1699)設立した朱子学派の学校。西渓は女山公と呼ばれた多久家筆頭家老の屋敷跡で,彼の号という。
⑧ かんざき 明治22年4月,神埼郡神埼・田道ケ里(たみちがり)など4村と本告牟田(もとおりむた)村の一部が合併し神埼村成立(~26町制~平成18市制)。村名は郡名によるが,郡名は,景行天皇西国巡幸の際にこの地の荒神を天皇が鎮め,神幸を得たことによるという(『肥前国風土記』)。
⑨ なかばる 明治22年4月,養父郡原古賀と蓑原(みのはる)の両村が合併し中原村成立(~昭和46町制~平成17)。
村名は,長崎街道の轟宿と神崎宿の中間の宿場であった中原宿に因むという。
②唐津市立納所小学校 肥前町納所丁(てい)
③唐津市立呼子小学校 呼子町呼子
④唐津市立加唐小中学校 鎮西町加唐島
⑤唐津市立馬渡小学校 鎮西町馬渡島
⑥鳥栖市立麓小学校 山浦町
⑦多久市立 東原庠舎 西渓校 多久町
⑧神埼市立神埼小学校 神埼町枝ヶ里
⑨三養基郡みやき町立中原小学校 大字原古賀(はるこが)
読みなど
① きりご 明治22年4月,東松浦郡切木・万賀里川など15村が合併し切木村成立(~昭和32)。村名の由来は不詳。木は「こ」の濁音。
② のうさ 納所半島の中央部に位置。納所の由来は不詳だが,年貢を納める場所,あるいは収穫場所の置き場であった所なのか。
③ よぶこ 東松浦半島の北部に位置。明治22年4月,東松浦郡呼子・大友など5村が合併し呼子村成立(~昭和3)。村名は,朝鮮に出兵した子を山頂からいつも呼んでいた母の叫びからつけられたという伝承がある(『丹羽・難読』)。
④ かから 東松浦半島の西北端にある波戸岬から3.5キロ北にある島(208ha)。島名の由来は不詳だが,唐へ渡る足掛かりとなった島と関係があるのかもしれない。なお,島内には新羅(しらぎ)出兵の際,身ごもっていた神功皇后に因む地名(おびやが浦)がある。
⑤ まだら 波戸岬から西方7キロにある島(413ha)。島名の由来については,美濃国馬渡庄の本馬八郎義俊が冤罪で,この島に土着し,馬渡と称し斑島(まだらじま)を馬渡島に書き改めとする説や,大陸から馬が最初にきたので,「馬渡る島」といった説などがある。
⑥ ふもと 明治22年4月,養父郡山浦・宿(しゅく)など4村が合併し麓村成立(~昭和29)。村名は,佐賀平野に孤立する朝日山(133m)の麓に因む。麓の地名は消滅したが,駅名(長崎本線,肥前麓駅)などがある。
⑦ とうげんしょうしゃ せいけい 小学校と中学校の一体校。東原庠舎は多久4代領主・茂文(しげふみ)が元禄12年(1699)設立した朱子学派の学校。西渓は女山公と呼ばれた多久家筆頭家老の屋敷跡で,彼の号という。
⑧ かんざき 明治22年4月,神埼郡神埼・田道ケ里(たみちがり)など4村と本告牟田(もとおりむた)村の一部が合併し神埼村成立(~26町制~平成18市制)。村名は郡名によるが,郡名は,景行天皇西国巡幸の際にこの地の荒神を天皇が鎮め,神幸を得たことによるという(『肥前国風土記』)。
⑨ なかばる 明治22年4月,養父郡原古賀と蓑原(みのはる)の両村が合併し中原村成立(~昭和46町制~平成17)。
村名は,長崎街道の轟宿と神崎宿の中間の宿場であった中原宿に因むという。
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