天 主 堂 出 版  カトリック伝統派 

第2バチカン公会議以前の良書籍を掘り起こし、復興を目指す

煉獄 第1章 煉獄の存在

2015-05-29 21:25:30 | 煉獄 
第1章 煉獄の存在
公教会の教えによれば、人は死するとき、霊魂は肉体と離れ、天主の審判を受け、一生の善悪の賞罰を受ける。そして赦されていない大罪をもって死んだものは地獄に、また少しの罪もなく天主の義に対して償いを果たした者は天国に、また、小罪にけがされ、あるいはゆるされた罪の償いがまったく果たされていないならば、煉獄に行くのである。煉獄はわれらの信仰の宝をなす一ヶ条である。天主の義、叡智、全善の奥深いところを現す真理である。

天啓
あらゆる民族を通じて煉獄の思想がある。ヘブライ人はもとより、インドにも、中国にも、エジプトにも、人は完全な幸福を受ける前、清められなければならないという信仰があった。これは世のはじめに人類に示された超自然の真理に含まれていた。

聖著
ジュダス、マカベは、戦死した兵士の罪をあがなうために、犠牲が天主に捧げられるよう、エルサレムの聖堂に1万2千枚の銀貨を送ったと聖書に示してある。それは、些細な罪をもって死んだ兵士はきよめられる場所に居る、という意味である。その場所を公教会では煉獄と名付ける。



教会の教え
美しい信仰
天主の叡智と無限のあわれみ
われらを聖ならしむる不思議な方法
天主の愛の名作
ド=メストルの言
プロテスタントのある伝道師
煉獄の信仰をきいて帰正
死者のために祈れ
十字架のイエズスのマリア童貞の伝より


幽霊か?
1878年(明治10年)ベルジユム国ルワン市でイエズス会の一人の司祭、フィリッポ=シヨフがこの世を去った。
彼はアンペル市に布教を始めたころに起こった次の話をたびたびした。

ある日、二人の青年が10歳くらいの病身の子どもをつれて司祭を訪れ、
「この子は毎晩幻を見るので、数週間前から衰弱し、このようなあわれな風になっております。
 どうしたらいいでしょうか。」
との相談である。
それで司祭は青年に告解して御聖体をうけることをすすめ、子どもには
「熱心に晩のお祈りをし、安心して寝なさい。それでも幽霊が来るなら、また知らせにおいでなさい」と言った。

15日たつと、2人の青年はまたやってきた。
「おっしゃるとおりにしましたが、やっぱり幽霊は来ます。」という。
そこで司祭は言った。
「それでは、今晩から、紙とペンとインキとをもって、子どもの部屋の入り口に待っておいでなさい。
 そして、『幽霊があらわれた』と言ったら、お入りなさい。
 そして、天主様の御名によって、誰であるか、いつ死んだか、どこに住んでいたか、なぜあらわれるのかを尋ねなさい」

翌日、青年らは、返事の書いてある一枚の紙をもってきた。
この幽霊は老人であって、半身だけ見えた。
青年らも見たとの話であった。
アンペル市のある家に住んでいて、1636年に死んだ、銀行の頭取であった。
市の史料を調べてみると、このことは確かなことであった。
今は煉獄に居るが、自分のために誰もお祈りをしない。
どうか、この家のものだけは、みな告解して、御聖体を受けてもらいたい。
また、ルーアン市とグルクセル市の聖母マリアの聖堂に参詣してもらいたい、とのことであった。

これを聞いて、司祭は、
「それではあなた方はそのいわれた善業を果たしなさい。
 また、もしもう一度現れるなら、他の話をしかける前に、まず、主祷文、天使祝詞、使徒信経をとなえさせてください。」
と言った。

青年は、その善業をしてから司祭のところへ来た。
そして言った。
「神父様。
 あらわれた老人は、言うに言われない厚い信仰をもってお祈りしました。
 あんな熱心なお祈りを、私どもは今までにきいたことがありません。
 主祷文のあいだの尊敬、天使祝詞のあいだのその愛、使徒信経のあいだのその確信。
 祈りというのは、どういうことか、今わかりました。
 私どもの祈りのお陰でずいぶん助けられた、と老人は感謝していました。
 そして、店の取締の娘は、もし、涜聖の告解をしたなら全く助けられるとのことでした。
 私たちが、このことを娘に言うと、娘は蒼白になり、犯した涜聖を私たちに告白し、すぐ告白司祭のところへいって告白をしました。」

このときから、幽霊は見えなくなった。
この家に住んでいた一家族は、非常に幸福になった。
二人の青年は、模範的信者となり、その妹は修道女となり、のちには修道院長となった。


煉獄の霊魂のためにお祈りください
1891年(明治23年)12月6日木曜日、ホーモン市の救助院において、聖ヴィンセンシオ=ア=パウロ会の一人の童貞が死んだ。ジョセフィーナと名付けられたこの童貞は、四十五年前からそこに住んでおり、特に病人の世話をしていたが、癌腫の病人を看護して自分も病気になり、数年間はげしい苦しみを耐え忍んだ後、この世を去ったのであった。

葬式の晩、プロスペールという一人の肢体障害者が、両脇に松葉杖をもって聖堂から出て、自分の部屋へ帰る暗い廊下をとおると、急に動かれなくなって、その手に手触りの温かみを感じた。そして、よく聞き覚えたジョセフィーナの声で、
「煉獄に苦しむ霊魂のためにお祈りください」
というのが聞こえた。
プロスペールの体の血は、氷のようになった。すぐ聖堂に引き返して院長さまにそのことを話した。院長は黙っているようにたのみ、主任司祭にこのことを話し、なお、人を驚かさないために、黙っていることに決めた。

8日の午後5時、降福祭の後、プロスペールは自分の告白司祭である補助司祭に前々日のことを話した。すると、司祭はあざわらって、それはプロスペールが病身のためだといった。司祭が自分の部屋に帰ると、机のまんなかに一枚の紙があって、プロスペールの言った言葉すなわち
「煉獄に苦しんでいる霊魂のためお祈りください」
という文字がかかれてあった。驚きのあまり補助司祭は、その紙をとり、向かいの部屋に住んでいる主任司祭に見せ、また、先にあざわらったことも話した。
この紙の裏にはローマの歴史が筆記されてあった。救助員の童貞に見せると、それはジョセフィーナ童貞の字であるとみな断言した。

4ヶ月ののち、御復活祭の次の木曜日午後3時頃、プロスペールは疲れて横たわっていると、突然風のような音がした。
見回すと、ジョセフィーナ童貞がたっていた。その頭の光は両肩にかかっていた。
「安心しなさい。私です。煉獄にはおりません。永福を受けました」
という。
プロスペールは非常に感動して叫んだ。
「母さま、どうぞ私をなおしてください」
すると童貞は、
「いいえ。この病気はあなたの救霊のため必要です。幸いなる苦しみです。相変わらず煉獄の霊魂のためにお祈りなさい。罪人のために悔い改めなさい。」
といって消え失せた。

読者よ、このお話をお読みになっても、なお煉獄の存在を疑われるであろうか。
なるほど、これは信仰箇条ではない。また、公教会の教えは、その上にたてられていない。しかし、聖人伝においても、煉獄の霊魂の現れた例はすくなくない。
これらの例は、公教会の教えに背かないばかりではなく、これを照らすものである。
万国に信じられている幽霊の話はおもに迷信である。
が、真実の出現のあることも、拒むことはできない。

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