天 主 堂 出 版  カトリック伝統派 

第2バチカン公会議以前の良書籍を掘り起こし、復興を目指す

聖母の潔き信心 聖母聖月(5月)の信心 9 10 11 13 15

2015-05-01 04:56:38 | 聖母の潔き信心 聖母聖月の信心 
この小書は聖母聖月に毎日2~3分ずつ、聖母マリアの潔きみ心をを眺め、そのお膝元で、イエズス様のことを学ぶために、まとめたものであります。
私どもが神と親しみ、この世からして幸福なる日を送りたいと思うならば、祈りのうちに、神のことを学ばなければなりません。

聖人たちがおっしゃったように、イエズス様に至る一番の近道は、マリア様で、また、マリア様の御生涯は、イエズス様の御生涯と切り離すことは出来ませんから、マリア様のことを題目として、31の短い黙想としたのであります。まず、各章のはじめにある書をよく眺めますと、心にいろいろの情が湧き出てきますから、それをとらえて、聖母とお話をし、次に聖書や、教会の祈祷から引用された句を、静かに熟読して味わい、それに続く短い説明もただ一読するばかりではなく、よく考えてみなければなりません。終わりに、何でも心にあてはまった決心をしても、または、決心の場所に指定されたのを利用しても、とにかく心に感じ、決意したことを一日の中に行動に表さなければ、黙想の良い結果である、徳の実を結ぶ事ができません。
最後にある祈祷は、世界中の信者が口にする祈祷でありますから、私どももそれに心をあわせて、この5月の間毎日、聖母を讃美し、聖母に祈りましょう。

昭和8年お告げの祝日

著者(エム=シェルドン)しるす


(第1章から第8章 作業中)


第9章 最も慎み深い童貞
さて、キリストのお生まれなさった次第は次のとおりでありました。
その母マリアは、ヨゼフの婚約者でしたが、同居する前に、聖霊によって懐胎していることが明らかになりました。
夫ヨゼフは正しい人でしたから、マリアを訴えることを好みませんでした。
ですから、マリアを秘かに離別しようと考えました。
これらのことを思いめぐらしているとき、主の使いがヨゼフの夢にあらわれて言いました。
ダヴィドの子ヨゼフよ、汝の妻マリアをめとることを恐れてはならない。
マリアの胎に宿っているものは、聖霊によるものである。
マリアは一子を産むであろう。汝はその名をイエズスと名付けなさい。
その子はみずから、己の民をその罪から救うこととなっている、と。
すべてこのことがおきたのは、主がかつて預言者をもって告げられたことを成就させるためである。
預言書に書いてある。
「見よ、童貞女が懐胎して一子を産むであろう。その名はエンマヌエルと称えられるであろう」と。
エンマヌエルとは、我らとともにおられる神という意味である。
ヨゼフは、眠りから起きて、主の使いから命じられたとおりにその妻を納れたが、
床を共にせずして初子を産むに至った。
そして、その子の名をイエズスと名付けた。(1:18-25)

「ああ、感ずべき交換なるかな。
 人類の創造主は霊と肉とを着けて童貞女より生まれ給えり。人の助けなくして人となり、われらにその神性をば与え給えり。」

必要な時が到来したならば、エリザベトに示してくださったように、神御自身が聖ヨゼフにも御託身の玄義を知らせてくださるでしょう、と
深く信頼して、神の秘密を守られた、聖マリアの御忍耐と、思慮深い御行動をよく考えてみましょう。
私は、人々から少しでも誤解を受けると、無言に祈り続けるかわりに夢中になって弁解を試み、
それが成功しないと他人をあしざまに思い、あしらうのではないでしょうか。
聖ヨゼフもまた、よく祈り深く考えて、やむなき場合まで事を待ち、他人になるべく迷惑のかからぬよう静かに事を行われました。
このお二方の御忍耐、御苦しみは、私どもにイエズス様が
「エンマヌエル、すなわち神、人と共にまします」方であり、聖母はどこまでも童貞を失わずして母となり給うた、
玄義を明白に証拠立てました。
私どもも、己の権利を主張せず、静かに祈り続けるほうがどれほど神の光栄を増すことが出来るかを学びましょう。


決心。
弁解、いいわけをせぬようにつとめましょう。

祈り。
聖ベルナルド 聖母に祈る文。

慈悲深き童貞マリア、御保護によりすがりて御扶助を求め、あえて御とりつぎを願える者、
一人として棄てられしこと、いにしえより今に至るまで、世に聞こえざるを憶い給え。
ああ、童貞中の童貞なる聖母、われこれによりて頼もしく思いて馳せ来たり、罪人の身をもって
尊前に嘆きたてまつる。
ああイエズスの御母、わが祈りを軽んじ給わず、御あわれみを垂れて、これを聞き給え、
これを聴き容れ給え。
アーメン。

第10章 終生童貞なる御母

そのころ、天下の戸籍を取り調べなさいという命令が、当時のローマ皇帝、セザル=オグストから出ました。
この戸籍調べは、シリノがシリアの総督であったときに始めたものでした。
そのため、人々は皆、名を届けるために各々故郷に行くことになりました。
ヨゼフもダヴィド家に属しており、かつ、ダヴィド家の血筋であったので、既に懐胎している婚約者の妻マリアと共に
名を届ける為に、ガリラヤのナザレト町からユダヤのベトレへムというダヴィドの町に行きました。
そこに滞在しているときに、マリアは産期が満ち、初子を生み、布に包んで馬槽に臥して置きました。
それは、旅の宿には、彼らを受入れるところがなかったからでした。(ルカ2:1-7)

「童貞マリアよ、世界の造り主を宿し給いし汝は幸福なるかな。
 御身は汝を造り給いし者を産み奉れり。
 しかして永遠にその童貞を失い給わざるなり。」

「童貞女より絶妙なる途により生まれ給いしとき、聖書は成就せり。
 人類を救わん為に羊の毛の上に注ぎし慈雨の如く、主は降り給えり。
 我等、御身を讃めたたえ奉る。
 ああ、われらの天主。」

聖書を熟読なさった聖マリアは、救世主がベトレへムでお生まれになるという預言もよく御承知であったに違いありません。
しかし、そのころお住まいであったナザレトの町から遠いユダヤ州のベトレへムに、
いつどうして行くのであろうかと、折々は御考えに浮かばれたことでしょう。
しかも、いつも、御旨ならば必ず実現されるであろうと、深い信頼の内に、
「仰せの如く我になれかし」
とくりかえされました。
その御返事として神は、天使でなく何も知らぬ、ローマ皇帝の詔を与えられました。

聖ヨゼフは、マリア様をおつれになり困難な旅をなされ、3日目の夕方、夕日に映える山腹のダヴィドの町が目前に現れてきたのを
ごらんになった時には、どんなによろこばれたでしょう。

そこが、神が誕生の地として永遠より選び給える小さき町であると。
しかし、誰一人、御出迎えする者もありませんでした。
かえって、宿屋では断られ、夜風に身をきられる思いをして、淋しい洞穴にたどり着かれたときの御心持ちはどんなでしたでしょう。
ここで、天地万物の創造主、永遠の太陽、すべての光の源なる救世主は、
聖ヨゼフの手にされた、提灯の薄暗い光に照らされて、飼い馬桶のトゲトゲしいワラの床に、
か弱い御体を横たえられました。
寒さにふるえ、泣く幼子を聖マリアは、
「我が神、我が子」
と、被造物が尽くすことのできる一番深い礼拝と合、感謝と讃美とをもって抱かれました。
寒い、つれない暗闇の世に生まれた救世主は、その御誕生の瞬間から、
マリア様の深い愛に包まれていました。
私どもも、ひざまずき、聖ヨゼフの後ろから、天使達と声をあわせて救い主を讃美いたしましょう。

決心。
貧しい者や、友の姿の中にかくれて私どもの同情の門をたたき給う救い主に、いつもお宿をお貸ししましょう。

祈り。
讃美歌
記憶し給え、万物の造り主よ。
かつて我等の肉体の、形をとりて童貞の清き胎より生まれ給いしを。
聖寵の母なる聖マリアよ、なさけの優しき御母よ、
我等を悪しき敵より護り、臨終の時に受け取り給え。
童貞より生まれしイエズス、
聖父及び聖霊とともに、永遠の世に至るまで、栄えさせ給え。
アーメン。
聖母の潔き信心 第11章

愛すべき御母

しかるに、この地方に牧者等がいて、夜中交替して己の群れを守っていたが、そのとき主の使いが彼らの傍らに立って、
神の栄光が彼らを照らしました。
彼らは大変おそれました。
天使は彼らに言いました。
おそれてはならない。なぜなら、わたしは、人民一般に及ぶ大いなる喜びの福音を告げるからである。
今日、ダヴィドの町において、あなたたがたの為に救い主がお生まれになった。
この方こそは、主であるキリストである。
あなたがたは、次のものをもってそのしるしとしなさい。
すなわち、布に包まれ、馬槽に置かれた嬰児を見るでしょう。と。
たちまち、おびただしい天軍の天使が加わって、神を讃美し、
「最高きところには神に栄光、地には善意の人に平安あれ」と唱えました。
天使等が天に去った後、牧者達は言いました。
「さあ、わたしたちはベトレへムまで行き、主が私たちに示して下さった事の次第を見よう」と。
そして、急ぎ行って、マリアとヨゼフと馬槽に置かれた幼子とに会いました。
さて、目の当たりに見て、この幼子について言われた事を知らせたら
聞いた人は皆、牧者から言われたことを不思議に思いましたが、
マリアはこれらのことをことごとく心に納めて考えあわせていました。
このようにして、牧者らは、自分に言われたとおり、見聞きした一切のことについて、
神に栄光を帰し、かつ、讃美し奉って、帰りました。
(ルカ2の8-20)

私どもは、聖母に向い、
「このちくたくの終わらん後、尊き御子イエズスを我等にしめし給え」と祈りますが、
羊飼いが、
「マリアとヨゼフと馬槽に置かれた幼子とに会った」
とあるように、この世においても、マリア様の許に行くときに、その御子イエズスを見せていただくことができます。
イエズスに至る一番の近道は、マリア様であると聖人方も言っておられます。
また、聖書にも、
「マリアはこれらのことをことごとく心に納めて考え合わせていました」とあります。
マリア様の御心は、イエズス様のことが一番よくかかれてある書物で、
また、その御生涯を映した最もうるわしい絵でもあります。
ちょうど、図書館に入って本を調べたり、展覧会に行って絵を見るように、
聖母の御心によって私共もたくさんイエズス様のことを教えられます。
また、聖母にならい、神の御言葉を聞き流さず、心に納めて考えあわせるようにつとめましょう。

決心。
これからは、聖母のお膝元で心をしずめて、神のことを考える習慣を養いましょう。

祈り。
めでたし天の元后、めでたし天使の女王、ああ、くすしき根幹よ、
ああ、天の門よ、御身よりして光明は世界に昇れり。
喜びたまえ、光栄なる童貞、
すべての人に越えてうるわしき御者、めでたしああうるわしき者よ、
めでたきかな、われらのためにキリストに祈りたまえ。
ああ、聖なる童貞よ、我に御身をたたえしめ給え。
御身の仇に立ち向かう力を我に恵み給え。

祈願。
あわれみ深き天主よ、われらの弱さをたすけ給え。
今、われらは天主の聖母を記念し奉れば、
なにとぞ、その御取次ぎのたすけによりて、
われらを不義より立ち上がるを得せしめ給え。
われらの主、キリストによりて。アーメン。

第13章 救い主の御母

「幼子の割礼を授かるべき8日目に至りて、未だ胎内に宿らざる前に天使より言われし如く、名をイエズスと呼ばれ給えり」
「汝、懐胎して一子を生まん、その名をイエズスと名づくべし」
「汝その名をイエズスと名づくべし。そは、おのが民をその罪より救うべければなり」
「イエズスの御名に対しては、天上のもの、地上のもの、地獄のもの、ことごとくひざをかがむべく、また、すべての舌は父にてまします神の光栄のために、
 イエズス=キリストの主に在せることを公言すべし」
「御胎の御子イエズス、祝せられ給う」

お告げ以来、マリア様はイエズスの聖名を幾度か心の中に繰り返されたことでしょう。
今日は、また、公に唇にのせてどんなに喜びに充たされ給うたことでしょう。
「蜜よりも甘く、心によろこびをもたらすこの聖名!」
しかし、すべての玄義に深く分け入られたマリア様は、この聖名をよろこばれながらも、割礼の式にあたってナイフの下に流れた聖血、
痛みに泣かれる、御子の御声を聞かれて、救世の業からは離すことのできぬ、苦しみ、悲しみをも味わわれ、
ただ「聖旨の如く我になれかし」と、くりかえされたことでしょう。

さてこの日初めて流されたイエズス様の聖血は、ちょうど広野をうるおす大河の源のように、この後、33年間、一時敵に地下にひそんで流れておりましたが、
ゲッセマニの園において再び噴き出し、それからは鞭に茨に釘に槍に、とめどめもなく流れて、
ついには全世界に広まり、よろずの民をめぐむ愛の血、罪の汚れを洗う聖寵の泉、
心を酔わす聖きぶどう酒となったのであります。

実に、主はイエズス(救い主の意味)にて在します。
わたしどもも、常にこのことを心に銘じ、いかなる罪を犯したときも、信頼と痛悔の心をもって、
イエズス様の御許に走り、御ゆるしを願い、その聖血をもって、洗い潔めていただきましょう。
マリア様が御了解になった如く、私どももよくイエズスの意味をさとらせていただきましょう。

決心。
イエズスの聖名を幾度もとなえて、すべての罪をぬぐっていただきましょう。

祈り。
救い主の御母よ、常に開かれたる天の門、海の星よ、倒れてもなお立ち上がろうとするこの民を助けたまえ。
御身は、自然驚きの眼をみはれる間に、御身の聖なる造り主を生み給いき。
御降誕の前にも後にも童貞に在せり。
ガブリエルの口より挨拶を受けて、罪人をあわれみたまえ。
主の使いはマリアに告げ給えり。しかして聖霊によりて懐胎し給えり。

祈願。
主よ、我等天使の告げをもって御子キリストの御託身を知りたれば、
願わくはその苦難と十字架とによりて、ついにその御復活の栄えに達せしめん為、
われらの心に聖寵を注ぎたまえ。
われらの主キリストによりて。アーメン

第15章 象牙の塔

そのとき、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。
そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。
シメオンが「霊」に導かれて神殿の境内に入ってきたとき、
両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを捧げようとして、イエズスを連れて来た。
シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、このしもべを安らかに去らせてくださいます
 わたしはこの目であなたの救いを見たからです
 これは万民のために整えてくださった救いで
 異邦人を照らす啓示の光
 あなたの民イスラエルの誉れです」
父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。
シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。
「ご覧なさい、この子はイスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、
 また、反対を受けるしるして定められています。
 あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。
 多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」
また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。
非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから7年間夫と共に暮らしたが、
夫に死に別れ、84歳になっていた。
彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして夜も昼も神に仕えていたが
そのとき、近づいて来て神を讃美し、
エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。
(ルカ2:25-38)

「童貞聖マリアよ、御身は幸福にして、もろもろの讃美を受け給うに堪えたり。
 御身より出でし正義の太陽は、我等の天主なるキリストに在せばなり。」

「最も聖き元后よ、我、なんじを讃美し崇め奉る。
 なんじは我等のためにダヴィドのくすしき塔となり、これによりて我等が救霊の敵と戦うために要する避難所を我等に与え給うなり。」

聖母が法律の命ずるままに、潔めの式にあずかられたこの日、思いがけなくも、
イエズスは公に神殿において、シメオンとアンナとによって
世の光、信じる者の栄光なるキリストであると証明されました。
わたしどもが、神の聖旨を静かに行うときは、常に神の御栄えが人々に現れるのであります。
また、聖母の犠牲を神が受けられて、
「なんじの魂も槍にて刺し貫かれるべし」
との御返事を与えられたのであります。
33年の後、十字架のもとでこの預言が成就する日まで、聖母は救いの業からは離すことのできない苦しみを常に忘れ給わず、
「仰せの如く我になれかし」
と繰り返されました。
また、
「しかして、多く心の思い顕われるべし」
と、シメオンが付け加えて申したように、
私どもが、どこまで神を愛するかをためす試金石は、苦しみであります。

聖母の、槍で貫かれた御心をさして、
「勢い揃いし軍族の如く畏るべきものは誰ぞや」
と申し、その強きことを示すのであります。
この御心を鑑に、また、この御心の内に御保護を乞うときに、
私どもはすべての悪に打ち勝ち、苦しみに堪える力を得るのであります。

決心。
今日一日中、すべてのつらい事をよく忍びましょう。

祈り。
聖母の御保護に身をよするの祈
天主の聖母にましまして、また我が母、わが保護者にまします童貞聖マリア、
我、御保護によりすがりて御助けを願い、ひとえに御あわれみを乞い奉る。
いつくしみの御母、我が危うきに迫れるときには避難所となり、
我が苦しみに逢うときにはなぐさめとなり、
今日、毎日、特に臨終のとき、
天主なる御子の御前にて、我が為に代祷者となり給え。