天 主 堂 出 版  カトリック伝統派 

第2バチカン公会議以前の良書籍を掘り起こし、復興を目指す

煉獄 フランシスコ=ウィタリ著 はしがき~第1章~第3章(全30章)

2015-06-06 05:16:43 | 煉獄 
はしがき

煉獄の存在及び煉獄の霊魂が祈祷、善業殊にミサ聖祭を以って助けらるるという教義は、公会議に於いて定義されたる公教の信条である。それで信者はこれを固く信ずるとともに煉獄の霊魂を助くること努むべきである。
本書は煉獄の存在の道理、その罰及び死者を助くる務等を略述してこれを無学な子どもや老人田舎人にまでも知らせ併せて古来煉獄の月と称せられる11月中の読み物としたい目的をもって、フランシスコ・ウイタリ Francisco Vitali の原著書 Le mois des ames du Purgatoire 中より小部分を抜き取り編み上げたものである。素より不文、浅学な著者の手になったものであるから、首尾不揃の点の多いは言うまでもないが、読者この書によっていくらか煉獄の霊魂に対する務めを行うに実せらるるところあれば幸甚である。

大正元年11月(1912年11月18日) 著者識

第1章
人は必ず一度死すべしとは、天主が定められ給うたのであるから、人は身の上に死ほど確かなことはない。他のわざわいや不幸はあるいは免れることもできるが、死ばかりは、どうしても免れることができない。死すべき時期が到来したなら、男女を問わず、年齢と身分がどうであるかにかかわらず、悲しんでも嘆いても、すべての者にわかれ、一切の物を捨てて、この世を去らねばなりません。

世界がはじまったときから世の終わりに至るまで、世に生まれ来た者の順次と死に赴くは、ちょうど大河の水が絶えずとうとうと流れてしばらくもとどまらぬような光景である。私たちも、いつしか、この流れに入らなければならぬはずである。それならば、死とは何であろうか。死とは、霊魂が肉身を離れこの世を去って先の世に行くのである。先の世には、天国と地獄と煉獄の3ケ所がある。天国とは、善人が天主の美善美徳を眺めて一心に天主を愛し、天主の寵愛をこうむり完全なる福楽を享けるところである。地獄とは、罪人が天主より棄てられて終わりなく言いつくしがたい苦しみを受けるところである。煉獄とは、小罪あるか、あるいは未だ罪の償いを果たさざる善人の霊魂が罪の償いを果たすまで苦しみを受けるところである。これ聖なるカトリック教会の教えるところで、信仰の箇条である。煉獄の存在は、天国地獄の存在と同じく確実なことである。このことは、信仰上からは言うまでもないが、聖書と道理に照らしても明瞭である。

旧約聖書に、ユダヤ国の大将マカベオが凱旋の後エルサレムの聖殿に黄金を献じて死者の救霊を祈ったことが載せられている。もし、死者の霊魂の行くところが天国と地獄ばかりであるなら、死者のために祈る必要はまったくない。このことは、暗に煉獄の存在を示したものである。また、新約聖書マタイの福音書に
「すべて人の子に対して「冒涜」の言葉を吐く者は許されない。それと、聖霊に対してこれを吐く者は、この世後の世共に許されないであろう。」と記されてある。この、いわゆる後の世とは、地獄をさしたものではない。なぜなら、地獄の罰は永遠で、許されるべきものではない。それで、この世後の世とは疑いなく煉獄を指したものである。またこれを道理の上から考えても、天主は正義な御者でいささかのけがれあるものでも、これをすぐに尊い天国に上げ給うことができない。さりとてまたそのお慈悲の上より考えれば、いささかのけがれしかない者を永遠の地獄に陥れたまうということもできない。このような者を煉獄で清めて後天国に昇らせ給うということは、最も正当なことである。またさらに煉獄の苦しみはどのようなものであるかといえば、歴代の聖人や博士等の教えによると、煉獄の苦しみは地獄の苦しみと同じである。ただ、異なるところは、地獄の苦しみは終わりがなく、煉獄の苦しみには終わりがあるというばかりである。

実話

昔、ある国に、深くセナの聖ベルナルディノに信心していた一人の青年があった。ふとしたことから重い病にかかり、種々の薬石も医者の治療もそのかいなく、ついに死亡した。聖人は彼の平素の信心に報いるために、天主に祈ってこれをよみがえらせた。しかし、この青年をよみがえらせる前に来世の状態を知らせるため、まず彼を地獄に連れてゆかれた。ここにはさかんに立ち上る黒煙と、えんえんと燃え立つ炎の渦が失望に満ち、歯噛みし、虚空をつかんで苦しみ悩む無数の悪人を容赦もなくのみこんでいるその光景の恐ろしいことをとても筆や言葉で述べることができない。これを見ただけでも身の毛がよだち、震いおののくほどであった。次に彼を天国へ導かれた。ここには星のように輝いた、数多の聖人等は、天使等と共に天主の美善美徳を眺め、妙なる快楽を享けらるるその光景は、どのような言葉をもってもこれを形容することができなかった。この世のどんな楽しみもこれに比べることはできなかった。ただ、恍惚として、これを眺めていた。
それから、彼を煉獄に伴われた。ここは、数多の善人の霊魂は、金銀がるつぼの中にあるような耐えがたい苦しみをもって練り清められている、その苦しみも、とてもこの世の苦しみに比較することができなかった。
そして彼らは青年の来たのを見て、その周囲に馳せ集まり、蘇生して世に帰ったならば、自分等の親族や友人に、この苦痛を知らせて、祈祷や善業をもって自分等を救うために力を尽くさせるように願った。
青年は蘇って、彼らの親兄弟や友人にこれを知らせ、霊魂を救うために祈りや善業を行わせた。(イエズス会司祭、フランシスコ・ベアルシオ所記)

祈願

主よ、願わくは、煉獄に苦しむ我らの親族恩人友人、また、私たちに害を加えた者の霊魂にも憐みを下し、彼らに終わりなき楽しみを与えたまえ。

第2章

天主はその全能をもって望みのままに、どんなところにおいても、霊魂をしてその償いのために受けるべき苦痛を凌しめたまうことができるのである。しかし、博士たちの説によると、地球の中心に絶えず怖ろしい火がどんどんと燃えているひとつの場所があって、これを煉獄という。ここに、小罪や償いの残った霊魂が、全く清浄になるまで大いなる苦痛を凌ぐのである。この場所を深い井戸、荒れた海、苦しみの地、暗闇の国などと称し、地獄に最も接近して、ほとんど地獄の一部分とでも言うべき場所である。

神学博士らのおしえによると、煉獄の苦痛も地獄の苦痛も同じである。ただ、異なるところは、一つは有限、一つは無限である。聖アウグスチヌスは、わらを焼く火も金を溶解する火も同じ火であると言い、聖グレゴリオはこれに加えて、この同じ火の中に悪人は罰せられ、善人はきよめられるのである、と言われた。地獄の火は天主に謀反し、わが主イエズス・キリストの御贖いをないがしろにした大罪人を罰するために設けられた火であるから、その恐ろしいことは言うまでもない。煉獄の火もこれと同じとあれば、その火に焼かれる苦痛はどれほどであろう。そして、煉獄に拘留される期限の長短は、罪と残る償いの大小によって定まるもので、天主の正義をもって定められた罰は一厘一毛までも残りなく果たさねばなりません。ですから、罪次第では、幾千年、万年あるいは世界の終わりまでもこの苦しみの場所に拘留させられるかもしれないのである。

天主の御あわれみ深いのも、正義をもってこのような怖ろしい監獄を設けて、常にその門戸が開放されてあるとおもえば、どうして恐れおそれ謹み慎んで罪を避けずにいられるでしょうか。また、このところに償いをする霊魂の苦痛の大いなることを考えるなら、どうしてあわれみをもよおし、同情を寄せ、これを救うために力を尽くさずにいられるでしょうか。

実話

アイルランドの司教マラキアスがある日、弟子たちとともに精神修養の談話中に、話はたまたま死のことに及んで、いつ、また、どこで死ぬことを望むかという問いが皆のあいだにおこった。

司教は、自分が死にたいと思うのは、場所としては、慈善業に最も熱心なクレルオの修道院である。時期としては、11月2日、死者の記念日であると言われた。
その望みはかなえられた。
司教はその後、エウセニオ教皇陛下に謁見のためにローマに赴き、クレルオの修道院に宿泊されたときににわかに重い病がおこり、もはや死期が迫ったことを悟り、左右に侍る信者や修道士らの熱心な祈りのうちに感謝の念に充ち天をあおぎ、
「これは永遠にわがやすみどころなり。われはここに住もう、そは、われ、これを望みたればなり」というダビドの詩篇を唱えながら、やすらかに息たえました。かつて、自分が善業や祈祷をもって、救った多いの善人の霊魂に歓迎され、天の幸福に到達された。その日は、ちょうど、11月2日、死せる信者の記念日であった。

祈願

ああ、全能の御父、われらをして煉獄の霊魂の苦痛の
いとも恐るべきを悟らしめ、今よりあえて罪をおかしてなんじの御心にそむくことなく、かえって、もろもろの善業を行い、もって己の罪を贖い、
また、死せる信者の霊魂を救うことを得せしめたまえ。

第3章  感覚の苦痛

預言者の言葉に、

「天主は火をもって聖人の罪悪を焼き、
 火をもって善人の欠点を補い
 その正義を顕わし給う」

とあります。

また、聖パウロは、コリント人に贈った書簡に、

「人もしその土台(イエズス・キリスト)の上に
 金、銀、宝石、木、草、ワラをもって建築したならば、
 面々の建物現れるであろう
 それは、主の日(審判の日)において明らかにされることになるであろう
 それは、火をもって顕わされ、
 火は、面々の建物がどのようなものであるかを試すであろう」

と言いました。

カトリックの多数の博士たちの説によれば、煉獄の火はこの世の火と同じ物質の火であって、霊魂がその火の中に在って、感覚の苦痛をも凌ぐのである。

すなわち、人がこの世においては身体の器官によって感じるところを、煉獄においては、天主の全能をもって、その器官によってではなく、直接火の苦痛を感じるのである。

煉獄の火は、決して想像や比喩の火ではなく、真実の火である。

この世界のどんなに烈しい火も、煉獄の火に比較するなら、ただ、影にすぎないのである。

ユダのマカベオが、ベアニトの城郭を焼き滅ぼした火も、ナブコドノソルが3少年を殺すために燃やした火も、ペンタポルを焼き尽くした火も煉獄の火に比較しては、ものの数でもない。

煉獄の火は、知恵分別を備えたかのよに、正義と公道に従ってその作用を為し、小罪と言っても同じ重さのものではないから、その中でも一層重い罪に対しては、一層激しく燃え、軽い罪に対しては緩やかに燃え、罰すべきはずのものは一つも残さず公平無私に罰するのである。

聖ベルナルドは、説教の中で、

「死ぬ日に清められていない者は、最も不幸な者である。
 それは、死後、激しい火をもって清めなれなければならない、
 その火の恐ろしいこと、苦しいことは
 到底この世において想像することができない」

と言われた。

だから、私たちはウカウカして罪の償いをすることを怠ったりせず、
小罪、特に、小罪を知りつつ犯したりせず、
未来に恐ろしい罰を残さぬように努めねばなりません。

実話

聖テレジアのパウロという修道女がいました。
ある土曜日に、煉獄の霊魂のために熱心に祈祷をしているうちに、
幻影となって聖マリアが天使をしたがえて煉獄に下り、
数多い霊魂を救いだしておられるのを見た。
救い出された霊魂たちは、さも嬉しそうな有様で、
讃美と喜びの歌を歌いながら天に昇っていた。

煉獄に残留された霊魂たちは、炎々と燃える火の中に苦しみつつ
いかにも悲しそうに泣いている。
その声は、まことにあわれであった。

また、その霊魂たちが同じ火の中に苦しんでいても、
その苦痛の程度が同じではないのをみて、そのことを不思議に思い、
自分の守護の天使にその理由を尋ねた。

天使は、これに答えて、
「およそ、人の未来において、受ける賞罰の大小は、
 この世において行った善悪の大小によるものであるから、
 煉獄の苦痛の代償も、過失の性質とその程度によって定まるのである。
 たとえば、世にあって名聞や虚栄に沈酔していたものは、辱めをもて苦しめられ
 情欲に従っていたものは、勢いの盛んな火によって焼かれるである。
 煉獄は、天主の御憐みの顕われる場所ではない、
 厳しく天主の正義を示し給う所である。
 もし、人が、この厳しい懲罰をのがれようと思ったら、
 努めて罪を避けなければならない」
と言われた。

祈願

主よ、死せる信者の霊魂を憐み、
彼らに終りなき安息を得させてください。
また、主の摂理によって、
私が直面するすべての苦難を甘んじ受けることができるようにしてください。
そして
煉獄の苦しい罰を免れることができるようにしてください。

作業中

煉獄 緒論 来世はあるかないか 1923.9.24 マキシム プイサン神父著

2015-05-29 21:26:36 | 煉獄 
東京大震災、、謎の解決、、国王と羊飼い、、死後はなにものこらないか、、霊魂の不滅、、しばらくおまちください、、修道院の客、、司祭と医者、、ポーランドの皇族と百姓、、一番美しいこと、、暴飲者の妻、、なぜわたしにしらせてくださいません、、有名な3人のことば、、機関士と司教、、ヴィクトル=ユーゴーのことば、、結論

東京大震災

大正12年9月1日、東京横浜湘南地方は大地震に襲われた。
続いて起こった火災によって、横浜はほとんど全滅、東京も七分どおり焼失、この災害によって死んだ者は10万人を超えた。
これは世界における、最も大いなる災害の一つであった。

これら多くの、いっときに死んだ者はどうなったであろうか。
人は死という逃れられぬ現実について、今までより、まじめに考えねばならなくなった。
これは、やがて、今生きている我々すべてが受ける運命である。
我等は来世においてどうなるのであろう。
いや、来世というものは果たしてあるものだろうかどうか。

謎の解決
来世があるかないかということは、世のはじめから人類にかけられた謎である。
カトリック教会ではこれについて、次のように教える。
「人はこの世に居るあいだに神を認め、神に仕え、神を愛し、
 来世において永遠の幸福を受くべきである。
 死ととともに霊魂は神の御前にいで、
 あるいは天国、あるいは地獄、あるいは罪を清めるために煉獄にいれられる。
 世のおわりに、肉身は天主の全能により復活してふたたび霊魂にあわされ、天国の永遠の幸福か、地獄の永遠の苦しみかに決められるのである。」

国王と羊飼い
ある日、一人の国王は狩りに出て、野原で一人の羊飼いにあった。
そして、
「お前はこの羊を飼ってどれだけ儲けるか」
と尋ねた。
羊飼いは言う。
「陛下、私はあなたと同じに儲けます。」
国王は、変な顔をして
「われと同じに儲ける? それはまたどうして?」
という。そこで羊飼いは言った。
「陛下よ。私は羊を飼って、天国または地獄を儲けます。
 あなたは国を治めてもこれよりほかに儲けることはできません。」
国王はうなづいて、重々しい考えに沈みながら、羊飼いとわかれた。
この羊飼いのことばは真理である。どんなものでも、その運命は、天国か地獄かのどちらかよりほかにはない。

死後は何も残らないのか
あるものは、人間は死ねば、何も後には残らない、という。
しかし、こういう人は、傲慢なものでなければ、不品行な人である。
かれらは暗闇の中で元気をつけるために、一生懸命にうたって、自分をあざむく臆病者のようなものである。

有名な思想家、ラ=ブルエルはいった
「節制と性情とをまもり、正しく慈悲あるひとが、来世はない、と宣言するならば、その説は信じられる。
 しかし、こんな珍しい人はこの世が始まって以来まだ見られない。
 また、世の終わりまでも見られないことを断言する。」と。

霊魂の不滅
(1)
物質は不滅である。
人間のからだは腐敗してもなくならない。
それは、元素にかえるのである。
霊魂は肉体よりももっと美しい。
奴隷なる肉体が不滅であるのに、主人なる霊魂が滅してしまうとは考えられない。
これは、天主さまの叡智に似合わないことである。

(2)
この世においては、悪人が栄え、善人が迫害される。

ジャン=ジャック=ルソーは言った。
「この世において悪人が栄え、善人が責められることを見れば、霊魂の不滅を信じないわけにはいかない。
 万物の秩序のうちの、こんな明白な矛盾を解決するには、来世があるよりほか仕方がない。」と。

無信心の父と呼ばれたヴォルテールも言う。
「善と悪が来世においてその報いを受けることは是非必要である」と。
霊魂が滅するならば、この世は恐ろしい混乱に陥る。
貧しい者を助けるために苦労し、艱難のうちに一生を費やしたものも、不正放蕩にふけった一生を送ったものと同じである。
戦場に倒れた兵士も、国を売った謀反人と区別がなくなる。
常識を備えたもののうちに、これを承知するものがあるだろうか。

革命のとき、リヨン市の裁判官は、ある神父に尋ねた。
「あなたは地獄の存在を信じていますか」
神父は言った。
「あなたがたの行為を見て、どうしてその存在を疑うことができましょう。
 私は、仮に今まで地獄の存在を信じていなかったとしても、今では堅く信じていると断言します。」と。

霊魂の不滅を拒むのは、道徳のすべての土台を壊し、また、天主の義を否むことである。
わが国で毎年法廷で裁判を受けるものは、一万人について200人にあたる。犯罪人の最も多い米国でも、
1万人に120人である。英仏諸国はずっと少ない。ヴィクトル=ユーゴーは
「一学校を増すならば、一牢獄を減らす」
といった。
しかし、これは日本においては正反対である。これはどうしてか。
それは、日本はただ物質的の文明だけを採用したからである。キリスト教を除外した人間のたてた道徳は、
犯罪を減らすことができない。
「天主は自分を好まない人間を、自然の成り行きにまかせる」
という言葉がある。
日本人は、この言葉を、よく記憶せねばならぬ。

(3)シャトブリアンは言った。
「わずかな草は、羊に満足を与え、すこしの血は虎をあかす。しかし、人間だけは満足することができない」
すべての人は楽しみを求める。しかし、それは、底なしの器のように満足されるときがない。人は知識を求める。
けれどもこれも満足できない。
パスカルは言った。
「一番学者である人は、偉大なる無学にしずんでいる」
名高い説教者司教ボスエは言った。
「われらは、いかなる些細なことについても、完全に知る事はできない」
ニュートンは言う。
「われらは海辺に遊んでいる子どものようなものである。あるときはよく光っている小石をみつけ、あるときは珍しい貝をみつける。
 しかし、そのあいだに、まだ探検しない真理の大海はいつも眼前に横たわっている。」
天文学者フラン=マリオはいう。
「全世界にあるすべての学士会の学問は、みな限りなき無学を示している。真実、精密、完全なことは一つも知らない。われらは、ただ一つの権利のほかには何ももっていない。それはすなわち「へりくだる」ということこれである。われらは、「知らず」ということの中につつまれ、かつ沈んで暮らすのである。」
ソクラテスは言う。
「われわれにわかることが一つある。それはすなわち、われは何をも知らないということである。」
人間はどうしても満足することはできない。国王ソロモンもその栄華の終わりに、
「ああ、空なるかな、空の空なるかな」
とさけんだ。

ここに、父母子どもがみな一緒に楽しく暮らしている一家族がある。しかし
「この楽しみもやがて終わる」という観念だけで、すべての愉快を取り消すに十二分である。

モモでもリンゴでも、ある果物をつぶしてそのうちの味をすこしも残さないで搾り取るというように、万物のうちの楽しみや、美しさをことごとく
しぼりとりなさい。それでも人間は満足しない。たのしみは森のウグイスのように、抜き足、差し足、取ろうとしてもいつも逃げてしまう。
人間の心は世界よりも広い。つくられた万物は、これを満足させることができない。すべての快楽財産名誉などは、人間の心にある高尚な望みを充たすには
あまりにつまらない。死の暗闇のトンネルは、人間の永遠の望みをさまたげる。
人は無限のふところに入ってはじめて、無限の幸福を得られる。トンネルのあなたの、この純粋で無限なる楽しみを教えるのは、ただカトリックのみである。

(4)
(この章、続く)

煉獄 第1章 煉獄の存在

2015-05-29 21:25:30 | 煉獄 
第1章 煉獄の存在
公教会の教えによれば、人は死するとき、霊魂は肉体と離れ、天主の審判を受け、一生の善悪の賞罰を受ける。そして赦されていない大罪をもって死んだものは地獄に、また少しの罪もなく天主の義に対して償いを果たした者は天国に、また、小罪にけがされ、あるいはゆるされた罪の償いがまったく果たされていないならば、煉獄に行くのである。煉獄はわれらの信仰の宝をなす一ヶ条である。天主の義、叡智、全善の奥深いところを現す真理である。

天啓
あらゆる民族を通じて煉獄の思想がある。ヘブライ人はもとより、インドにも、中国にも、エジプトにも、人は完全な幸福を受ける前、清められなければならないという信仰があった。これは世のはじめに人類に示された超自然の真理に含まれていた。

聖著
ジュダス、マカベは、戦死した兵士の罪をあがなうために、犠牲が天主に捧げられるよう、エルサレムの聖堂に1万2千枚の銀貨を送ったと聖書に示してある。それは、些細な罪をもって死んだ兵士はきよめられる場所に居る、という意味である。その場所を公教会では煉獄と名付ける。



教会の教え
美しい信仰
天主の叡智と無限のあわれみ
われらを聖ならしむる不思議な方法
天主の愛の名作
ド=メストルの言
プロテスタントのある伝道師
煉獄の信仰をきいて帰正
死者のために祈れ
十字架のイエズスのマリア童貞の伝より


幽霊か?
1878年(明治10年)ベルジユム国ルワン市でイエズス会の一人の司祭、フィリッポ=シヨフがこの世を去った。
彼はアンペル市に布教を始めたころに起こった次の話をたびたびした。

ある日、二人の青年が10歳くらいの病身の子どもをつれて司祭を訪れ、
「この子は毎晩幻を見るので、数週間前から衰弱し、このようなあわれな風になっております。
 どうしたらいいでしょうか。」
との相談である。
それで司祭は青年に告解して御聖体をうけることをすすめ、子どもには
「熱心に晩のお祈りをし、安心して寝なさい。それでも幽霊が来るなら、また知らせにおいでなさい」と言った。

15日たつと、2人の青年はまたやってきた。
「おっしゃるとおりにしましたが、やっぱり幽霊は来ます。」という。
そこで司祭は言った。
「それでは、今晩から、紙とペンとインキとをもって、子どもの部屋の入り口に待っておいでなさい。
 そして、『幽霊があらわれた』と言ったら、お入りなさい。
 そして、天主様の御名によって、誰であるか、いつ死んだか、どこに住んでいたか、なぜあらわれるのかを尋ねなさい」

翌日、青年らは、返事の書いてある一枚の紙をもってきた。
この幽霊は老人であって、半身だけ見えた。
青年らも見たとの話であった。
アンペル市のある家に住んでいて、1636年に死んだ、銀行の頭取であった。
市の史料を調べてみると、このことは確かなことであった。
今は煉獄に居るが、自分のために誰もお祈りをしない。
どうか、この家のものだけは、みな告解して、御聖体を受けてもらいたい。
また、ルーアン市とグルクセル市の聖母マリアの聖堂に参詣してもらいたい、とのことであった。

これを聞いて、司祭は、
「それではあなた方はそのいわれた善業を果たしなさい。
 また、もしもう一度現れるなら、他の話をしかける前に、まず、主祷文、天使祝詞、使徒信経をとなえさせてください。」
と言った。

青年は、その善業をしてから司祭のところへ来た。
そして言った。
「神父様。
 あらわれた老人は、言うに言われない厚い信仰をもってお祈りしました。
 あんな熱心なお祈りを、私どもは今までにきいたことがありません。
 主祷文のあいだの尊敬、天使祝詞のあいだのその愛、使徒信経のあいだのその確信。
 祈りというのは、どういうことか、今わかりました。
 私どもの祈りのお陰でずいぶん助けられた、と老人は感謝していました。
 そして、店の取締の娘は、もし、涜聖の告解をしたなら全く助けられるとのことでした。
 私たちが、このことを娘に言うと、娘は蒼白になり、犯した涜聖を私たちに告白し、すぐ告白司祭のところへいって告白をしました。」

このときから、幽霊は見えなくなった。
この家に住んでいた一家族は、非常に幸福になった。
二人の青年は、模範的信者となり、その妹は修道女となり、のちには修道院長となった。


煉獄の霊魂のためにお祈りください
1891年(明治23年)12月6日木曜日、ホーモン市の救助院において、聖ヴィンセンシオ=ア=パウロ会の一人の童貞が死んだ。ジョセフィーナと名付けられたこの童貞は、四十五年前からそこに住んでおり、特に病人の世話をしていたが、癌腫の病人を看護して自分も病気になり、数年間はげしい苦しみを耐え忍んだ後、この世を去ったのであった。

葬式の晩、プロスペールという一人の肢体障害者が、両脇に松葉杖をもって聖堂から出て、自分の部屋へ帰る暗い廊下をとおると、急に動かれなくなって、その手に手触りの温かみを感じた。そして、よく聞き覚えたジョセフィーナの声で、
「煉獄に苦しむ霊魂のためにお祈りください」
というのが聞こえた。
プロスペールの体の血は、氷のようになった。すぐ聖堂に引き返して院長さまにそのことを話した。院長は黙っているようにたのみ、主任司祭にこのことを話し、なお、人を驚かさないために、黙っていることに決めた。

8日の午後5時、降福祭の後、プロスペールは自分の告白司祭である補助司祭に前々日のことを話した。すると、司祭はあざわらって、それはプロスペールが病身のためだといった。司祭が自分の部屋に帰ると、机のまんなかに一枚の紙があって、プロスペールの言った言葉すなわち
「煉獄に苦しんでいる霊魂のためお祈りください」
という文字がかかれてあった。驚きのあまり補助司祭は、その紙をとり、向かいの部屋に住んでいる主任司祭に見せ、また、先にあざわらったことも話した。
この紙の裏にはローマの歴史が筆記されてあった。救助員の童貞に見せると、それはジョセフィーナ童貞の字であるとみな断言した。

4ヶ月ののち、御復活祭の次の木曜日午後3時頃、プロスペールは疲れて横たわっていると、突然風のような音がした。
見回すと、ジョセフィーナ童貞がたっていた。その頭の光は両肩にかかっていた。
「安心しなさい。私です。煉獄にはおりません。永福を受けました」
という。
プロスペールは非常に感動して叫んだ。
「母さま、どうぞ私をなおしてください」
すると童貞は、
「いいえ。この病気はあなたの救霊のため必要です。幸いなる苦しみです。相変わらず煉獄の霊魂のためにお祈りなさい。罪人のために悔い改めなさい。」
といって消え失せた。

読者よ、このお話をお読みになっても、なお煉獄の存在を疑われるであろうか。
なるほど、これは信仰箇条ではない。また、公教会の教えは、その上にたてられていない。しかし、聖人伝においても、煉獄の霊魂の現れた例はすくなくない。
これらの例は、公教会の教えに背かないばかりではなく、これを照らすものである。
万国に信じられている幽霊の話はおもに迷信である。
が、真実の出現のあることも、拒むことはできない。

煉獄 第2章 煉獄における感覚の苦罰

2015-05-29 21:24:55 | 煉獄 
煉獄の霊魂は囚人である

光の欠乏

非常に苦しい火の苦しみ


この世における償いの利益
福者トロメイの妹、アンゼラ童貞は、煉獄で苦しむよりも、この世で罪の償いをしたいと願ったが急病で死んだ。
葬式のとき福者は突然霊感を受け、イエズスキリストの御名によって「闇」の国を去る事を妹に命じた。
すると不思議にも童貞は、頭をあげてたちあがった。
天主さまが何のためにこの奇蹟をおゆるしになったかをよく悟った童貞は、いろいろの苦業をして償いを果たすのに余念がなかった。

自分のからだにあまりに残酷ではないかと非難されると、
「この世でたやすく犯される小罪のためにどんなに煉獄で苦しまねばならないかということを考えれば、この百倍の苦業をしてもいい」
と答えて苦業を続けていた。

不思議な博物館

わたしは、つねられた

皇族の霊魂を救うため

(作業中)