旧約のはなし
はしがき
このはなしは、皆さんのために書いたもので、皆さんが信仰しておられる宗教の歴史です。
皆さんは、日ごろ、日本の歴史を好んで読み、その物語を喜んでお聞きになりますでしょう。それと同じく、この歴史も繰り返し繰り返し読んでください。毎課の終わりには、結びとして、ちょっとした教訓を添えておきました。しばらく止まって、皆さんの小さな頭をひねってみなさい。きっと智を練り、悟りを開くたすけとなり、後には歴史上の大きな出来事を判断する道もおわかりになりましょう。
しかし、ここに書いてあるのは、ホンの筋ばかりで、これだけではどうしても足りません。常に先生なり、伝道士さんなりが詳しく説明してくださいますから、
よく注意して聴かなければなりません。終わって、お宅へ帰りました上では、お父さんにもお母さんにも兄さんにも妹さんにも読んで説明しておあげなさい。教わったところは、ちゃんと判っていると、立派に証拠してください。
さて、この歴史物語を十分わかるには、まず、神様のいらっしゃること、その摂理、その天啓、この3大真理をわきまえていなければなりません。
1 家には、系図というものがあります。親から親へとさかのぼって行きますと、始めてその家を建てた第一の親にきっとたどりつきます。
今人類は、一つの大きな家族をなしている。先祖をたどって、上へ上へとさかのぼるならば、必ず第一の親、私たちをお造りくださった神様に到着するはずです。
ですから、神様がいらっしゃるということは、この歴史の教える第1の真理なのであります。
2 その神様は、私たちを子どもとして可愛がってくださる。良い子どもだと、ますます聖寵を与え、悪い子どもでも、痛い目をみせるやら何やらして、善に立ち帰らせてくださいます。国家や人類一般に対しても、やはりそう致しなさる。神様のこの業を、摂理(せつり)<はからい>と申します。
ですから、摂理は、この歴史の教える第2の真理なのであります。
3 そればかりか、神様は自ら人類の教育者となり、おのおのの心に自然法を刻みつけてくださいました。後には、石の板に書いた十戒をモーゼに与え、またその後には、その御独子を遣わして、キリスト教の新しいおきてをお授けになりました。このように神様が御教えを人類に啓示になったことを、天啓と呼びます。
天啓がこの三段の道のりを経て、いよいよ詳しく明らかになった次第をこの歴史は物語るのです。ですから、天啓は、この歴史の教える第3の真理なのであります。
4 普通の歴史を知る必要があるならば、まして自分の信じている宗教の歴史を知らなければなりません。普通の歴史とは人と人との関係をのべるだけにとどまるのですが、宗教の歴史は人類と神様、無上の君でおられる神様との関係を物語るのであります。
第1期 アダムからアブラハムまで
第1課 天地の創造
1 世界のはじまり
天も地も草木から禽獣、人間に至るまで、みなひとりでに生じたものではありません。永遠の存在であって、始めもなく終わりもなく、いつでもどこにでもおられるのは、ただ神様だけです。その神様によって一切のものは造られたのであります。しかし、創造の年代は、聖書に一言も記してない。現代科学の憶測によると、幾百万年、あるいはそれ以上の昔であろうということです。同じように、人間が初めて地上に現れた年代についても、聖書は何とも教えていない。科学上から推し測るよりほかはないのですが、今日では、科学者の言うところもまちまちで、一向あてになりません。確かなところは分らないと言うよりほかはありません。
2 見えない世界
世界は、目に見えるのも見えないのも、すべて無から造られました。神様がだた一言おっしゃっただけで、一切のものは出来たのであります。まず神様は、いわゆる天使をお造りになりました。天使は色もなく、形もない、しかも知恵と自由を備えた霊であります。その天使に、永遠の福楽を与える前に、神様は一応天使をお試しになりました。もちろん、どんな種類の試しであったか、その辺は何ともわからないが、天使の多くは固く忠節を守って動きませんでした。しかし、中には柄にもない傲慢を出して神様に背き、地獄に罰されたのもありました。彼らのなれのはてが悪魔で、その頭(かしら)をサタンと呼びます。悪魔らは常に神様を怨み、人を悪に誘うて止みません。善と悪との戦いはここに始まったのであります。
3 見える世界
次に神様は、見える世界、すなわち天と地とをお造りになりました。しかし、初めてお造りになったのは、今のように整った世界ではない、ただ、行く行く天となり、地となり、万物ともなるべき材料の大きな塊で、それと定まった形すらない。その塊を真暗な闇が包んで居ました。神様は6日の間にこの材料をそれぞれに整えて、こんな見事な世界となし給うたのであります。もとより6日といっても、24時間を1日としたそれではなく、数えられもしないほどの長い長い歳月を、大きく6つに区分けしたまでに過ぎないのであります。
4 6日間の御業
神様は、第1日に光を造って、これを暗と分かち、光を昼と呼び、暗を夜と名づけなさいました。2日目には青空を造り、これを天とお呼びになりました。3日目には陸と海とを引き分け、陸には色々の草木を茂らせなさいました。4日目には日、月、星を造って夜を昼とを区別し、季節や日や年を分かつための象(しるし)ともなさいました。5日目には水に泳ぐ魚とか、空に翔ける鳥とかをお造りになりました。6日目に造られたのは、家に畜う牛馬や野山に駆け回る獅子、虎、象などの類でした。このような天地万物は、すべて神様の御手に造られたのですから、その間には感心するような見事な秩序が立ち、それぞれ神様の全能、全智、全善等の美しい御徳を物語っていたのであります。だが無神主義の先生たちは、その見事な秩序を眺めたくないのです。何とかして天地万物に記されてある神様の御足跡を磨り消したいものと考えています。「物というものは、ひとりでに出来、ひとりでに進化して無生物から生物へ、劣等生物から高等生物へと進んでいったのだ」
と、口癖のように叫んで止みません。彼らは被造物の上に反射している神さまの偉大さをば、わざと目をつぶって見ないように、見ないようにと努めているのであります。
5 人間の創造
天地万物は美しく整ってきた。しかし、いくら美しく整ってきても、まだこれだけでは物足りない。なおその上に知恵を持ち、意志を備えた何者かがあって、天地万物の美をたたえ、あわせてこれが創造主である神様を認め、讃め、愛し、神さまに仕え奉らなくては、それこそ龍を描いて眼を入れないようなものです。よって神様は、6日目に土をもって体を作り、これに魂を与えて立派な人間となし給うた。これこそ、わたしたちの元祖アダムで、世界の美を一身に集めたものでありました。そうして、創世の業はめでたく終わりました。神様はその天地万物をご覧になると、いかにも美しく見事にできている。よって7日目にはお休みになり、この日を祝して聖日となし給うた。旧約時代には土曜日を、今日では日曜日を安息日となし、労働を休んで祈祷をとなえ、祭礼にあずかるのは、ここに基づくのであります。
6 教訓
国王がどこかにお行幸になるという時は、下検分のために、まえもって人が遣わされ、諸般の準備をしておくものです。今、人間は万物の霊長ですから、神様は住所から食物までの必要なものを一切備えたうえで、ようやくこれをお造りになりました。で、人たるものは、あくまで己の品位を高め、万物の霊長たる身を持ちながら、自ら己を賤しめて万物の奴隷となるようなことをしてはならないのであります。
第2課 人間の幸福
7 楽園
神様はアダムを住まわせるため、エデンというところに一個の美しい園をお構えになりました。この園には草木が緑に萌え、色さまざまの花は美しく咲きこぼれ
甘い甘い果実は枝もたわわになり下がり、その間を、水晶のような清水が、ひとつの泉から分かれて四方に流れ、四つの河を成している。それこそ実に地上の楽園で、神様はアダムをこの園において耕作に当たらせなさいました。アダムはもとより独りぼっちでした。しかし「人がただ独り居るのは宜しくない」と神様も思し召しになり、アダムを深く眠らせておいて、その脇から骨を取って女を造り、アダムに連れ添わせてその妻と致しなさいました。アダムは後でその女にエワという名をつけました。「生ける者の母」という意味であります。アダムもエワも神様のおもかげに似て、無罪で、幸福で、聖寵に輝き、心は正しくて悪に流れたがる傾きすらなく、智慧は明らかに物事をよく判り、苦しみも悲しみも死ぬことすら全く知らないのでした。異教徒でも、この、めでたい時代をかすかに記憶していたものと見え、よく「黄金時代」という名をこれに付けています。
8 善悪の知識の樹
楽園の樹の中には「生命の樹」と「善悪の知識の樹」というのがありました。「生命の樹」とは、その実を食べていると、老いぼれたり、死んだりする憂いすらないはずのものでした。「善悪の知識の樹」は、ひとたびその実を食べると、するべきはずではない悪までも判って来る。何とも危ない、恐ろしい樹でありました。
神様は、アダムとエワとに善こそ知らせ給うたが、悪は知らせまいと思し召しになりました。悪を知ると、いつしかその悪を働きたくなるからです。そこで、「他の樹の実は、心のままに取って食べてもよい、ただ、善悪の知識の樹の実だけは食べてはならぬ、食べたらきっと死ぬぞよ」と厳しく禁じておかれました。
9 教訓
女は男の脇から取った骨で造られました。夫婦が一つの体であること互いに相愛してゆくべきこと妻は夫の下であること等をこれによって教えられるのです。
第3課 人祖の罪と救い主の約束
10 堕落
アダムとエワは、神様からいただいた福楽を保つことも失うことも、それを子孫に伝えようと伝えまいと、それは全く自由でした。ところで、憎むべきは悪魔です。人間の幸福を妬み、なんとかして人間に罪を犯させ、自分と同じように悲惨な運命に泣かせたいものと思い、ある日のこと、ヘビの形を借りて女に言い寄りました。「なぜ神様は、この木の実を食べるなっておっしゃるんです?これを食べたら、善と悪とがわかって、神さまのようになるのですのに!」と言って、そろそろ女を誘いました。女は好奇心と虚栄心とに負けて、ヘビの言うがままにその実を取って食べました。アダムまでが、女にひかされてその木の実を食べました。果たして、悪が分かってきた。突然眼が開いて、わが身が赤裸であることを悟りました。二人は恥ずかしくてたまりません。木蔭に身を隠して小さくなっていると、「アダム、アダム!」と、神様に御声を掛けられました。アダムは恐れて縮みあがった。神様はアダムにその罪を告白させようと思い、「何をした?禁じておいた木の実を食べたんじゃないか?」と、お尋ねになりました。アダムは、もう、最初の優しい心を持ちません。「女に勧められて食べました」と、その罪を女になすりつけた。女もまた、自分の過ちは棚に上げて、「ヘビが、だましました」と言い訳をしました。「仰せに背いてすみませんでした」と言って、謝ろうとは致しません。
11 罪の罰と救い主の約束
ここにおいて、神様は、各々に厳しい罰を申し渡しなさいました。まず、ヘビに向かって仰せられた。「おまえは、こんな悪いことをしたのだから、生き物の中でも一番のろわれ、地上をはらばい歩き、塵を食って生きていくのだ。わたしは、おまえと女と、おまえの子孫と女の子孫との間に恨みをおく。彼はいつか、おまえの頭を踏み砕き、おまえもまた、かれのかかとにかみつこうとするであろう。」女には、次のように申し渡された。「おまえは、お産をするとき、苦しい目をみる、
また、夫の下になって、その支配をうけなければならぬぞ」最後にアダムにも宣告を下しなさいました。「おまえは、妻の言葉をきいて、私の戒めを破った。その罰として、地はのろわれて、イバラとアザミとを生じ、おまえは一生の間、よほど苦しんで働き、額に汗して食を求めなければならない。そしてお前は、もともとちりから出たものであるから、最期には、また、死んでもとの塵に帰るであろうぞ。」と。それから神様は両人に皮衣を着せて、両人を楽園から追い出し、両人が二度と入ってきて、生命の木の実を食べることができないように、火焔の剣を携えたケルビム天使にその門を守らせなさいました。このように、人祖は、成聖の聖寵もその他の幸福も失いました。全人類を無知と苦痛と死の禍に沈ませました。あらゆる人間の不幸は、ここからおこったのであります。しかし、神様は、決して人類をお見捨てにはらない。「彼はお前の頭を踏み砕くであろう」と、ヘビにおっしゃったのは、あとで救い主を降して人類を悪魔の手から救いとって遣わす、という御約束であったのです。アダム夫婦は、この有難いお約束を堅く信じ、長い間その罪を悔い悲しんで、お詫びを致しました。
12 教訓
人祖の罪は、人祖のみにとどまらないで、後世子孫にまで伝わった。これを、原罪と申します。原罪のことは、聖書に書いてあるばかりではない。また、私たちの内にいろいろな誘惑が起こる。心は悪に流れたがる。労働の辛さ、貧の苦しさ、病の耐えがたさを感じ、死を恐ろしく思う。一方には、やむにやまれぬ知識欲があり、幸福にあこがれ、真・善・美をこいねがう念もある。これらは、すべて原罪の存在を語る生きた証拠です。
第4課 アダムの子孫
人祖の堕落の結果は家庭にも社会にもあらわれて、いろいろの面白くない罪悪となり、人類はいつしか腐り果ててしまいました。
13 家庭における罪
アダムとエワは、多くの子どもを生みました。長男をカインと呼び、その次をアベルと名づけました。成長の後、カインは農夫となり、アベルは牧畜をやることとなりました。アベルは心の清い正直な青年でしたが、カインはどうも、こころだての良くない不正直な男でありました。ある日、ふたりは、神様に物を捧げました。
神様は、正直なアベルの供え物を喜んでお受けになったが、カインの供え物は一向にかえりみてくださいません。カインはおおいに腹を立てた。アベルを外へ誘い出してアベルを打ち殺してしまった。「アベルはどうした?」と神様に問われても、「知らない。わたしは弟の番人ですか」と、しらばっくれました。痛悔してお赦しを願おうという気は露ばかりもない。このため、神様ののろいをこうむり一生の間地上をうろつきまわりました。子孫も皆、カインの良からぬ性質を伝えて、残忍で、傲慢で、ただもう肉身の楽しみにのみふける悪人となりました。これに反して、アベルのかわりに生まれたセトは、アベルにも劣らぬ善い児でした。子孫も皆よく神様に仕え、幾代かの間は、カインの子孫とはつっ離れて清い社会を作りました。カインの子孫を「人の子」といい、セトの子孫を「神の子」と呼んだものであります。
14 社会における罪
アダムもその子孫も、最初は随分長生きをしました。900年もその上も命を保って多くの子どもを生んだので「人の子」も「神の子」も非常な勢いで繁殖しました。繁殖するに随い、「神の子」にも不心得な人間がでてきて、「人の子」の容姿の美しさに迷い、「人の子」と婚姻を結びました。夫婦の間に生まれたのは、何とも始末に負えぬ悪漢で、その悪い風儀が次第に他の人々にも伝わり、終には社会全体が、魂の抜けた、肉の塊も同様になってしまいました。
15 ノアの方舟
そういう腐った人間社会にも、ノア夫婦と3子、セム、カム、ヤフェト、及びその嫁たちは、それこそ泥の中を抜け出た蓮の葉のように、周囲の濁りにも染まず、身を慎み、行いを磨き、一心に神様を敬い尊んでいました。神様はいよいよ人間に見切りをつけ、大洪水をあふれさせて彼らを残らず滅ぼし、ノアを祖先として新たに清い社会を作らせたいとおぼしめしになりました。そこで、ノアに命じて、ひとつの大きな方舟を造らせなさったが、その方舟は長さおよそ150メートル、幅が25メートル、高さが15メートル以上もあり、上に明かり窓を設け、船べりにも一つの門をこしらえ、内からも外からもちゃんと塗り、その中にノアの一家をはじめ、諸々の鳥獣を乗せ、入り用な食物までも積み込むのでした。ノアは、方舟を作るのに、随分長い年月を費やした。その間にも、彼は人々に勧めて悔い改めさそうとしました。しかし、悪に沈み入った人々は、ノアの誠意こめた説諭も全く馬の耳に風と聞き流して、一向相手にしません。
16 教訓
方舟は、カトリック教会をかたどったものです。これに乗りこまなくては、どうせ溺れ死にを免れない。そして、これに乗り込むには、洗礼の門がただ一つ開いていることを忘れてはなりません。
第5課 洪水とその後
17 大洪水
方舟は出来上がった。7日の後には、いよいよ大雨を降らして世界を水になしてしまうという神様のお沙汰が出た。ノアとその家族は、急いで方舟に乗り込んだ。鳥でも獣でも入れるはずのものは残らず入れてしまいました。7日目になると、はたして、滝でも切って落としたかのような大雨が40日の間も、昼夜休みなしにザアザアと降り続いた。たちまち川も海もあふれにあふれて、世界は濁った波がダブダブと湧きかえる大海となり、ノアの方舟は次第に高く高く水面に浮かび上がりました。ノアの勧めに耳を傾けなかった人々も、この有様を見てはどんなに驚きあわてて、樹に、岡に、高い山の頂に駆け登ったでしょう。しかし、水はたちまち樹を没し、岡を沈め、高い山の頂でも、25,6尺の深い波の底に溺らせました。人間はもちろん、山の獣、空の鳥、草むらに住む虫けらまでも残らず滅ぼし尽くされました。
18 ノアの燔祭
雨は降りやんでも、地上はなお一面に泥浪のもみ返す大海でした。150日を経て神様はノアのことを思い出して海上に熱い風を吹かせなさいました。すると、水は次第に減って、方舟はついにアルメニア国のアララト山に据わりました。それからしばらくたって、ノアは方舟の窓を開いてカラスを放しました。カラスはあちらこちらと飛び回って、方舟には帰りません。で、今度はハトを放ってみました。最初はむなしく帰ってきたが2回目には青いオリーブの枝をくわえてまいりました。
もういよいよ水はひいたのです。やがて、神様の仰せもあって、ノアは妻子や鳥獣と方舟を出ました。生命を助けてくださった御恵を感謝するがため、祭壇を築いて燔祭を捧げました。神様は、それを大そうお喜びになり、一同にありがたい祝福をくだして「もう、これからは、洪水を溢らして、生き物を滅ぼすようなことはしない。この契約を忘れないしるしとして、雲に虹をあらわすことにする」とお約束になりました。
19 セム、祝せられる
ノアの子どもの中で、カムはあまり、たちの良い子どもではなかった。ある日、父に対して不都合なことをした。ノアは、これをのろい、カムの子孫がしもべのしもべとなって他の兄弟に仕えるようになるであろうと言いわたし、反対にセムとヤフェトを祝しました。特に、「セムの神は讃むべきかな」と言って、セムと神様との間に、特別の関係が結ばれるべきであること、救い主が彼の子孫に出て来給うことをほのめかしました。
20 バベルの塔
ノアの子孫は、次第に殖えて地上にあふれるようになった。いつまでも1か所に住んでいるわけにはいかない。分かれる前にひとつの町を建て、その中に天にもとどくような高い塔を気づき、自分たちの名を万世に残そうと謀りました。神様はかれらの大それた傲慢をお憎みになり、彼らの言葉を乱してお互いに通じないようにしてしまわれました。仕方がないので、彼らも工事を止めて、東へ西へ南へ北へと散り散りに分かれました。その建て止めた塔は、「バベル(乱れ)の塔」と呼ばれました。言葉が乱れて通じなくなったからです。一概には言われないが、カムの子孫は主としてカナアン地方からアフリカにかけて住み、セムの子孫はアラビア、カルデア地方に国を建て、ヤフェトの子孫は西のほうに広がって、ヨーロッパ人種となりました。
21 教訓
洪水の話は、聖書に載っているばかりではなく、カルデア人、エジプト人、ギリシア人、ローマ人その他多くの民族の間にも、代々語り継ぎ、聞き伝えられたものです。キリスト前3000年の頃、カルデア人はこれを、煉瓦の板に書き記しておきました。その板は、近年続々と発見されつつあります。
第6課 アブラハムの召し出し (紀元前およそ2000年前)
22 アブラハム
四方に分かれ分かれたノアの子孫は、次第に神様を忘れ、日や、月や、星や、鳥獣などを礼拝するようになりました。このままにしておいたら、まことの宗教は滅び、救い主を遣わすという約束も忘れてしまっているにきまっている。ところで、セムの幾代かの孫に、アブラハムという信仰堅固な人がいました。始めは、カルデアのウル(バビロンの南)という町に住んでいたのですが、神様の仰せに従い、父のタレ、甥のロト、妻のサラ等と町を出て、遠く西北に進み、ユーフラテス川の上流にあたるハランという町にたどりついて、しばらくここに足をとどめました。タレはそこで亡くなったが、その後で神様はアブラハムにあらわれて「汝の国を出て、汝の親族を出て、汝の父の家を出て、我が汝に示す地に行け。我は、汝を大いなる民の祖となし、かくて、地上のすべての民は汝によって祝せられるに至るであろう」と仰せになりました。「地上のすべての民は汝によって祝せられるに至るであろう」とは、彼の子孫に救い主がお生まれになるという約束だったのです。アブラハムは神様の仰せを、畏まって、甥のロトとハランを絶ち、西南の方、カナアンを指して出発しました。向こうへ到着するや、神様は再びアブラハムにあらわれて、「この地を汝と汝の子孫に与える」とお約束になりました。アブラハムはそこに祭壇を築き、供え物をささげて御恵みを感謝しました。
23 ロトと別れる
アブラハムもロトも、おびただしい牛、羊、ロバ等の持ち主で、水や草のあるところを尋ねて次から次へと移って遊牧をしたものでした。しかし、2家族が一緒に住んでいては、どうしてもまぐさが足りない。よって互いに仲良く分かれることに話をきめ、ロトはヨルダン川に沿った青緑の平野をみつけて、その方へ立ち去り、後ではソドムという町に移りました。アブラハムは、南カナアンのヘブロンの付近に住居を定めました。
24 アブラハムとメルキセデク
時に、ソドム付近には、別に4つの町があって、遠い東のほう、エラムという国のコドルラホモル王に服従していたものでした。ところで、このごろ、互いに同盟を約して、王命を拒み、貢を納めなかったものだから、王はセンナアルの王アムラフエル等と兵をあわせてカナアンに入り、ソドム方を打ち破り、物でも人でも手当たり次第にかすめとって引き揚げました。無論、ロトも捕虜の一員であったのです。アブラハムはそれと聞くなり、しもべを318人ほどすぐりたて、他の援兵をも加えて、敵の後を追いかけ、勝ち誇って油断をしているところに夜襲をしかけました。敵は、不意を打たれてうろたえるの、うろたえないのじゃない、何もかも投げ捨てて命からがら逃げ失せた。アブラハムはロトをはじめ、大勢の捕虜、たくさんの分捕り品を残らず取り戻した。ソドマの王とサレム(後のエルサレム)の王、メルキセデクは、喜んでアブラハムを出迎えました。このメルキセデクは、真の神を信じる司祭でもあって、パンとブドウ酒とを捧げて神さまをまつり、アブラハムを祝しました。アブラハムは、彼に謝礼として、奪い返した物の10分の1を贈りました。メルキセデクは、万物の王にして永遠の司祭であるイエズス・キリストを
かたどり、メルキセデクの捧げたパンとブドウ酒は、ミサ聖祭を前表したものであります。
25 ソドムの滅び
ソドムとその付近の町町は、聞くもいやらしい罪悪にふけっていたものでした。敵軍に荒らされ、散々な目にあっても、一向に改める様子がない。その濁った汚い罪悪の叫びが、神様の耳にまでとどきました。神様もついに愛想を尽かし、ソドムを滅ぼしてしまおうと思し召しになりました。かねて情け深いアブラハムのことですから、そのことを知るや、不憫の情に堪えず、「もし、ソドムに50人のただしい者がいましたら、それに免じてあの町を御赦しくださいますように」と嘆願しました。神様は快くアブラハムの願いをお聞きいれくださった。しかし、ソドムには50人の正しい者もいなかった。アブラハムはだんだんその数を減らして、10人にまで下りました。神様も相変わらずアブラハムの請いを許し、10人でも正しい者がいたら、滅ぼさないとおっしゃってくださいました。でも、ソドムには、10人の正しい者すらいなかったのです。もう仕方ない。神様は天使を遣わしてロト一家に町を立ち退かせ、それから硫黄と火の雨を降らして、そのあたり一帯の地をすっかり焼き尽くしてしまわれました。
26 教訓
罪は、恐ろしいものです。神様は正義限りないお方です。罪にふけっていつまでも改めないならば、一度は必ず天罰がやってくる。のがれる道はありません。
第7課 イザアク
27 割礼
あるとき、神様はアブラハムに現れて、
「我は全能の神である。おまえは私の前を歩いて完全な者になれ・・わたしは、おまえの子孫を非常に増やし、おまえとおまえの子孫の神となり、お前が現在さまよっているこの土地を彼らに与えるであろう。この契約の証拠として、男子が生まれて8日目になると、これに割礼を施すことにせよ・・・来年の今頃には、おまえの妻、サラが男子を産むから、それにはイザアクと名づけるのだ」と仰せになりました。割礼とは、体の一部を傷つけて血を流す式であります。時にアブラハムは98歳、サラもずいぶん老いぼれていました。もう、こどものできる年ではなかったのですけれども、さすがは信仰の父と崇められるほどあって、
アブラハムは正直に神様の御言葉を信じました。その日、早速わが身をはじめ、家にいる男子に、残らず割礼を施しました。
28 イザアクの誕生と犠牲
果たして翌年、アブラハムは玉のような男児を与えられ、これにイザアクと名づけました。イザアクはだんだんと成長しました。神様は、アブラハムの信仰を試してみたいと思われました。ある日のこと、
「おまえの愛するイザアクを伴い、私の示す山に行き、これをいけにえに捧げよ。」と命じなさいました。アブラハムは、仰せのままにイザアクを伴い、一人のしもべと、神様のお示しになったモリア山をさして出発し、3日目に山のふもとにつきました。
それから、しもべはそこにとどめ置き、イザアクに薪を負わせて山に登りました。
頂にたどり着くや、石を集めて祭壇を築き、薪を積んでその上にイザアクをしばって載せました。剣を執っていよいよ最愛の独り子をささげようとするとき、天から声が聞こえました。
「その子を害するな。おまえが神様をおそれ、神様のためには独り子でも惜しまないという、その美しい心掛けは、もう十分にわかった」と、天使が呼び止めたのでした。アブラハムはハっと思い、後ろを振り返ると、一匹の雄羊が藪の中に角をひっかけてもじもじしているじゃありませんか。さっそくそれをほふって、わが子のかわりにいけにえに供えました。
29 信仰の報い
アブラハムは、やがて、信仰の報いをこうむりました。天使は再びアブラハムに声をかけました。
「これは、神様の御言葉です。おまえはわがために独り子すら惜しまなかったから、わたしもおまえを祝し、おまえの子孫を空の星のように浜の砂のように増やし、地上のすべての民もおまえによって祝せられるであろう。」こういう、うれしいお約束をありがたくも頂戴したアブラハムは、どんなに喜んで、足さえ軽々と自宅へ帰ったことでしょうか。
30 イザアクの結婚
イザアクは、やがて、よい年ごろになりました。アブラハムは、イザアクに適当な配偶者を見つけやりたいとは思ったが、何分カナアンの民は、みな偶像教におぼれている。とても自分の家にあわない。幸い、メソポタミアのハランには、弟ナコルが住んでいる。そこで探したら、適当な嫁が見つからないこともあるまい、と思い、しもべのエレアザルを遣わしました。エレアザルは、10頭のラクダにたくさんの贈り物を負わせて旅に上がり、多くの日数を重ねて無事、ハランの町にたどり着きました。時に、夕日はまさに西の山の端に傾き、町の娘たちがそろそろ水汲みに出かけることでした。
「その娘たちのうちから、若旦那イザアク様の奥方を選んでください」と、エレアザルは、心をこめて神様に祈りました。
まだ、祈りも終わらないうちに、レベッカという世にも美しいしとやかな乙女がやってまいりました。
エレアザルは、その乙女に水を一口飲ませてもらい、話しかけてみるとそれこそナコルの孫娘で、父をバッエルというのではありませんか。エレアザルは大いに喜び、厚く神様の御恵みを感謝しました。やがてその家に招待され、丁重な待遇を受けました。旅行の目的を打ち明けてレベッカを懇望すると、父のバッエルも兄のラバンも、快く承諾してくれました。このように、レベッカは、エレアザルに伴われてカナアンへ行き、めでたくイザアクの妻となりました。
31 教訓
イザアクは、イエズス・キリストを前表したものです。彼が、自分の焼かれるべき薪をかついで山へ登ったのは、主が、その磔(はりつけ)たまう十字架を担いでカルワリオへお登りになったのを、立派にかたどっているのであります。
第8課 エザウとヤコブ
32 兄弟の気質
イザアクは、エザウとヤコブの双子を生みました。エザウは体中毛だらけで、性質もまた荒っぽい、わがままな男でした。始終野山を駆けまわり、獣狩をして日を送ったものであります。
ヤコブは反対に、至って優しく、おとなしい質で、いつもテントに住んで、羊の番をしているのでした。
33 長男の権
ある日、ヤコブが赤い豆を煮ていると、エザウはへとへとに疲れて山から帰ってきました。
エザウ 「オイそれを俺に喰わせい。腹がペコペコになって堪らぬじゃないか」
ヤコブ 「豆は上げますが、その代りに長男の権を私に売ってください」
エザウ 「死なんばかりだ。長男の権もあったものじゃないよ」
エザウはやすやすと承諾した。ヤコブの差し出す煮豆を食べ、酒を飲み、平気で立ち去りました。長男の権を売り飛ばしたことなど、気にもかけない風です。イザアクはだんだん年老いて、眼はかすんで見えなくなるし、最期の日もあまり遠くあるまいと思われてきた。まだ息のある中に、長男のエザウに祝福を与えたいものだと考え、まず、狩にいって御馳走を食べさせてくれと頼みました。しかし、エザウは、長男の権を弟に譲り渡している、その祝福を戴くわけにはいかない。
エザウが野へ出て行ったあとに、母のレベッカは、急いで御馳走をこしらえ、ヤコブに持たせてやってその祝福を受けさせました。エザウは地団駄踏んで悔しがったが、もう後の祭りで、どうすることもできません。
34 ヤコブの避難
エザウは腹がたってたまらない「ウヌ見て居れ。お父さんが目を瞑られたら活かしておかぬから」と言っている。レベッカはヤコブの身の上を気遣い、勧めてハランへ走り、伯父ラパンの許に避難させました。その途中で、ヤコブは、とあるところで石を枕にして休みました。夢の中に、地から天に届いたハシゴがあって、天使がそれを昇ったり降ったりしているのを見ました。ハシゴのてっぺんには、神様がいらして、ヤコブに親しくお声をかけ、
「我はアブラハムの神、イザアクの神である。汝が休んでいる地は、汝と汝の子孫に与える。汝の子孫は、地の埃のようにたくさんになり、汝と汝の子孫によって、地上のすべての国民も祝されるであろう。」と仰ってくださいました。ヤコブは、どんどん行ってラパンの家にたどり着いた。20年間もラパンのためにまめまめしく働き、神様の祝福によって、おびただしい羊、ヤギ、ラクダ、ロバ等の持ち主となった。それからカナアンへ帰って、兄エザウと和睦し、ヘブロンなる父の許に
とどまりました。エザウは南の方エドムの地に住み、イドメア人の祖となりました。
35 教訓
イザアクは、ヤコブを祝したうえで、エザウからしきりにせがまれて、エザウに、将来のことを告げました。
「おまえは、剣をとって世を渡り、弟につかえるであろう。しかし、後では、そのくびきを振り落とす時が来る」
と申しました。果たして、エザウの子孫は、死海の南に住んで、エドムの国を建てたが、しかし、国はやせこけた石ころの土地で、農耕に適さない。したがって、住民はおのずと戦争や強盗を事とするようになった。イスラエルの国勢がさかんになると、征服されてその属国となり、衰えると背いて独立するというようにしていたが、後では、この国からヘロデというものが出て、イスラエルの王となりました。
第9課 ヨゼフ兄弟に売られる
36 イスラエル人
ヤコブは、またの名をイスラエルと称していたから、彼の子孫はイスラエル人と呼ばれるに至った。別に、ヘブライ人と言うこともある。彼らは一時カナアンの地を去ってエジプトに移住することになりました。今、その遠い原因を物語っておきます。
37 ヨゼフ兄弟に妬まれる
ヤコブは多くの子どもを与えられた。男子ばかりでも12人から持っていました。末から2番目はヨゼフと呼び、気質は素直で、心は清く、しかも人並すぐれて利発な子でした。父もこの児をまたとなきものと思い、ヨゼフに美しい上着を着せて、何かにつけて他の子どもよりもかわいがったものであります。兄たちは、妬ましくてたまらない。これに加えて、ヨゼフは己の将来の運命を告げるのではないかと思われるような2つの夢を見ました。ひとつは、兄たちと畑へ行って麦をたばねていると、ヨゼフの麦束が、がっと立ちあがり、兄弟たちのがその周りを取り巻いてこれを拝んだというのでした。もう一つは、日と、月と11の星とが、ヨゼフの前にひれ伏した夢でした。星は兄弟にあたり、日と月は、父と母とをかたどったものである。
この夢話をきいた兄たちは、いよいよヨゼフを憎み嫌い、今はもう優しい言葉さえ交わさなくなりました。
38 ヨゼフ売られる
そうしている中に、10人の兄たちは、遠い北の方シケムの野に行って羊を牧することとなりました。ヤコブは、彼らの安否を気遣い、ヨゼフを見にやりました。
兄たちは、早速彼をひっとらえて上着をはぎとり、そこにあった空井戸に投げいれました。たまたま、エジプトに下る証人が、ラクダに乳香を負わせて、そのあたりを通りかかりました。4男が「殺すよりか、あの商人に売ろう。そのほうが、金にもなるし、我々の手も汚れないし、上策だよ」と言いだしました。皆が賛成したので、ヨゼフを井戸から引き上げて銀貨12枚で奴隷に売り飛ばした。それからヤギを殺し、その血をヨゼフの上着に塗りつけ、道で拾ったと言って、父の許へ送り届けた。ヤコブは、彼らの虚言を真に受けて、ヨゼフがいよいよ獣に食い殺されたものと思い込み、衣を裂いて泣き悲しみました。誰がなんといって慰めても、聞きいれませんでした。
39 ヨゼフの入牢
エジプトへ連れて行かれたヨゼフは、その国の将軍プチファルという人に売られました。かねて心の清い、罪のないヨゼフのことですから、大そう主人の
御気に入り、その厚い信用を得、何から何まで一切一人で切り回すほどになりました。しかし、主人の奥方にあられぬ濡れ衣を着せられ、とうとう牢屋に
ぶちこまれました。でも、「正直の頭に神やどる」とはよく言ったものです。ヨゼフほどの人を、神様がお見捨てになるはずがない。
ここでも、老番頭に見込まれて、囚人の監督に挙げられました。
40 国王の近臣
囚人の中に、国王ファラオの近臣が2人いました。ひとりは、「さかびとの司」で、もう一人は「お料理ばんの頭」でした。ある夜、2人とも不思議な夢を見たといって、よほど心配している様子です。「どんな夢?」とヨゼフに問われて、まず、「さかびとの司」はこう物語ました。「枝の分かれた1本のブドウの樹がありました。それがだんだん芽をふき、花を開き、実を結びましたので、私はその実をしぼって王様に奉ったのです。」ヨゼフは、その夢を次のように判断しました。「3の枝は、3日のことで、3日の後、王さまはあなたをもとの職に就けてくださいます。そうなりましたら、どうぞ、わたしのことを思いだして、王様に申し上げ、救い出してください。わたしは、何の覚えもない罪のために、こんな目にあっているのですから。」次に、「お料理番の頭」も自分の夢を語りました。「私は、頭の上に白いパン粉を3籠ほど乗せていました。一番上の籠には、王さまのためにこしらえたいろいろの料理も入っていたですのに空の鳥が来て、それを食い散らしてしまいました。」ヨゼフは、答えて言いました。「その夢の意味はこうです。3籠はやはり3日のことで、3日の後、王様はあなたの首を斬ってさおの上にさらし、空の鳥が来て、あなたの肉をつつくようになります」3日の後、果たしてヨゼフの言ったとおりになりました。しかし、「さかびとの司」は、わが身の幸福を喜んで、ヨゼフの頼みは、すっかり忘れてしまいました。
41 ファラオの夢
それから2年ほどたちまして、今度は国王ファラオが夢を見ました。ニル河の岸に立っていると、肥え太った美しい7頭のメス牛が河から上がってきました。その後に、痩せこけた醜い7頭のメス牛がでてきて、前の肥え太ったメス牛を食ってしまったと見たとき、夢は破れました。それから、またうとうと眠っていると、今度は別な夢をみました。1本の麦に、目も醒めるくらいに実った穂が7つも出ていたのに、間もなくヒョロヒョロにしなびた7つの穂が出てきて、前の見事な穂を呑みこんでしまいました。2つとも不思議な夢です。何か意味があるらしい。翌朝ファラオは、国内の博識、占者などを呼び出して判断させてみたが、誰ひとりその意味を解き明かせる者がいない。そのとき、「さかびとの司」が、やっとヨゼフのことを思い出して、王さまにその旨を申し上げました。ファラオは、さっそくヨゼフを宮中に召しだして、ヨゼフに、2つの夢を物語りました。ヨゼフは、うやうやしく答えて申します。
「王様の夢は2つとも同じことを指すのでございます。7頭の肥えたメス牛と7の実った麦穂は7年間の豊作を示し、7頭のやせたメス牛と7のしなびた麦穂は、7年間の凶作を意味します。7年間というものは、エジプト全国は、非常な豊作つづきでございますが、その次には、かつてないほどの大凶作が7年間も続きます。でありますから、今のうちに、賢い腕ききの人を挙げて、豊作が続く間に、余った分を貯えおき、その次に来る7凶年のために備えをするがよろしいかと存じます。」
ヨゼフの意見は、ファラオのお気に入りました。
「いや、そなたほど賢い腕ききの人が見つかるだろうか。今からそなたをぬきんでてエジプト全国をつかさどらしめる。自分は、ただ王の位だけそなたの上にあるのだから、そう思ってもらいたい。」
と言って、直に、自分の指輪をはずして、ヨゼフの指にさし、身には美しい貴人の服をつけさせ、黄金の鎖を首にかけてやり、添え乗りの車にのせて都を乗りまわらせ、「エジプト宰相様じゃ、ひざをかがめい」と先払いに触れさせた。時に、ヨゼフは、年わずかに30歳でした。
42 教訓
兄たちは、ヨゼフが偉くなってはと気遣い、ヨゼフを奴隷として売り飛ばしたが、それでヨゼフは一躍エジプトの大宰相となりました。彼らが押し下げようとしただけ、かえって高く上がりました。神様のおはからいばかりは、実に感心じゃありませんか。しかし、ヨゼフがそんなに偉くなったのも、つまり心の清く、行いの正しい、少しの非を打たれるところもない模範的青年だったからであります。
第10課 兄弟のめぐりあい
43 ヨゼフへ行け
ヨゼフの言ったところに少しも違わず、7年間はぶっとおしに豊年が続きました。ヨゼフはエジプト全国をかけまわって、町町に倉庫を建て、ありあまる麦をそれに蓄えました。果たして、豊年の7年が終わると、凶作が続けざまにやってきた。人民は困ってファラオの前へ行き、麦の払い下げを願い出た。
「ヨゼフへ行け」とファラオは答えて、一切をヨゼフの計らいに任せたので、ヨゼフは倉を開いて麦を売り出した。噂を伝え聞いて、近隣の国々からも麦を求めに押し寄せました。ヤコブ一家も、やはり今度の飢饉には、おお弱りです。ヤコブは止むを得ず、子どもをエジプトへ遣わして麦を買い取らせました。しかし、ヨゼフが亡くなった後には、末っ子のベンヤミンをことさら可愛がっていましたので、ベンヤミンだけは家に留め置くことにしました。
44 ヨゼフ、兄弟を見識る
10人の兄弟は、無事エジプトに着き、ヨゼフの前にひれ伏しました。これが、弟のヨゼフだとは夢にも思い得ようはずがない。しかし、ヨゼフはすぐにそれを見てとりました。ベンヤミンを連れて来なかったのは、何のためだろう?兄たちの心は、今も昔のままだろうか?ひとつ試してみようと思い、「何者じゃ。どこから来た?まわしものだろう。我が国のすきを窺いに来た者に相違ない」と、思いもよらぬことをいいかけた。兄弟は、おそるおそる答えました。自分たちは、カナアンの者で、12人兄弟であった。一人は父のもとに残っている。一人は亡くなった。別に何の悪意もない。ただ、麦を求めに来たのみである。と、家庭の事情までも申し述べて、ひたすらヨゼフの疑いを晴らそうと務めました。しかし、そんな弁解は信ずるに足りないと言わんばかりに、ヨゼフは彼らをひっとらえて、牢にぶちこんでしまいました。3日を経て、ヨゼフは兄たちを牢から引き出して「果たしてお前たちの言うとおりならば、人質として誰か一人だけ残り、他は麦を買って国へ帰れ。そして、末の弟を連れてくるようにせい。」と命じました。兄たちは、かしこまりました。そして、互いに顔を見合わせ「弟をいじめた罰だ。彼が泣いて願ったとき、その心の苦しさはわかっていながら、聴いてやらなかったのだもの、こんな悲しい目を遭うのも無理はないよ」と、懺悔話をやりだした。ヨゼフが、わざと通訳をもって話していたので、自分たちの言葉をわからないものと安心して声高に話したのでした。ヨゼフは聞いてたまらなくなり、ちょっと身をかわして涙をぬぐいました。やがて、再び出てきました。心を鬼にして、シメオンを皆の前で縛り、牢舎にぶち込みました。それから、役人に命じて、彼らのふくろに麦をいっぱい詰めさせ、途中の糧までも添えて帰しました。兄たちは、国へ帰って一部始終を物語ました。ヤコブは大きなため息をつき、「お前たちは、俺を子なしにしてしまうのじゃな。ヨゼフは亡くなる。シメオンは牢につながれる。今またベンヤミンまでも連れて行こうとするのか。いやいや、そればかりは許さぬ。」と、断然言い放ちました。
45 教訓
ヨゼフが兄たちを牢に入れたのは、決して復讐の念からではない。ただ、自分の言うことが至極真面目な話だ、ということを彼らに承知させるとともに、また、これまでの仕打ちを、とくと考えて痛悔の胸を打たせるがためでした。
はしがき
このはなしは、皆さんのために書いたもので、皆さんが信仰しておられる宗教の歴史です。
皆さんは、日ごろ、日本の歴史を好んで読み、その物語を喜んでお聞きになりますでしょう。それと同じく、この歴史も繰り返し繰り返し読んでください。毎課の終わりには、結びとして、ちょっとした教訓を添えておきました。しばらく止まって、皆さんの小さな頭をひねってみなさい。きっと智を練り、悟りを開くたすけとなり、後には歴史上の大きな出来事を判断する道もおわかりになりましょう。
しかし、ここに書いてあるのは、ホンの筋ばかりで、これだけではどうしても足りません。常に先生なり、伝道士さんなりが詳しく説明してくださいますから、
よく注意して聴かなければなりません。終わって、お宅へ帰りました上では、お父さんにもお母さんにも兄さんにも妹さんにも読んで説明しておあげなさい。教わったところは、ちゃんと判っていると、立派に証拠してください。
さて、この歴史物語を十分わかるには、まず、神様のいらっしゃること、その摂理、その天啓、この3大真理をわきまえていなければなりません。
1 家には、系図というものがあります。親から親へとさかのぼって行きますと、始めてその家を建てた第一の親にきっとたどりつきます。
今人類は、一つの大きな家族をなしている。先祖をたどって、上へ上へとさかのぼるならば、必ず第一の親、私たちをお造りくださった神様に到着するはずです。
ですから、神様がいらっしゃるということは、この歴史の教える第1の真理なのであります。
2 その神様は、私たちを子どもとして可愛がってくださる。良い子どもだと、ますます聖寵を与え、悪い子どもでも、痛い目をみせるやら何やらして、善に立ち帰らせてくださいます。国家や人類一般に対しても、やはりそう致しなさる。神様のこの業を、摂理(せつり)<はからい>と申します。
ですから、摂理は、この歴史の教える第2の真理なのであります。
3 そればかりか、神様は自ら人類の教育者となり、おのおのの心に自然法を刻みつけてくださいました。後には、石の板に書いた十戒をモーゼに与え、またその後には、その御独子を遣わして、キリスト教の新しいおきてをお授けになりました。このように神様が御教えを人類に啓示になったことを、天啓と呼びます。
天啓がこの三段の道のりを経て、いよいよ詳しく明らかになった次第をこの歴史は物語るのです。ですから、天啓は、この歴史の教える第3の真理なのであります。
4 普通の歴史を知る必要があるならば、まして自分の信じている宗教の歴史を知らなければなりません。普通の歴史とは人と人との関係をのべるだけにとどまるのですが、宗教の歴史は人類と神様、無上の君でおられる神様との関係を物語るのであります。
第1期 アダムからアブラハムまで
第1課 天地の創造
1 世界のはじまり
天も地も草木から禽獣、人間に至るまで、みなひとりでに生じたものではありません。永遠の存在であって、始めもなく終わりもなく、いつでもどこにでもおられるのは、ただ神様だけです。その神様によって一切のものは造られたのであります。しかし、創造の年代は、聖書に一言も記してない。現代科学の憶測によると、幾百万年、あるいはそれ以上の昔であろうということです。同じように、人間が初めて地上に現れた年代についても、聖書は何とも教えていない。科学上から推し測るよりほかはないのですが、今日では、科学者の言うところもまちまちで、一向あてになりません。確かなところは分らないと言うよりほかはありません。
2 見えない世界
世界は、目に見えるのも見えないのも、すべて無から造られました。神様がだた一言おっしゃっただけで、一切のものは出来たのであります。まず神様は、いわゆる天使をお造りになりました。天使は色もなく、形もない、しかも知恵と自由を備えた霊であります。その天使に、永遠の福楽を与える前に、神様は一応天使をお試しになりました。もちろん、どんな種類の試しであったか、その辺は何ともわからないが、天使の多くは固く忠節を守って動きませんでした。しかし、中には柄にもない傲慢を出して神様に背き、地獄に罰されたのもありました。彼らのなれのはてが悪魔で、その頭(かしら)をサタンと呼びます。悪魔らは常に神様を怨み、人を悪に誘うて止みません。善と悪との戦いはここに始まったのであります。
3 見える世界
次に神様は、見える世界、すなわち天と地とをお造りになりました。しかし、初めてお造りになったのは、今のように整った世界ではない、ただ、行く行く天となり、地となり、万物ともなるべき材料の大きな塊で、それと定まった形すらない。その塊を真暗な闇が包んで居ました。神様は6日の間にこの材料をそれぞれに整えて、こんな見事な世界となし給うたのであります。もとより6日といっても、24時間を1日としたそれではなく、数えられもしないほどの長い長い歳月を、大きく6つに区分けしたまでに過ぎないのであります。
4 6日間の御業
神様は、第1日に光を造って、これを暗と分かち、光を昼と呼び、暗を夜と名づけなさいました。2日目には青空を造り、これを天とお呼びになりました。3日目には陸と海とを引き分け、陸には色々の草木を茂らせなさいました。4日目には日、月、星を造って夜を昼とを区別し、季節や日や年を分かつための象(しるし)ともなさいました。5日目には水に泳ぐ魚とか、空に翔ける鳥とかをお造りになりました。6日目に造られたのは、家に畜う牛馬や野山に駆け回る獅子、虎、象などの類でした。このような天地万物は、すべて神様の御手に造られたのですから、その間には感心するような見事な秩序が立ち、それぞれ神様の全能、全智、全善等の美しい御徳を物語っていたのであります。だが無神主義の先生たちは、その見事な秩序を眺めたくないのです。何とかして天地万物に記されてある神様の御足跡を磨り消したいものと考えています。「物というものは、ひとりでに出来、ひとりでに進化して無生物から生物へ、劣等生物から高等生物へと進んでいったのだ」
と、口癖のように叫んで止みません。彼らは被造物の上に反射している神さまの偉大さをば、わざと目をつぶって見ないように、見ないようにと努めているのであります。
5 人間の創造
天地万物は美しく整ってきた。しかし、いくら美しく整ってきても、まだこれだけでは物足りない。なおその上に知恵を持ち、意志を備えた何者かがあって、天地万物の美をたたえ、あわせてこれが創造主である神様を認め、讃め、愛し、神さまに仕え奉らなくては、それこそ龍を描いて眼を入れないようなものです。よって神様は、6日目に土をもって体を作り、これに魂を与えて立派な人間となし給うた。これこそ、わたしたちの元祖アダムで、世界の美を一身に集めたものでありました。そうして、創世の業はめでたく終わりました。神様はその天地万物をご覧になると、いかにも美しく見事にできている。よって7日目にはお休みになり、この日を祝して聖日となし給うた。旧約時代には土曜日を、今日では日曜日を安息日となし、労働を休んで祈祷をとなえ、祭礼にあずかるのは、ここに基づくのであります。
6 教訓
国王がどこかにお行幸になるという時は、下検分のために、まえもって人が遣わされ、諸般の準備をしておくものです。今、人間は万物の霊長ですから、神様は住所から食物までの必要なものを一切備えたうえで、ようやくこれをお造りになりました。で、人たるものは、あくまで己の品位を高め、万物の霊長たる身を持ちながら、自ら己を賤しめて万物の奴隷となるようなことをしてはならないのであります。
第2課 人間の幸福
7 楽園
神様はアダムを住まわせるため、エデンというところに一個の美しい園をお構えになりました。この園には草木が緑に萌え、色さまざまの花は美しく咲きこぼれ
甘い甘い果実は枝もたわわになり下がり、その間を、水晶のような清水が、ひとつの泉から分かれて四方に流れ、四つの河を成している。それこそ実に地上の楽園で、神様はアダムをこの園において耕作に当たらせなさいました。アダムはもとより独りぼっちでした。しかし「人がただ独り居るのは宜しくない」と神様も思し召しになり、アダムを深く眠らせておいて、その脇から骨を取って女を造り、アダムに連れ添わせてその妻と致しなさいました。アダムは後でその女にエワという名をつけました。「生ける者の母」という意味であります。アダムもエワも神様のおもかげに似て、無罪で、幸福で、聖寵に輝き、心は正しくて悪に流れたがる傾きすらなく、智慧は明らかに物事をよく判り、苦しみも悲しみも死ぬことすら全く知らないのでした。異教徒でも、この、めでたい時代をかすかに記憶していたものと見え、よく「黄金時代」という名をこれに付けています。
8 善悪の知識の樹
楽園の樹の中には「生命の樹」と「善悪の知識の樹」というのがありました。「生命の樹」とは、その実を食べていると、老いぼれたり、死んだりする憂いすらないはずのものでした。「善悪の知識の樹」は、ひとたびその実を食べると、するべきはずではない悪までも判って来る。何とも危ない、恐ろしい樹でありました。
神様は、アダムとエワとに善こそ知らせ給うたが、悪は知らせまいと思し召しになりました。悪を知ると、いつしかその悪を働きたくなるからです。そこで、「他の樹の実は、心のままに取って食べてもよい、ただ、善悪の知識の樹の実だけは食べてはならぬ、食べたらきっと死ぬぞよ」と厳しく禁じておかれました。
9 教訓
女は男の脇から取った骨で造られました。夫婦が一つの体であること互いに相愛してゆくべきこと妻は夫の下であること等をこれによって教えられるのです。
第3課 人祖の罪と救い主の約束
10 堕落
アダムとエワは、神様からいただいた福楽を保つことも失うことも、それを子孫に伝えようと伝えまいと、それは全く自由でした。ところで、憎むべきは悪魔です。人間の幸福を妬み、なんとかして人間に罪を犯させ、自分と同じように悲惨な運命に泣かせたいものと思い、ある日のこと、ヘビの形を借りて女に言い寄りました。「なぜ神様は、この木の実を食べるなっておっしゃるんです?これを食べたら、善と悪とがわかって、神さまのようになるのですのに!」と言って、そろそろ女を誘いました。女は好奇心と虚栄心とに負けて、ヘビの言うがままにその実を取って食べました。アダムまでが、女にひかされてその木の実を食べました。果たして、悪が分かってきた。突然眼が開いて、わが身が赤裸であることを悟りました。二人は恥ずかしくてたまりません。木蔭に身を隠して小さくなっていると、「アダム、アダム!」と、神様に御声を掛けられました。アダムは恐れて縮みあがった。神様はアダムにその罪を告白させようと思い、「何をした?禁じておいた木の実を食べたんじゃないか?」と、お尋ねになりました。アダムは、もう、最初の優しい心を持ちません。「女に勧められて食べました」と、その罪を女になすりつけた。女もまた、自分の過ちは棚に上げて、「ヘビが、だましました」と言い訳をしました。「仰せに背いてすみませんでした」と言って、謝ろうとは致しません。
11 罪の罰と救い主の約束
ここにおいて、神様は、各々に厳しい罰を申し渡しなさいました。まず、ヘビに向かって仰せられた。「おまえは、こんな悪いことをしたのだから、生き物の中でも一番のろわれ、地上をはらばい歩き、塵を食って生きていくのだ。わたしは、おまえと女と、おまえの子孫と女の子孫との間に恨みをおく。彼はいつか、おまえの頭を踏み砕き、おまえもまた、かれのかかとにかみつこうとするであろう。」女には、次のように申し渡された。「おまえは、お産をするとき、苦しい目をみる、
また、夫の下になって、その支配をうけなければならぬぞ」最後にアダムにも宣告を下しなさいました。「おまえは、妻の言葉をきいて、私の戒めを破った。その罰として、地はのろわれて、イバラとアザミとを生じ、おまえは一生の間、よほど苦しんで働き、額に汗して食を求めなければならない。そしてお前は、もともとちりから出たものであるから、最期には、また、死んでもとの塵に帰るであろうぞ。」と。それから神様は両人に皮衣を着せて、両人を楽園から追い出し、両人が二度と入ってきて、生命の木の実を食べることができないように、火焔の剣を携えたケルビム天使にその門を守らせなさいました。このように、人祖は、成聖の聖寵もその他の幸福も失いました。全人類を無知と苦痛と死の禍に沈ませました。あらゆる人間の不幸は、ここからおこったのであります。しかし、神様は、決して人類をお見捨てにはらない。「彼はお前の頭を踏み砕くであろう」と、ヘビにおっしゃったのは、あとで救い主を降して人類を悪魔の手から救いとって遣わす、という御約束であったのです。アダム夫婦は、この有難いお約束を堅く信じ、長い間その罪を悔い悲しんで、お詫びを致しました。
12 教訓
人祖の罪は、人祖のみにとどまらないで、後世子孫にまで伝わった。これを、原罪と申します。原罪のことは、聖書に書いてあるばかりではない。また、私たちの内にいろいろな誘惑が起こる。心は悪に流れたがる。労働の辛さ、貧の苦しさ、病の耐えがたさを感じ、死を恐ろしく思う。一方には、やむにやまれぬ知識欲があり、幸福にあこがれ、真・善・美をこいねがう念もある。これらは、すべて原罪の存在を語る生きた証拠です。
第4課 アダムの子孫
人祖の堕落の結果は家庭にも社会にもあらわれて、いろいろの面白くない罪悪となり、人類はいつしか腐り果ててしまいました。
13 家庭における罪
アダムとエワは、多くの子どもを生みました。長男をカインと呼び、その次をアベルと名づけました。成長の後、カインは農夫となり、アベルは牧畜をやることとなりました。アベルは心の清い正直な青年でしたが、カインはどうも、こころだての良くない不正直な男でありました。ある日、ふたりは、神様に物を捧げました。
神様は、正直なアベルの供え物を喜んでお受けになったが、カインの供え物は一向にかえりみてくださいません。カインはおおいに腹を立てた。アベルを外へ誘い出してアベルを打ち殺してしまった。「アベルはどうした?」と神様に問われても、「知らない。わたしは弟の番人ですか」と、しらばっくれました。痛悔してお赦しを願おうという気は露ばかりもない。このため、神様ののろいをこうむり一生の間地上をうろつきまわりました。子孫も皆、カインの良からぬ性質を伝えて、残忍で、傲慢で、ただもう肉身の楽しみにのみふける悪人となりました。これに反して、アベルのかわりに生まれたセトは、アベルにも劣らぬ善い児でした。子孫も皆よく神様に仕え、幾代かの間は、カインの子孫とはつっ離れて清い社会を作りました。カインの子孫を「人の子」といい、セトの子孫を「神の子」と呼んだものであります。
14 社会における罪
アダムもその子孫も、最初は随分長生きをしました。900年もその上も命を保って多くの子どもを生んだので「人の子」も「神の子」も非常な勢いで繁殖しました。繁殖するに随い、「神の子」にも不心得な人間がでてきて、「人の子」の容姿の美しさに迷い、「人の子」と婚姻を結びました。夫婦の間に生まれたのは、何とも始末に負えぬ悪漢で、その悪い風儀が次第に他の人々にも伝わり、終には社会全体が、魂の抜けた、肉の塊も同様になってしまいました。
15 ノアの方舟
そういう腐った人間社会にも、ノア夫婦と3子、セム、カム、ヤフェト、及びその嫁たちは、それこそ泥の中を抜け出た蓮の葉のように、周囲の濁りにも染まず、身を慎み、行いを磨き、一心に神様を敬い尊んでいました。神様はいよいよ人間に見切りをつけ、大洪水をあふれさせて彼らを残らず滅ぼし、ノアを祖先として新たに清い社会を作らせたいとおぼしめしになりました。そこで、ノアに命じて、ひとつの大きな方舟を造らせなさったが、その方舟は長さおよそ150メートル、幅が25メートル、高さが15メートル以上もあり、上に明かり窓を設け、船べりにも一つの門をこしらえ、内からも外からもちゃんと塗り、その中にノアの一家をはじめ、諸々の鳥獣を乗せ、入り用な食物までも積み込むのでした。ノアは、方舟を作るのに、随分長い年月を費やした。その間にも、彼は人々に勧めて悔い改めさそうとしました。しかし、悪に沈み入った人々は、ノアの誠意こめた説諭も全く馬の耳に風と聞き流して、一向相手にしません。
16 教訓
方舟は、カトリック教会をかたどったものです。これに乗りこまなくては、どうせ溺れ死にを免れない。そして、これに乗り込むには、洗礼の門がただ一つ開いていることを忘れてはなりません。
第5課 洪水とその後
17 大洪水
方舟は出来上がった。7日の後には、いよいよ大雨を降らして世界を水になしてしまうという神様のお沙汰が出た。ノアとその家族は、急いで方舟に乗り込んだ。鳥でも獣でも入れるはずのものは残らず入れてしまいました。7日目になると、はたして、滝でも切って落としたかのような大雨が40日の間も、昼夜休みなしにザアザアと降り続いた。たちまち川も海もあふれにあふれて、世界は濁った波がダブダブと湧きかえる大海となり、ノアの方舟は次第に高く高く水面に浮かび上がりました。ノアの勧めに耳を傾けなかった人々も、この有様を見てはどんなに驚きあわてて、樹に、岡に、高い山の頂に駆け登ったでしょう。しかし、水はたちまち樹を没し、岡を沈め、高い山の頂でも、25,6尺の深い波の底に溺らせました。人間はもちろん、山の獣、空の鳥、草むらに住む虫けらまでも残らず滅ぼし尽くされました。
18 ノアの燔祭
雨は降りやんでも、地上はなお一面に泥浪のもみ返す大海でした。150日を経て神様はノアのことを思い出して海上に熱い風を吹かせなさいました。すると、水は次第に減って、方舟はついにアルメニア国のアララト山に据わりました。それからしばらくたって、ノアは方舟の窓を開いてカラスを放しました。カラスはあちらこちらと飛び回って、方舟には帰りません。で、今度はハトを放ってみました。最初はむなしく帰ってきたが2回目には青いオリーブの枝をくわえてまいりました。
もういよいよ水はひいたのです。やがて、神様の仰せもあって、ノアは妻子や鳥獣と方舟を出ました。生命を助けてくださった御恵を感謝するがため、祭壇を築いて燔祭を捧げました。神様は、それを大そうお喜びになり、一同にありがたい祝福をくだして「もう、これからは、洪水を溢らして、生き物を滅ぼすようなことはしない。この契約を忘れないしるしとして、雲に虹をあらわすことにする」とお約束になりました。
19 セム、祝せられる
ノアの子どもの中で、カムはあまり、たちの良い子どもではなかった。ある日、父に対して不都合なことをした。ノアは、これをのろい、カムの子孫がしもべのしもべとなって他の兄弟に仕えるようになるであろうと言いわたし、反対にセムとヤフェトを祝しました。特に、「セムの神は讃むべきかな」と言って、セムと神様との間に、特別の関係が結ばれるべきであること、救い主が彼の子孫に出て来給うことをほのめかしました。
20 バベルの塔
ノアの子孫は、次第に殖えて地上にあふれるようになった。いつまでも1か所に住んでいるわけにはいかない。分かれる前にひとつの町を建て、その中に天にもとどくような高い塔を気づき、自分たちの名を万世に残そうと謀りました。神様はかれらの大それた傲慢をお憎みになり、彼らの言葉を乱してお互いに通じないようにしてしまわれました。仕方がないので、彼らも工事を止めて、東へ西へ南へ北へと散り散りに分かれました。その建て止めた塔は、「バベル(乱れ)の塔」と呼ばれました。言葉が乱れて通じなくなったからです。一概には言われないが、カムの子孫は主としてカナアン地方からアフリカにかけて住み、セムの子孫はアラビア、カルデア地方に国を建て、ヤフェトの子孫は西のほうに広がって、ヨーロッパ人種となりました。
21 教訓
洪水の話は、聖書に載っているばかりではなく、カルデア人、エジプト人、ギリシア人、ローマ人その他多くの民族の間にも、代々語り継ぎ、聞き伝えられたものです。キリスト前3000年の頃、カルデア人はこれを、煉瓦の板に書き記しておきました。その板は、近年続々と発見されつつあります。
第6課 アブラハムの召し出し (紀元前およそ2000年前)
22 アブラハム
四方に分かれ分かれたノアの子孫は、次第に神様を忘れ、日や、月や、星や、鳥獣などを礼拝するようになりました。このままにしておいたら、まことの宗教は滅び、救い主を遣わすという約束も忘れてしまっているにきまっている。ところで、セムの幾代かの孫に、アブラハムという信仰堅固な人がいました。始めは、カルデアのウル(バビロンの南)という町に住んでいたのですが、神様の仰せに従い、父のタレ、甥のロト、妻のサラ等と町を出て、遠く西北に進み、ユーフラテス川の上流にあたるハランという町にたどりついて、しばらくここに足をとどめました。タレはそこで亡くなったが、その後で神様はアブラハムにあらわれて「汝の国を出て、汝の親族を出て、汝の父の家を出て、我が汝に示す地に行け。我は、汝を大いなる民の祖となし、かくて、地上のすべての民は汝によって祝せられるに至るであろう」と仰せになりました。「地上のすべての民は汝によって祝せられるに至るであろう」とは、彼の子孫に救い主がお生まれになるという約束だったのです。アブラハムは神様の仰せを、畏まって、甥のロトとハランを絶ち、西南の方、カナアンを指して出発しました。向こうへ到着するや、神様は再びアブラハムにあらわれて、「この地を汝と汝の子孫に与える」とお約束になりました。アブラハムはそこに祭壇を築き、供え物をささげて御恵みを感謝しました。
23 ロトと別れる
アブラハムもロトも、おびただしい牛、羊、ロバ等の持ち主で、水や草のあるところを尋ねて次から次へと移って遊牧をしたものでした。しかし、2家族が一緒に住んでいては、どうしてもまぐさが足りない。よって互いに仲良く分かれることに話をきめ、ロトはヨルダン川に沿った青緑の平野をみつけて、その方へ立ち去り、後ではソドムという町に移りました。アブラハムは、南カナアンのヘブロンの付近に住居を定めました。
24 アブラハムとメルキセデク
時に、ソドム付近には、別に4つの町があって、遠い東のほう、エラムという国のコドルラホモル王に服従していたものでした。ところで、このごろ、互いに同盟を約して、王命を拒み、貢を納めなかったものだから、王はセンナアルの王アムラフエル等と兵をあわせてカナアンに入り、ソドム方を打ち破り、物でも人でも手当たり次第にかすめとって引き揚げました。無論、ロトも捕虜の一員であったのです。アブラハムはそれと聞くなり、しもべを318人ほどすぐりたて、他の援兵をも加えて、敵の後を追いかけ、勝ち誇って油断をしているところに夜襲をしかけました。敵は、不意を打たれてうろたえるの、うろたえないのじゃない、何もかも投げ捨てて命からがら逃げ失せた。アブラハムはロトをはじめ、大勢の捕虜、たくさんの分捕り品を残らず取り戻した。ソドマの王とサレム(後のエルサレム)の王、メルキセデクは、喜んでアブラハムを出迎えました。このメルキセデクは、真の神を信じる司祭でもあって、パンとブドウ酒とを捧げて神さまをまつり、アブラハムを祝しました。アブラハムは、彼に謝礼として、奪い返した物の10分の1を贈りました。メルキセデクは、万物の王にして永遠の司祭であるイエズス・キリストを
かたどり、メルキセデクの捧げたパンとブドウ酒は、ミサ聖祭を前表したものであります。
25 ソドムの滅び
ソドムとその付近の町町は、聞くもいやらしい罪悪にふけっていたものでした。敵軍に荒らされ、散々な目にあっても、一向に改める様子がない。その濁った汚い罪悪の叫びが、神様の耳にまでとどきました。神様もついに愛想を尽かし、ソドムを滅ぼしてしまおうと思し召しになりました。かねて情け深いアブラハムのことですから、そのことを知るや、不憫の情に堪えず、「もし、ソドムに50人のただしい者がいましたら、それに免じてあの町を御赦しくださいますように」と嘆願しました。神様は快くアブラハムの願いをお聞きいれくださった。しかし、ソドムには50人の正しい者もいなかった。アブラハムはだんだんその数を減らして、10人にまで下りました。神様も相変わらずアブラハムの請いを許し、10人でも正しい者がいたら、滅ぼさないとおっしゃってくださいました。でも、ソドムには、10人の正しい者すらいなかったのです。もう仕方ない。神様は天使を遣わしてロト一家に町を立ち退かせ、それから硫黄と火の雨を降らして、そのあたり一帯の地をすっかり焼き尽くしてしまわれました。
26 教訓
罪は、恐ろしいものです。神様は正義限りないお方です。罪にふけっていつまでも改めないならば、一度は必ず天罰がやってくる。のがれる道はありません。
第7課 イザアク
27 割礼
あるとき、神様はアブラハムに現れて、
「我は全能の神である。おまえは私の前を歩いて完全な者になれ・・わたしは、おまえの子孫を非常に増やし、おまえとおまえの子孫の神となり、お前が現在さまよっているこの土地を彼らに与えるであろう。この契約の証拠として、男子が生まれて8日目になると、これに割礼を施すことにせよ・・・来年の今頃には、おまえの妻、サラが男子を産むから、それにはイザアクと名づけるのだ」と仰せになりました。割礼とは、体の一部を傷つけて血を流す式であります。時にアブラハムは98歳、サラもずいぶん老いぼれていました。もう、こどものできる年ではなかったのですけれども、さすがは信仰の父と崇められるほどあって、
アブラハムは正直に神様の御言葉を信じました。その日、早速わが身をはじめ、家にいる男子に、残らず割礼を施しました。
28 イザアクの誕生と犠牲
果たして翌年、アブラハムは玉のような男児を与えられ、これにイザアクと名づけました。イザアクはだんだんと成長しました。神様は、アブラハムの信仰を試してみたいと思われました。ある日のこと、
「おまえの愛するイザアクを伴い、私の示す山に行き、これをいけにえに捧げよ。」と命じなさいました。アブラハムは、仰せのままにイザアクを伴い、一人のしもべと、神様のお示しになったモリア山をさして出発し、3日目に山のふもとにつきました。
それから、しもべはそこにとどめ置き、イザアクに薪を負わせて山に登りました。
頂にたどり着くや、石を集めて祭壇を築き、薪を積んでその上にイザアクをしばって載せました。剣を執っていよいよ最愛の独り子をささげようとするとき、天から声が聞こえました。
「その子を害するな。おまえが神様をおそれ、神様のためには独り子でも惜しまないという、その美しい心掛けは、もう十分にわかった」と、天使が呼び止めたのでした。アブラハムはハっと思い、後ろを振り返ると、一匹の雄羊が藪の中に角をひっかけてもじもじしているじゃありませんか。さっそくそれをほふって、わが子のかわりにいけにえに供えました。
29 信仰の報い
アブラハムは、やがて、信仰の報いをこうむりました。天使は再びアブラハムに声をかけました。
「これは、神様の御言葉です。おまえはわがために独り子すら惜しまなかったから、わたしもおまえを祝し、おまえの子孫を空の星のように浜の砂のように増やし、地上のすべての民もおまえによって祝せられるであろう。」こういう、うれしいお約束をありがたくも頂戴したアブラハムは、どんなに喜んで、足さえ軽々と自宅へ帰ったことでしょうか。
30 イザアクの結婚
イザアクは、やがて、よい年ごろになりました。アブラハムは、イザアクに適当な配偶者を見つけやりたいとは思ったが、何分カナアンの民は、みな偶像教におぼれている。とても自分の家にあわない。幸い、メソポタミアのハランには、弟ナコルが住んでいる。そこで探したら、適当な嫁が見つからないこともあるまい、と思い、しもべのエレアザルを遣わしました。エレアザルは、10頭のラクダにたくさんの贈り物を負わせて旅に上がり、多くの日数を重ねて無事、ハランの町にたどり着きました。時に、夕日はまさに西の山の端に傾き、町の娘たちがそろそろ水汲みに出かけることでした。
「その娘たちのうちから、若旦那イザアク様の奥方を選んでください」と、エレアザルは、心をこめて神様に祈りました。
まだ、祈りも終わらないうちに、レベッカという世にも美しいしとやかな乙女がやってまいりました。
エレアザルは、その乙女に水を一口飲ませてもらい、話しかけてみるとそれこそナコルの孫娘で、父をバッエルというのではありませんか。エレアザルは大いに喜び、厚く神様の御恵みを感謝しました。やがてその家に招待され、丁重な待遇を受けました。旅行の目的を打ち明けてレベッカを懇望すると、父のバッエルも兄のラバンも、快く承諾してくれました。このように、レベッカは、エレアザルに伴われてカナアンへ行き、めでたくイザアクの妻となりました。
31 教訓
イザアクは、イエズス・キリストを前表したものです。彼が、自分の焼かれるべき薪をかついで山へ登ったのは、主が、その磔(はりつけ)たまう十字架を担いでカルワリオへお登りになったのを、立派にかたどっているのであります。
第8課 エザウとヤコブ
32 兄弟の気質
イザアクは、エザウとヤコブの双子を生みました。エザウは体中毛だらけで、性質もまた荒っぽい、わがままな男でした。始終野山を駆けまわり、獣狩をして日を送ったものであります。
ヤコブは反対に、至って優しく、おとなしい質で、いつもテントに住んで、羊の番をしているのでした。
33 長男の権
ある日、ヤコブが赤い豆を煮ていると、エザウはへとへとに疲れて山から帰ってきました。
エザウ 「オイそれを俺に喰わせい。腹がペコペコになって堪らぬじゃないか」
ヤコブ 「豆は上げますが、その代りに長男の権を私に売ってください」
エザウ 「死なんばかりだ。長男の権もあったものじゃないよ」
エザウはやすやすと承諾した。ヤコブの差し出す煮豆を食べ、酒を飲み、平気で立ち去りました。長男の権を売り飛ばしたことなど、気にもかけない風です。イザアクはだんだん年老いて、眼はかすんで見えなくなるし、最期の日もあまり遠くあるまいと思われてきた。まだ息のある中に、長男のエザウに祝福を与えたいものだと考え、まず、狩にいって御馳走を食べさせてくれと頼みました。しかし、エザウは、長男の権を弟に譲り渡している、その祝福を戴くわけにはいかない。
エザウが野へ出て行ったあとに、母のレベッカは、急いで御馳走をこしらえ、ヤコブに持たせてやってその祝福を受けさせました。エザウは地団駄踏んで悔しがったが、もう後の祭りで、どうすることもできません。
34 ヤコブの避難
エザウは腹がたってたまらない「ウヌ見て居れ。お父さんが目を瞑られたら活かしておかぬから」と言っている。レベッカはヤコブの身の上を気遣い、勧めてハランへ走り、伯父ラパンの許に避難させました。その途中で、ヤコブは、とあるところで石を枕にして休みました。夢の中に、地から天に届いたハシゴがあって、天使がそれを昇ったり降ったりしているのを見ました。ハシゴのてっぺんには、神様がいらして、ヤコブに親しくお声をかけ、
「我はアブラハムの神、イザアクの神である。汝が休んでいる地は、汝と汝の子孫に与える。汝の子孫は、地の埃のようにたくさんになり、汝と汝の子孫によって、地上のすべての国民も祝されるであろう。」と仰ってくださいました。ヤコブは、どんどん行ってラパンの家にたどり着いた。20年間もラパンのためにまめまめしく働き、神様の祝福によって、おびただしい羊、ヤギ、ラクダ、ロバ等の持ち主となった。それからカナアンへ帰って、兄エザウと和睦し、ヘブロンなる父の許に
とどまりました。エザウは南の方エドムの地に住み、イドメア人の祖となりました。
35 教訓
イザアクは、ヤコブを祝したうえで、エザウからしきりにせがまれて、エザウに、将来のことを告げました。
「おまえは、剣をとって世を渡り、弟につかえるであろう。しかし、後では、そのくびきを振り落とす時が来る」
と申しました。果たして、エザウの子孫は、死海の南に住んで、エドムの国を建てたが、しかし、国はやせこけた石ころの土地で、農耕に適さない。したがって、住民はおのずと戦争や強盗を事とするようになった。イスラエルの国勢がさかんになると、征服されてその属国となり、衰えると背いて独立するというようにしていたが、後では、この国からヘロデというものが出て、イスラエルの王となりました。
第9課 ヨゼフ兄弟に売られる
36 イスラエル人
ヤコブは、またの名をイスラエルと称していたから、彼の子孫はイスラエル人と呼ばれるに至った。別に、ヘブライ人と言うこともある。彼らは一時カナアンの地を去ってエジプトに移住することになりました。今、その遠い原因を物語っておきます。
37 ヨゼフ兄弟に妬まれる
ヤコブは多くの子どもを与えられた。男子ばかりでも12人から持っていました。末から2番目はヨゼフと呼び、気質は素直で、心は清く、しかも人並すぐれて利発な子でした。父もこの児をまたとなきものと思い、ヨゼフに美しい上着を着せて、何かにつけて他の子どもよりもかわいがったものであります。兄たちは、妬ましくてたまらない。これに加えて、ヨゼフは己の将来の運命を告げるのではないかと思われるような2つの夢を見ました。ひとつは、兄たちと畑へ行って麦をたばねていると、ヨゼフの麦束が、がっと立ちあがり、兄弟たちのがその周りを取り巻いてこれを拝んだというのでした。もう一つは、日と、月と11の星とが、ヨゼフの前にひれ伏した夢でした。星は兄弟にあたり、日と月は、父と母とをかたどったものである。
この夢話をきいた兄たちは、いよいよヨゼフを憎み嫌い、今はもう優しい言葉さえ交わさなくなりました。
38 ヨゼフ売られる
そうしている中に、10人の兄たちは、遠い北の方シケムの野に行って羊を牧することとなりました。ヤコブは、彼らの安否を気遣い、ヨゼフを見にやりました。
兄たちは、早速彼をひっとらえて上着をはぎとり、そこにあった空井戸に投げいれました。たまたま、エジプトに下る証人が、ラクダに乳香を負わせて、そのあたりを通りかかりました。4男が「殺すよりか、あの商人に売ろう。そのほうが、金にもなるし、我々の手も汚れないし、上策だよ」と言いだしました。皆が賛成したので、ヨゼフを井戸から引き上げて銀貨12枚で奴隷に売り飛ばした。それからヤギを殺し、その血をヨゼフの上着に塗りつけ、道で拾ったと言って、父の許へ送り届けた。ヤコブは、彼らの虚言を真に受けて、ヨゼフがいよいよ獣に食い殺されたものと思い込み、衣を裂いて泣き悲しみました。誰がなんといって慰めても、聞きいれませんでした。
39 ヨゼフの入牢
エジプトへ連れて行かれたヨゼフは、その国の将軍プチファルという人に売られました。かねて心の清い、罪のないヨゼフのことですから、大そう主人の
御気に入り、その厚い信用を得、何から何まで一切一人で切り回すほどになりました。しかし、主人の奥方にあられぬ濡れ衣を着せられ、とうとう牢屋に
ぶちこまれました。でも、「正直の頭に神やどる」とはよく言ったものです。ヨゼフほどの人を、神様がお見捨てになるはずがない。
ここでも、老番頭に見込まれて、囚人の監督に挙げられました。
40 国王の近臣
囚人の中に、国王ファラオの近臣が2人いました。ひとりは、「さかびとの司」で、もう一人は「お料理ばんの頭」でした。ある夜、2人とも不思議な夢を見たといって、よほど心配している様子です。「どんな夢?」とヨゼフに問われて、まず、「さかびとの司」はこう物語ました。「枝の分かれた1本のブドウの樹がありました。それがだんだん芽をふき、花を開き、実を結びましたので、私はその実をしぼって王様に奉ったのです。」ヨゼフは、その夢を次のように判断しました。「3の枝は、3日のことで、3日の後、王さまはあなたをもとの職に就けてくださいます。そうなりましたら、どうぞ、わたしのことを思いだして、王様に申し上げ、救い出してください。わたしは、何の覚えもない罪のために、こんな目にあっているのですから。」次に、「お料理番の頭」も自分の夢を語りました。「私は、頭の上に白いパン粉を3籠ほど乗せていました。一番上の籠には、王さまのためにこしらえたいろいろの料理も入っていたですのに空の鳥が来て、それを食い散らしてしまいました。」ヨゼフは、答えて言いました。「その夢の意味はこうです。3籠はやはり3日のことで、3日の後、王様はあなたの首を斬ってさおの上にさらし、空の鳥が来て、あなたの肉をつつくようになります」3日の後、果たしてヨゼフの言ったとおりになりました。しかし、「さかびとの司」は、わが身の幸福を喜んで、ヨゼフの頼みは、すっかり忘れてしまいました。
41 ファラオの夢
それから2年ほどたちまして、今度は国王ファラオが夢を見ました。ニル河の岸に立っていると、肥え太った美しい7頭のメス牛が河から上がってきました。その後に、痩せこけた醜い7頭のメス牛がでてきて、前の肥え太ったメス牛を食ってしまったと見たとき、夢は破れました。それから、またうとうと眠っていると、今度は別な夢をみました。1本の麦に、目も醒めるくらいに実った穂が7つも出ていたのに、間もなくヒョロヒョロにしなびた7つの穂が出てきて、前の見事な穂を呑みこんでしまいました。2つとも不思議な夢です。何か意味があるらしい。翌朝ファラオは、国内の博識、占者などを呼び出して判断させてみたが、誰ひとりその意味を解き明かせる者がいない。そのとき、「さかびとの司」が、やっとヨゼフのことを思い出して、王さまにその旨を申し上げました。ファラオは、さっそくヨゼフを宮中に召しだして、ヨゼフに、2つの夢を物語りました。ヨゼフは、うやうやしく答えて申します。
「王様の夢は2つとも同じことを指すのでございます。7頭の肥えたメス牛と7の実った麦穂は7年間の豊作を示し、7頭のやせたメス牛と7のしなびた麦穂は、7年間の凶作を意味します。7年間というものは、エジプト全国は、非常な豊作つづきでございますが、その次には、かつてないほどの大凶作が7年間も続きます。でありますから、今のうちに、賢い腕ききの人を挙げて、豊作が続く間に、余った分を貯えおき、その次に来る7凶年のために備えをするがよろしいかと存じます。」
ヨゼフの意見は、ファラオのお気に入りました。
「いや、そなたほど賢い腕ききの人が見つかるだろうか。今からそなたをぬきんでてエジプト全国をつかさどらしめる。自分は、ただ王の位だけそなたの上にあるのだから、そう思ってもらいたい。」
と言って、直に、自分の指輪をはずして、ヨゼフの指にさし、身には美しい貴人の服をつけさせ、黄金の鎖を首にかけてやり、添え乗りの車にのせて都を乗りまわらせ、「エジプト宰相様じゃ、ひざをかがめい」と先払いに触れさせた。時に、ヨゼフは、年わずかに30歳でした。
42 教訓
兄たちは、ヨゼフが偉くなってはと気遣い、ヨゼフを奴隷として売り飛ばしたが、それでヨゼフは一躍エジプトの大宰相となりました。彼らが押し下げようとしただけ、かえって高く上がりました。神様のおはからいばかりは、実に感心じゃありませんか。しかし、ヨゼフがそんなに偉くなったのも、つまり心の清く、行いの正しい、少しの非を打たれるところもない模範的青年だったからであります。
第10課 兄弟のめぐりあい
43 ヨゼフへ行け
ヨゼフの言ったところに少しも違わず、7年間はぶっとおしに豊年が続きました。ヨゼフはエジプト全国をかけまわって、町町に倉庫を建て、ありあまる麦をそれに蓄えました。果たして、豊年の7年が終わると、凶作が続けざまにやってきた。人民は困ってファラオの前へ行き、麦の払い下げを願い出た。
「ヨゼフへ行け」とファラオは答えて、一切をヨゼフの計らいに任せたので、ヨゼフは倉を開いて麦を売り出した。噂を伝え聞いて、近隣の国々からも麦を求めに押し寄せました。ヤコブ一家も、やはり今度の飢饉には、おお弱りです。ヤコブは止むを得ず、子どもをエジプトへ遣わして麦を買い取らせました。しかし、ヨゼフが亡くなった後には、末っ子のベンヤミンをことさら可愛がっていましたので、ベンヤミンだけは家に留め置くことにしました。
44 ヨゼフ、兄弟を見識る
10人の兄弟は、無事エジプトに着き、ヨゼフの前にひれ伏しました。これが、弟のヨゼフだとは夢にも思い得ようはずがない。しかし、ヨゼフはすぐにそれを見てとりました。ベンヤミンを連れて来なかったのは、何のためだろう?兄たちの心は、今も昔のままだろうか?ひとつ試してみようと思い、「何者じゃ。どこから来た?まわしものだろう。我が国のすきを窺いに来た者に相違ない」と、思いもよらぬことをいいかけた。兄弟は、おそるおそる答えました。自分たちは、カナアンの者で、12人兄弟であった。一人は父のもとに残っている。一人は亡くなった。別に何の悪意もない。ただ、麦を求めに来たのみである。と、家庭の事情までも申し述べて、ひたすらヨゼフの疑いを晴らそうと務めました。しかし、そんな弁解は信ずるに足りないと言わんばかりに、ヨゼフは彼らをひっとらえて、牢にぶちこんでしまいました。3日を経て、ヨゼフは兄たちを牢から引き出して「果たしてお前たちの言うとおりならば、人質として誰か一人だけ残り、他は麦を買って国へ帰れ。そして、末の弟を連れてくるようにせい。」と命じました。兄たちは、かしこまりました。そして、互いに顔を見合わせ「弟をいじめた罰だ。彼が泣いて願ったとき、その心の苦しさはわかっていながら、聴いてやらなかったのだもの、こんな悲しい目を遭うのも無理はないよ」と、懺悔話をやりだした。ヨゼフが、わざと通訳をもって話していたので、自分たちの言葉をわからないものと安心して声高に話したのでした。ヨゼフは聞いてたまらなくなり、ちょっと身をかわして涙をぬぐいました。やがて、再び出てきました。心を鬼にして、シメオンを皆の前で縛り、牢舎にぶち込みました。それから、役人に命じて、彼らのふくろに麦をいっぱい詰めさせ、途中の糧までも添えて帰しました。兄たちは、国へ帰って一部始終を物語ました。ヤコブは大きなため息をつき、「お前たちは、俺を子なしにしてしまうのじゃな。ヨゼフは亡くなる。シメオンは牢につながれる。今またベンヤミンまでも連れて行こうとするのか。いやいや、そればかりは許さぬ。」と、断然言い放ちました。
45 教訓
ヨゼフが兄たちを牢に入れたのは、決して復讐の念からではない。ただ、自分の言うことが至極真面目な話だ、ということを彼らに承知させるとともに、また、これまでの仕打ちを、とくと考えて痛悔の胸を打たせるがためでした。