天 主 堂 出 版  カトリック伝統派 

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聖心聖月 6月は聖心の月 はじめに~第1日~第10日(聖心のお喜び編)全30日

2015-06-07 20:27:00 | 聖心聖月 6月は聖心の月
聖心聖月 6月は聖心の月 

はじめに

慎んで考えますと、私たちの主イエズスキリストが万民の救霊のため、行って下さったすべてのことがら、数えきれない奇跡、秘跡の制定、そのなかでも、御聖体の秘跡、ゲッセマニの園の中での憂い、十字架上での死の苦しみといったようなことは、すべて、聖心の慈愛から出たものです。

ですから、私たちの主イエズスキリストを愛し、敬いたい者は、主イエズスキリストの聖心をも愛し、敬うといったことをしないわけにはまいりません。

ですから、聖なる公教会の初代教会の時代にあっても、既に聖心の信心が行われていたのです。

その後、17世紀になって、私たちの主イエズスキリストは、聖マルガリタ マリア アラコックに御出現になりました。
そして、聖心を愛し、敬う信心が、世界各国の至るところで盛んに行われるようになりました。
その結果、聖心の信心の恩恵に浴する者も多くなりました。

われわれのような信徒は、吾が主イエズスキリストの聖なるみおしえを受け、聖心を愛し、敬う信心を行うことによって、世の中の人が、特に聖体の秘跡のうちに在します吾が主イエズスキリストに加える不敬忘恩の罪をお詫びしないわけにはまいりません。

この本は、もともと、わたしの著作ではありません。また、誰の手により書かれたのかも、わかりません。ただ、十数年にわたって、私の教会において、聖心の聖月中の読物として備えられている一つの写本なのです。

今、これを訂正し、増補して印刷いたします。わたくしは、もともと文章が不得意で、文章が稚拙ですので、見るに堪えない部分がございましたたら、その責はわたくしにございます。読者の方々が、この本から、本文の趣旨を少しでも汲み取っていただいて、聖心を敬い愛する信心のために役に立つということがあれば、わたくしは、たいへんうれしく思います。
1910年5月 著者 永田 辰之助

大阪司教儒利誉准
天主降生一千九百十年六月於大阪

もくじ
緒言
1日 聖心の御歓喜(其一)
2日 同     (其ニ)      
3日 同     (其三)
4日 同     (其四)
5日 同     (其五)
6日 同     (其六)
7日 同     (其七)
8日 同     (其八)
9日 同     (其九)
10日 同    (其十)
11日 聖心の御悲哀 (其一)
12日 同      (其ニ)
13日 同      (其三)
14日 同      (其四)
15日 同      (其五)
16日 同      (其六)
17日 同      (其七)
18日 同      (其八)
19日 同      (其九)
20日 同      (其十)
21日 聖心の御光栄 (其一)
22日 同      (其ニ)
23日 同      (其三)
24日 同      (其四)
25日 同      (其五)
26日 同      (其六)
27日 同      (其七)
28日 同      (其八)
29日 同      (其九)
30日 同      (其十)

耶蘇の聖心に向ひ奉つる祈祷
耶蘇の聖心に我身及一切の所有物を捧ぐる祈祷
耶蘇聖心の連祷
耶蘇聖心に身を捧げ奉つる祈祷



『聖心聖月 6月は聖心の月』

1日 イエズスの聖心のお喜び その1

イエズスが、聖母の御胎内にお宿りになるとすぐに、愛のはたらきをなさいました。
これは、聖心のお喜びでした。
三位一体の天主の第二位である御子が、この世に降られて、人となられたとき、
すでに人の心を持っておられました。
そして、この、人としての心は、愛の為に造られたものでしたから、
聖母の御胎内にお宿りになった始めの瞬間から、
既に愛の炎に燃え立っておられたのでした。

吾が主は、この熱い愛を、初穂として聖父に奉献されました。
このことは、聖心の多いなるお喜びでした。
聖心の愛は、こんこんと湧き出る泉のように、絶えることとなく流れて、
枯渇することなく永遠に至るのです。
また、聖心の愛の活動は、御やどりの初めから、御死去に至るまで、
全く絶えることがありませんでした。
御死去のため、しばらく停止しましたが、御復活に至って、
前にも増して増加し、栄えました。
このように、聖心は御やどりの初めの瞬間に、
あらかじめ、このことをご覧になって、限りないお喜びをお感じになりました。

聖マルガリタ マリア アラコックは言いました。
信者は、毎朝、目が覚めるとき、必ず、自分が天主の御前にいることを考え、
天主の御足下に自分を置き、自分の心と自分の身とを全く天主に奉献し、
イエズスの聖心のきよらかな慈愛の炎の中に、いけにえとして、
焼き尽くされることを願うべきです。

至聖なるイエズスの聖心、
お願いですから
私たちの心を
あなたにならわせてください。
そして、わたしたちが
毎朝目が覚めるときの
愛の初穂を
天主に捧げさせて下さい。


イエズスの聖心のお喜び その2

イエズスは、イエズスの聖なる御心が、
聖寵に充ち満ちているのをご覧になりました。
このことは、聖なる御心のお喜びでした。

イエズスの聖心も、他の被造物と同様に、
天主に造られたものでしたが、ただ、イエズスの聖なる御心は、
聖寵の宝蔵であると定められています。
ですから、
聖父が、イエズスの聖なる御心に注入される聖寵は、
絶え間なく、まるで瀧のように流れ込んでおり、枯渇することがありません。

聖心はこのことをご覧になって、
たいへんにお喜びになり、
絶え間なく、聖なるおん父にこのことを感謝なさいます。
その感謝の念は、深く聖心に刻み込まれており、死に至っても、消滅しませんでした。
また、聖なるおん父が、万民に聖寵を施しなさるたびごとに、
聖心は、万民にかわって、そのことを聖なるおん父に感謝なさるのです。
このようにして、人々に、聖なるおん父が、万善の源であることをお知らせになるのです。

聖マルガリタ マリア アラコックは、
人々のうち、
天主の聖寵に背き、聖寵をないがしろにする者があるのを見るごとに、
深く悲しみました。
また、自分のことを反省して、言いました。
「聖寵をないがしろにする罪は、重大です。
 でも、私(聖マルガリタ マリア アラコック)も、
 何度もこの罪に陥りました。
 ですから、私(聖マルガリタ マリア アラコック)は、
 終わりなき懲罰を受けるのが当然なのです。
 主よ、お願いですから、
 御あわれみを私にそそぎ、
 私を赦してください」

聖マルガリタ マリア アラコックは、
常にこのような考えを抱いており、
聖寵に背く罪が大きいことをわきまえており、
この罪を免れ、この罪の償いをさせてくださいと祈っていました。

わたしたちは、
至聖なる聖心に倣って、
山のように高く、海のように深い恩恵、
特に、洗礼により、天主の愛する子となった恩恵、
天国の相続者となった恩恵を
深く、感謝いたします。



3日
イエズスの聖心のお喜び その3

イエズスは、聖母マリアの御心が、自分の聖なる御心に、生き写しであることを
ご覧になりました。
このことは、イエズスの聖なる御心のお喜びでした。

旧約聖書の創世記に出てくる、人祖アダムは、
天主から創造されたとき、自分に似た補助者が居ないことを愁いました。
でも、第二のアダムである主イエズスは、この愁いをお感じになりませんでした。
なぜなら、イエズスの御母である聖マリアの御心は、
柔和、謙遜、潔白、その他一切の諸々の徳に充満ちており、
全く、まがいものは混じっていませんでした。
聖マリアの御心は、主イエズスの肖像でありました。

主イエズスの聖心が、ご関心おありのことは、聖母の御心もご関心をお持ちでした。
主イエズスの聖心がお望みになることは、聖母の御心もお望みになりました。
主イエズスと聖母マリアとは、相互いに一致協和して、
永遠に相互いが離れることがありません。
そのことは、主イエズスの聖心における、際限のないお喜びです。
また、聖母の御心においても、極まりないお喜びです。
主イエズスと聖母の相互いの愉快は、実に名状することができません。

主イエズスは、聖女マルガリタ マリア アラコックに仰せになりました。

「私は、あなた(聖女マルガリタ マリア アラコック)の心を、
 慈愛と憐れみで満たす。
 諸々の徳に富ませる。
 そして、私の心のようにならせようと望む。
 だから、あなたを
 尊い私の母、聖母マリアに委託したのだ。
 あなたは、私の母、聖母マリアの教訓を守り、聖母マリアの指導に従い、
 はかないこの世の虚栄と、はかない楽しみを断ちなさい。
 そして、専ら完徳を修める為、力を尽くすべきである。」

私は、日々、聖母マリアの御心の御徳に倣い、聖母の教訓を守り、
聖母の指導に従って、私の心を神聖にし、
私の心に、イエズスの聖なる御心を歓迎申し上げます。



4日 
聖心のお喜び その4

主イエズスは、成長なさるとともに、
御家庭において、
むつまじい、親子の情が増してくるのをご覧になりました。
このことは、聖心のお喜びでした。

一般的に、
幼児は、慈悲深い父母の側で養育されることが、一番楽しいのです。

イエズスは、最も慈悲深い父母、聖マリアと聖ヨゼフに養育されて成長なさいました。
ですから、イエズスは、どれほど楽しかったでしょうか。
世間において、これほど楽しい家庭に成長した者があるでしょうか。
イエズスは、聖なる三位一体の第二位として、
聖父と聖霊と共にむつまじくいらっしゃいました。
天から隆って、人となられてからは、ナザレトの村において、
聖マリア聖ヨゼフと共に、最も楽しい家庭で成長なさいました。
イエズスの聖心の楽しみは、どれほどであったことでしょうか。
その当時、この、隠れた聖なる家庭がどれほど楽しかったかは、
誰も知る者がありませんでした。
このことを知ることができたのは、ただ、天使だけでした。


聖母マリアは、
しばしば、聖マルガリタ マリアに出現なさいました。

ある日のことでした。
聖母は、聖マルガリタ マリアに出現し、
聖マルガリタ マリアをなぐさめておっしゃいました。

「わたしの娘よ、
 あなたの歩む道は、長くて、苦しいでしょう。
 でも、あなたは、つとめて励まなければなりません。
 たとえ、あなたが十字架に釘付けにされたとしても
 茨に刺し貫かれても、
 むち打たれても、
 恐れてはいけません。
 私は、あなたを保護し、決して放棄しないでしょう。」

主イエズスよ、
あなたは、最も清浄な白百合花の中に生い立ちなさいました。
この、清浄潔白は、主イエズスの聖心が最も好み給う所だからです。
わたしたちも、また、聖心に倣い、
汚穢を避け、不浄を忌み、
ただ、清浄潔白な者とだけ、付き合おうと決心いたします。



5日
聖心のお喜び その5

イエズスは、公生活に入ると、
公然と世に出て、福音を宣べ、万民を救う聖務をはじめられました。
このことは、聖心のお喜びでした。

一般的に、人というものは、年齢、境遇、地位を重ねるに従って、
楽しみが変化していくものです。

イエズスも、幼い頃は、ナザレトの村におられました。
そして、静穏な家庭で隠かな生活を営まれていたときには、
主イエズスの楽しみは、ただ、質朴、単純な、こどもとしての楽しみだけでした。

でも、壮年に達し、公然と世に出て、民に福音を宣べ伝えられるようになってから、
楽しみとなさったのは、たいへん高尚遠大なことでした。
すなわち、自分が救世主であることを顧みて、救世の任務を果たすことに
楽しみを感じておられました。

ですから、楽しい家庭を去り、親しい親とも別れ、
世に出て教えを説き、救霊の道を宣べ伝えられました。
死に瀕する霊魂を救い、その霊魂を聖父に捧げ、
それでもって、聖父の使命を全うされたのでした。
イエズスは、聖父から授かった、この任務をはじめるにあたって、
イエズスの聖心に大いなるお喜びを感じておられました。

だいたい、救霊という聖なる職務に従事する者は、
最も幸福な者であって、
このような者たちは、心に神聖な喜びを味わうことができるのです。

聖女マルガリタ マリアは言いました。

「あなたがたは、イエズスの聖心を
 自分の心に受け奉り、
 聖心の泉から湧き出る清い水で、霊魂の園を潤して、
 あなたの心の中でしおれてしまっている、
 徳の栄えの花を、活き活きとさせねばなりません。
 太陽である聖心から発する光で、心も闇を照らし迷いの霧を散らし、
 冷えた心を温め、
 自分の心を、イエズスの聖なる聖心が愉快に遊んでくださる園と
 しなければなりません。」 

主よ、
お願いですから、
わたしたちに、他人の霊魂を善道に導くことができるようにしてください
異教人、異端者を、カトリックに立ち帰らせることに、
力を尽くさせてください。
そして、かつて、イエズスの聖心に感じられたお喜びを、
私たちにも感じさせてください。



6日 聖心のお喜び その6

イエズスは、ご自分の弟子らが熱心で、
師である主慕う心がおおいにあることを
ご覧になりました。
このことは、聖心のお喜びでした。

イエズスは、弟子をお選びになるとすぐに、
彼らは直ちに召し出しに応じました。
生活の資本となる船と網とを棄て、
愛する父母にも離れ、
妻子にも別れて、
完全に、主イエズスに従いました。

このことをご覧になった、聖心の御喜びは、どれほどであったことでしょうか。

そもそも、
わたしたちの主イエズスが、弟子等をお選びになったのは、
弟子等を主の親しい友とし、
そして、救世の業を補助させるためでした。
そして、弟子等に、主イエズスが大事にしておられる、
信徒を委託なさるためでした。
また、その弟子等のうちから特に12人を選んで、
その12人に使徒の称号を与え、
そして、使徒等でもって聖なる公教会の堅固な礎となさいました。

私たちの主の聖心は、
使徒及び弟子らによって、
救世の事業が世の終わりに至るまで継続することをご覧になり、
大いなる御歓喜をお感じになりました。

イエズスは、ある日、聖女マルガリタ、マリアに出現し、
聖女に聖心を示して、おっしゃいました。

「私は、すべての人を愛している、また、特にあなた(聖女マルガリタ、マリア)を愛している。
 この愛の熱は激しく、ほのおを中に隠しておくことができない。
 わたしは、あなた(聖女)を遣って、このことをすべての人に示す。
 私の心の宝蔵を開き、その宝をもって、あなた(聖女)すべての人々を
 豊かにしよう。
 この宝とは、すべての人を滅亡の淵から救出する聖寵である。
 私が、このような大きな事業を為すために、
 特に、あなた(聖女)のような知恵の浅いものを選んだのは、
 人を救うという大きな事業は、
 ただ、わたしの能力によってのみ成就するということを、
 知らせるためである。」

こうおっしゃって、イエズスの聖心を、聖女の心の上に置かれました。
すると、聖女の心は、激しく熱して、
かまどの中で焼き尽くされたような感じがしました。


イエズスの聖心、
私たちは今、主イエズスが使徒をお選びになったときのお喜びを追想いたします。
そして、その後継者である司教司祭を尊敬し、その正しい教導きに従い、
善業を行い、徳を修めることに、全力を尽くすことを決心いたします。




7日


聖心のお喜び その7

イエズスは、罪人が悔改することと
聖人が忠実であることをご覧になりました。
このことは、聖心のお喜びでした。

イエズスは使徒を選んで聖なる公教会の基礎を定められました。
そして、彼等の教導と統治とにより、救霊の大業は世の終わりに至るまで継続することを
ご覧になり、お喜びになりました。
でも、これは、未来に属するお喜びでした。

しかし、あの聖マリア マグダレナや、ヤコブの井戸の側にいたサマリア婦人や、
その他多くの罪人が改心するのをご覧になったときのお喜びは、
現在のお喜びであって、主は、特にお喜びになったのでした。

これらの人々以外にも、多くの霊魂が主イエズスに忠実であり、
怠慢なく徳に進みました。
たとえば、あの聖フランシスコ ザビエルや、聖女テレジアのような聖人を
目前にご覧になったときのイエズスの聖心のお喜びは、実に
極まりないものでした。


聖女マルガリタ マリア アラコックは、次のように言いました。
「わたしたちが、もし、聖マリア マグダレナの徳に倣いたいと思うならば、
 まず、罪深い生活を改め、聖寵の域に進み、
 身を棄て、天主を求め、自分への愛を捨て去って、
 天主への愛に生きなければなりません。
 聖マリア マグダレナは、悔い改めの剣で、それまでの罪の綱を断ち切り、
 聖なる御おしえの海に舟を浮かべ、
 徳の順風に乗じて天の港に向かったのです。
 私たちも、聖女に倣って聖なるみおしえの海に霊魂の舟を浮かべたら、
 主イエズスの聖心は、必ずわたしたちの水先案内人となってくださいます」


主イエズスよ、
お願いですから、
聖寵をもって、罪人を正しい道にたちかえらせてください。
聖なるみおしえが、益々さかんになるようにしてください。
御旨が天において行われているように、この世でも行われますように。
私は、心を尽くし、力を尽くし、
言葉と行いとをもって、
他人を善の道へと導き、
そして、
主の聖心をお喜ばせしようと決心いたします。

8日

イエズスの聖心のお喜び その8

イエズスは数多くの奇跡を行われました。
このことは聖心のお喜びでした。

イエズスはどこに行かれても、いたるところの人々に恩恵を施されました。
病者を癒し、
死者をよみがえらせ、
すこしばかりのパンでもって、多くの飢えた者を満腹にされたなど、
数えきれないほどでした。

これら数多の奇蹟は、わたしたちの主イエズスの全能の力によって出たもの
というよりはむしろ、わたしたちの主イエズスの全善によって出たものと言うべきです。

だから、あの、38年間も疾病に苦しめる者を癒されたとき、
その者は自分のベッドを担いで家に帰ることができましたし、

未亡人の一人息子を復活させて母にお渡しになりましたし、

また、ラザルを生き返らせて、マリアとマルタとにお渡しになったときは、
イエズスは聖心に大なるお喜びをを感じなさいました。


このような有形の奇蹟の外に、無形の奇蹟を行われました。
霊魂の疾病を癒し、
罪科でもって死んだ霊魂を復生させて聖寵の生命に入れさせてくださったことについても、
また、イエズスの聖心は、大きなお喜びを感じられました。


聖女マルガリタ、マリアは、ある日、イエズスの訪問を受けました。
そのとき、イエズスは、聖女マルガリタ、マリア、アラコックに告げて言いました。
「人々の敬愛を受けることは、我心の大いなる喜びである。
 我心は、聖なる三位一体の玉座、
 天主の愛の高御座であって、
 天主と人間の中間に立つ仲介者である。
 私を愛し、私に忠誠を尽くす者はすべて、
 決して滅亡に至ることのない聖寵を与えることを約束する。」


主イエズスよ、わたしは聖心に倣い、
他人に対して慈善の事業を行うことを楽しみとし、
そして、それによって、特に他人の霊魂を、
天主に導くことに力を尽すことを決心致します。

9日 聖心のお喜び その9

イエズスは至って聖なる神の糧である聖体をお定めになりました。
このことは、聖心のお喜びでした。

善とは、恩恵を施すという特性があります。
だから、聖人君子たちは、人に恩恵を施して、心の中にたいへん強い喜びを感じたのです。
恩恵を施せば施すほど、喜びも、ますます大きくなりました。

イエズスの聖心は、善のなかの善、すなわち、すべての善の大本源です。
だから、私たちの想像を超えた不思議な方法で、
ただ、恩恵を施すだけに留まらず、
イエズスの御血と御肉をもって、人の心に降り、
所有物とならせてくださいます。

三位一体の聖父が、人を愛する程度とは、愛する御一人子を人に与えてくださったほどでした。
三位一体の聖子が、人を切なく愛してくださいました。それは、自分を人に与えてくださったほどでした。
三位一体の聖霊について、あえてお聞きしますが、
聖霊に超越する賜物があるでしょうか?


聖女マルガリタ マリアは言いました。

わたしは、至聖なるわが主の聖体を拝領して、
固く吾主に結合せられることを望みます。
その為には水による苦痛、火の苦痛をも厭いません。
なぜなら、慈愛の糧であるイエズスの聖霊より優れて
わたしの心に喜びを与えるものはないからです。

主イエズスキリスト、
わたしに、聖女マルガリタ、マリアに倣わせてください。
慎んで、しばしば聖体を拝領して、
固く主イエズスキリストに結合させてください。
そして、永遠に離れないでいてください。

第10日 聖心のお喜び その10
イエズスは使徒ヨハネ及び熱愛深き信者が聖体を拝領するのをご覧になりました。
このことは、聖心のお喜びでした。

イエズスが聖体の秘跡のうちに、
愛する使徒の心の中にお降りになることは
聖心の大いなるお喜びです。
そのうちでも、特に、聖ヨハネのように、潔白であって、熱愛深い者の心の中に
お降りになることは、一層強いお喜びです。

だから、私たちの主が、聖体の秘跡を制定なさったとき、
「私は苦しみを受ける前に、この過越を、あなたがたと共に食すことを、
 心から願っていた」
と、イエズスがおっしゃったことは、
特に、聖ヨハネに向かっておっしゃったのだといっても過言ではありません。

イエズスは、
聖女マルガリタ マリアのように、敬虔で熱心に聖体を拝領する者があるごとに、
大いに主の聖心にお喜びを感じなさるのです。
このように、聖心は、不熱心に10,000,000人が聖体拝領をするよりも、
むしろ、1人が熱心に聖体拝領することのほうが、
遥かに優れてお喜びになるのです。

ある日、聖女マルガリタ マリアは、深く聖体拝領を望んでいました。
イエズスは、聖女マルガリタ マリアに御出現になっておっしゃいました。

「あなたが、本当に熱心かつ敬虔に我が聖体を受けることは、
 私の心の大きな喜びです。
 私が、もし、この秘跡をまだ制定していなかったとしても、
 たとえ、あなた一人の為にでも、この秘跡を制定したことでしょう。」

また、別の日の御出現でおっしゃいました。
「私がこの聖体の秘跡を制定し、
 聖体の秘跡でもって施そうとする諸々の
 恩恵を受けるに足りる者を見るたびに、
 私の心の楽しみは、限りないものになるのだ」

聖女マルガリタ マリアは、この御言葉を聞き、
自分のような賤しいものに、これほどまでに顧みてくださる聖心の御恩の深さに
感動して、ただただ、涙にむせぶばかりでした。

主よ、
お願いですから、
私に、敬虔かつ熱心に、しばしば聖体を拝領させてください。
そして、聖心の聖旨にかない、
聖体によって、得られるすべての聖寵を、
受けとるに値する者となることができますように。



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