辞書引く日々

辞書が好きなのだ。辞書を引くのだ。

胃袋と弁舌

2012年05月28日 | 言葉
中庸というのは、ずいぶん古くから言われていることで、孔子が言及している
し、アリストテレスも似たような概念を唱えているという。六つかしい話は分
からぬが、まあ極端を排して中間をとるというくらいの意味を考えるならば、
たしかに我々の日々の暮らしに不可欠なところであろう。

昔読んだミクロ経済学の教科書にこんな話が載っていた。酒ばかり飲んでも面
白くない、焼き鳥ばかり食うても面白くない。両方を同時にいただくと、あと
一杯の酒、あと一本の焼き鳥がより旨いものになるというのである。これが人
間の行動を律する基本であるというわけであるが、効用の増大という点から見
て極端というのがあまりうまくないというのは、さもありなんである。

これほど当たり前のことに思える中庸ではあるが、意見を言い合う段となると、
途端に霞んでくる。これももっとも、あれももっともというのでは、議論にイ
ンパクトが出ないからであろうか。論者というのは極端を魅力的に見せるのが
役目で、聞く者がそれぞれ落とし所を考えればよいということなのか。

焼き鳥の串と徳利を両方ながらに並べて酒を飲みつつ、口角に泡を飛ばして極
端なことを口走るのはありふれた光景だが、してみると胃袋と弁舌は異なる基
準に従うものなのかもしれない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 巨大トラックに関するぼんや... | トップ | 使い易さと楽しさの隙間 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

言葉」カテゴリの最新記事