辞書引く日々

辞書が好きなのだ。辞書を引くのだ。

リスニング

2010年01月21日 | Weblog
いつまで経ってもリスニングが満足にできぬ。たいして訓練していないじゃないかと言われればそれまでだが……って、いやいや、それなりに努力はしたんだ。

で、今仮説を立てた。

ネイティブって、ちゃんと発音なんかしていないよね。
発音してないものを聴きとろうとするからいけないんじゃないか。

なんで発音してないものが聴き取れるのかというと、そう聴くしか選択肢がない場合は、そう聴こえるという脳内のトリックではなかろうか。一種の空耳。

日本語でもそうだ。ドラマで、
オンドゥルルラギッタンディスカー!?
なんて言ってるのに、視聴者にはちゃんと意味がわかる。

この場面を日本語のわからない外国人に聴かせて、辞書を引いて意味を調べろとか言ったら、まあわからないだろう。

「本当に~ですか!?」「裏切った」
という表現を知っているから、「本当に裏切ったんですか1?」に聞こえるのだろう。

つまり、英語のリスニングも、表現を覚えて空耳すればいいのではないか。
ようするに、暗記である。

というのは、あくまでも仮説で、今年はこの仮説に基いて練習してみるつもりなのだ。リスニングが向上しなかったら、仮説が正しくなかったってことで。


怪奇小説 2

2010年01月20日 | Weblog
まだまだ怪奇小説を読んでいる。
またまた言うが、ホラーでもファンタジーでもなく、怪奇小説。
まあ、supernatural (超自然)ってところか。

考えてみると、子どもの頃に読む「おはなし」ってのは、超自然が多い。

たとえば、桃太郎……鬼は明らかに超自然だ。そもそも、桃から生まれたというのが、怪奇である。(旧いバージョンでは、桃を食べたおばあさんから生まれたらしいが、それだってかなり超自然かもしれない)

シンデレラ……魔法使いが超自然でなくてなんであろう。お城とか出てくるところも、ゴシック小説を思わせるじゃないか。

少し大きくなると、シャーロック・ホームズなどの探偵・犯罪ものなども読む。ホームズは超自然ではないけれども、たとえば「バスカヴィル家の犬」なんて読むと、かなりゴシックな雰囲気がある。

SFなんてのも好んで読んだりする。SFには、やっぱり超自然的なものがある。宇宙人なんてのが出て来るけど、かなり超自然くさいものが多い。

これが大人になると、超自然的な小説を読む機会がずっと減ってくる。

子どもの、本を読んでわくわくした感覚が大人になると味わえないなあと思っていたが、これはたんに、大人の読む小説に超自然を(少なくとも中心的モチーフとして)扱わないものが多いからかもしれない。

怪奇小説

2010年01月17日 | 言葉
最近いわゆる怪奇小説ばかり読んでいる。

怪奇小説という言い方じたい古くさいが、実際読んでいる小説も古くさい。
ファンタジーでもホラーでもなくて、やっぱり怪奇小説である。

具体的にいうと、ラヴクラフトとか、M.R.ジェームズとか、アーサー・マッケン
とか、そのあたりである。もっと古いバリバリのゴシック小説にも挑戦中だ。

何が魅力なのかというと、けっして「怖い」からだけではない。
そもそも私はあまり想像力のない人間なのか、それほど「怖い」と思わない。

幸田露伴は、小説というのは「興」であるというようなことを言っていたと
思うが、怖い小説に独特の興がある。

もっとも、それがどういう「興」なのかということになると、
ちょっとうまく説明する自信がない。

怪奇小説を料理にたとえるなら、香辛料きつ目の退屈しない料理か。

辛さに慣れていないと、辛い料理はただ「辛い」だけである。
辛さに慣れてくると、辛さの中にさまざまな味わいがある。

「怖さ」に慣れていないと、怪奇小説は怖いだけである。
怖さに慣れてくると、そこにさまざまな興がある。

そして、クセになるという点においても、怪奇小説とエスニック料理は
似たところがある。