辞書引く日々

辞書が好きなのだ。辞書を引くのだ。

FAX の愛好について

2012年06月14日 | 言葉

日本人が FAX 好きであることが話題になっている。ワシントンポストの記事が
きっかけらしい。これまでも、日本人の FAX 好きはしばしばジョークのネタに
なってきたわけで、ことさら目新しい話題ではない。しかしながら、これはさ
まざまな側面から考えることができるとても面白い話題だ。

そこで、「どうして電話でなくて FAX なのか」「どうしてメールでなくて
FAX なのか」という二つの面に分けて考えてみたい。

どうして電話でなくて FAX なのか

話し言葉ではなく文字が必要とされるのは、重大な場面においてはそう珍しい
ことではない。キューブリックの「突撃」を見ると、味方の中に大砲を打ち込
めという命令に対して兵が「そういう命令は文書でください」と言っている。
あとで自分の責任にされてはかなわないわけで、これは納得できる要求である。
義経が法王に平氏を攻めよと言われたとき、院宣をくれと言ったという話も、
なるほどと思える。FAX の問題は、むしろ重要度の低い事柄でも文書が求めら
れるというところにあるのだろう。

石川九楊という書家が、面白い意見を言っていたのを読んだことがある。現在
の日本語は奈良時代に書き言葉の表記を定めるとき、それまでの言葉を整理し
た結果できたものだというのだ。すなわち、日本語の書き言葉は、発音された
言葉が先にあってそれを写しとったのではなく、書き言葉と話言葉が同時に成
立したということだろう。極言すると、日本語会話は書き言葉を読む行為であ
るということになるかもしれない。まあ、この説が妥当かどうかは別として、
日本語の話し言葉がもとよりビジネス使用を想定していないものであるという
のは、そう不思議なことではないと思う。

どうしてメールでなくて FAX なのか

これほど FAX が好きな日本人ではあるが、職員一人ひとりが個人用のファック
スを持っているということは、珍しい。このことは、大事なヒントになると思
う。FAX には、まず部署がそれを受け取り、それから責任者に届けられるとい
う感覚がある。これは、宛先に個人名が書いてあっても、部署に所属する人間
として受け取る文書は、部署を通して受け取るべきだというセンスではなかろ
うか。

これに対してメールは責任者という人間に直接届くものであるから、信頼され
ないのである。(サインよりも印鑑が好まれるのも、サインは個人という側面
をより強く打ち出すからのように思える。総務の人が勝手に押してくれる認印
が信頼されるというのも、まったく不思議なことではない)

まとめると、

わが国には、(1)話し言葉は個人間の通信にしか使えない (2)個人間の通信は文
書であっても信頼されない、というルールがある。
そして、(a)メールは一人ひとりの机の上にあるパソコンで受け取る (b)FAX は
部署が管理している受信機に届く、という物理的な特徴がある。
これらを併せて考えると、わが国のビジネスマンが FAX を愛好する理由も、想
像がつくのではないだろうか。
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