辞書引く日々

辞書が好きなのだ。辞書を引くのだ。

ひしおみそとししびしお

2005年09月27日 | 言葉
「ひしお」というものがある。

調理用の味噌ではなくて、これで飯を食うというような味噌である。大辞林第二版(オンライン版)によると、「(1)なめ味噌の一。大豆と小麦で作った麹(こうじ)に食塩水・醤油を加え、塩漬けの瓜・なすなどをまぜ込んだもの」だそうで、「醤」と表記するとある。(「なめ味噌」という言葉があるのを初めて知った。ナメネコみたいでなんだかかわいい)

一方、孔子の弟子子路は権力闘争に巻き込まれて殺され「ししびしお」になったという。この「ししびしお」の「ひしお」は、同辞典によれば、「(2)塩漬けの肉や塩辛。肉びしお。」で、「醢」と表記するとあるのがこれだ。

どうも同じ「ひしお」でもだいぶ趣が違う。

「言海」で、この手の言葉を引くと、妙にくわしく載っていて可笑(おか)しい。いわく「食物。精(しら)ゲタル(=精白したるの意なり)小麥ノ飯ニ大豆、糯米(もちごめ)ヲ炒リテ粉トセルヲ雑ヘテ麹トシ、鹽水(しおみず)ヲ煮テ加ヘ、掻キマセテ貯フルコト数十日ニシテ成ル。多ク瓜菰(うり、こも)ナドヲ漬ク。ナメモノ●醤(●部分判読できず)。肉ナルヲ肉―、又しほからトイフ。醢。」(括弧内引用者による)。

「肉なるを肉ひしほ」というというところが大事で、ようするに麦をなんとかしたものがひしお味噌で、肉をなんとかしたものが肉ひしお、というわけだから、明快な構造である。「ししびしお」というのが肉ひしおのことであるということも、よくわかる

下の写真は、たまたま我が家にあった、ひしお味噌の入れ物の一部。旧カナで書くなら、「ひしを」でなくて「ひしほ」であろう。もっとも、一般名詞は商標登録ができないので、商品名として商標登録できるようにわざと「ひしを」にしたのかもしれない。




石焼芋屋

2005年09月25日 | Weblog
名古屋ではそろそろワラビ餅屋が石焼芋屋にかわりつつある。

不思議なことは、石焼芋屋というのは、必ず移動式店舗だということだ。
これだけ焼芋ファンが多いのに、固定した店舗というのはほとんど見たことがない。
コンビニで扱っているのも見たことがない。

また、家庭で石焼芋をつくるための電気式調理器具があってもよさそうだが、これも見掛けない。7、80度の温度を長時間保つのには電気を使うのが最もよいと思うのだが。

なにか「事情」があるのかもしれない。ちょっとしたミステリーである。

そろそろ飽きる頃

2005年09月23日 | Weblog
ブログとはいかなるものぞと始めたれども、そろそろ答えが見えてくる頃なり。別の言い方をすれば飽きてきたといふ。わかったことは、

ホームページ:郊外の一戸建
ブログ:都心のマンション
自前サーバ:島

という感じだということである。

ブログというものの特徴といえば、記事更新を通知したり、RSS で概要を提供したり、その結果、毎日いろいろな検索エンジンなどからロボットが巡回してくるというところにあるのではないか。ときには一日 20 件くらい人間でないものの訪問がある。

つまり、私の印象としては、ブログの特徴は、直接にはブログそのものの内容にあるのではなく、ブログを取り巻く環境にあるらしいということだ。もちろん、ブログは頻繁に更新されるとか、各ブログの見掛けが同じような構成をしているとか、そういう内容の問題が検索エンジンをして毎日巡回せしめる環境を作らしめているのであるから、間接的には内容に特徴があると言っても間違いではないが。

ともかく、ブログという新居の様子もわかってくると、そろそろまた引越したくなるのである。今度は無人島でサバイバルしてみるかとか、そんなことを考え始めるのだ。

ジンギスカンキャラメルを超えるもの

2005年09月19日 | Weblog


かねてより不味いといふことで話題になりたるジンギスカンキャラメルなるものを、おくればせながら食べてみた。

普通のキャラメルより薄い色で、ベージュ色なり。ろう紙に包んであるようすなど、他のキャラメルと変わることがない。

口に入れてみると、かなりやわらかい。気温が高いせいかもしれぬ。食べてみると、油が燃えた煙のにおいがする。それから、長ネギのにおいがする。味は甘いがそれほど甘さが強いわけではない。また、普通のキャラメルに比べると、しょっぱいと言える。何かのタレをキャラメルにしたというような感じである。

たしかにうまいといって人に勧めるほどのものではない。だが、せいぜいその程度である。みなその味をあしざまに罵っているようであるが、他の食べ物に対してのコメント具合と比較すると少し理解しかねる。この程度の味のものは、みながうまいうまいと言って食っているものの中にいくらでも見付けることができるからだ。

考えてみると、「お菓子なのにまずい」という点があるかもしれない。お菓子はおいしくて然るべきであるから、これはうなずける。

しかしそれだけでは、ちょっと説明がつかない。やはり、みんなが不味い不味いといって盛り上がった具合がちょっとお祭りのようなもので、とくに反対意見でなければワッショイワッショイといって参加するという感覚なのだろう。

友人たちの気分を害さずに、何かを公然と不味いと言える機会はそうそうないのだから、お祭りに参加する気持ちもわからぬではない。

では、私が食べたものの中で本当にまずかったものを紹介しよう。ジンギスカンキャラメルなど、めではない。それはソバの花からとった蜂蜜である。

ただ、私が食べたひとビンだけがたまたままずかったのか、これが一般にまずいものなのか、金を払ってまで確かめる気が起こらぬから、放ってある。勇気がある人の判断に任せることにしよう。

東山ビル(名古屋)

2005年09月17日 | 写真


東山ビルは、名古屋市営地下鉄東山線の東山公園駅ほぼ真上にたつビルなり。

何の変哲もないビルで、一階にスーパーマーケットがあるほかは、公団住宅になっている。

ただ、そのくたびれ具合とか、ビル名が太めの明朝体で大きく書いてあるあたりが、なんとなく好もしい。


ユウガオ(ヨルガオ)の花

2005年09月17日 | 写真


ベランダで育てていたるユウガオ咲く。ユウガオといっても、そう呼ばれて園芸店で売られているというだけであって、かんぴょうをつくるユウガオのことではない。正しくはなんと言うのか知らないが、ヨルガオだと言う人もいる。

アサガオのようなハート型の葉を持つつる植物で、直径 14、5 センチもあろうかという大きな花が咲く。そして、翌朝にはしぼんでいる。

コーネル・ウールリッチ『黒い天使』(ハヤカワ文庫)

2005年09月15日 | 
1943年に出版されたミステリ小説の新訳(2005年)なり。夫の嫌疑を晴らすために、若妻が暗黒世界に足を踏み入れて奮闘する話。ウールリッチは『幻の女』の作者アイリッシュと同一人物。

けなげで、俗っぽくて、甘ったるい感じがよろしい。

解説に、決定的にストーリーが破綻しているという指摘が紹介されているので、意地悪な読者はそれを見つけ出すことを楽しむといいかもしれぬ(言われてみればなるほどという点だ)。

1943年頃の音楽といえば、チャーリー・パーカーなんぞのいわゆるバップと呼ばれるとげとげした新スタイルを思い浮かべる。しかし、たぶんレコード売り上げ的にいうと、まだまだこの時代は腐らんばかりに熟したスウィングジャズの時代なのである。

してみると、この本を読みながら聞くのがふさわしい音楽は、パーカーでもガレスピーでもなく、1944年人気絶頂の中に戦死したグレン・ミラーなのではあるまいか。

黒い天使

早川書房

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目覚し時計を買う

2005年09月14日 | 製品
目覚し時計を買った。時計というのは、安いものでも正確になってきたので、まずはデザインだけを考えればよろしい。

デザインとは何かというと、これが存外難しい。見た目だけがデザインではない。使い勝手とか、ベルの音とか、設計思想のようなものまで含めてデザインである。

私の買った目覚し時計は、じつにたいしたことない外見なのであるが、深い?意味において、デザインが特急つばめをひいたC55蒸気機関車に似ている。

C55 はもともと普通の蒸気機関車なのだが、流線型のカバーをつけて、ちょっと蒸気機関車に見えない流線型のフォルムのものを作り、これが特急列車を牽引したそうである。流線型にすることによる空気抵抗が問題になるような速度は出ないから、これはまったく見掛けだけのものなのだとか。

さて、私の目覚し時計は、まず普通のベルをハンマーでたたくタイプのものだ。電子式のものから比べると、これはレトロと言える。しかし、問題はその後だ。

たいがいこのタイプはそのレトロさを売りにして、大きなベルが時計の外側についている。ところが、私の買ったものは、内容はレトロなハンマー式なのだが、これが凹凸の少ないカバー内に完全におさまっていて、見掛けが電子音式のものと変わらない。こんなところがなんだか「つばめ」の C55 っぽいのである。

使ってみると、火災報知器のような音で起こしてくれる。スヌーズ機能もついていて、中途半端に電子的であるのも、なかなかよい。電池は単二電池を使うという硬派ぶり。

この時計は、セイコーの中国製で、型番は KR739S とあるが、リンクを張ろうとして google で検索しても一件もヒットしないところをみると、ヒットしなかった商品なのであろう。

ゆーもあ【ユーモア】他人の不幸を笑うこと〈カビパン小事典〉

2005年09月13日 | 言葉
英国にしばらく滞在してわかったことは、かの地では他人の不幸を笑うことがユーモアの一大分野と理解されているということなり。

実例1・クマのパディントン手品をせむと言い、パーティー参加者に腕時計を借りむとす。嫌われ者の隣人時計を貸す。パディントンこれにハンカチをかぶせ、ハンマーでたたき壊す。しかるのちにパディントン手品の案内書を読むに、あらかじめ新しい時計を用意するべしとあるを知る。隣人多いに怒りて帰らんとす。パディントンが下宿せる家の主人いつまでも大声で笑い続ける。

実例2・余の住みたるフラットの大家、フラットの点検に来。向かいのフラットのドア前にある足ふきマットに靴の泥をこすりつけて、満悦。余のフラットにももちろん大家所有の足ふきマット備わるなり。