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辞書引く日々

辞書が好きなのだ。辞書を引くのだ。

サミュエル・ジョンソンの顔

2009年03月16日 | 
ぼちぼちとボズウェルが書いた伝記を読む。

ふと気になったのは、ペンギン版の表紙にもなっている有名なポートレイトである。
こんなやつ↓

http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/0140436626/

Google で画像検索すると、こればっかり出てくる。これをを見る限り、ジョンソンは
近視で(ボズウェルによると片目が見えないのだという)肥満の男である。

どうもあまり良い肖像画に見えないのだ。目が悪いということと、
太っていたということは伝わってくるのであるが、肖像画に大切な生彩が伝わってこない。
そういえば、このポートレイトの表紙を見て、本を注文するのをやめたことがあったっけ。

もっと別のものはないかと探していて、

http://www.npg.org.uk/collections/search/largerimage.php?LinkID=mp02446&role=sit&rNo=12

を見つけた。エッチングで、かなり衝撃的だ。なんというか、異形である。

そんなに恐ろしくないものもある。

http://www.npg.org.uk/collections/search/largerimage.php?search=sp&sText=samuel+johnson&rNo=1

これは、哲人風とでもいおうか。

http://www.npg.org.uk/collections/search/largerimage.php?search=sp&sText=samuel+johnson&rNo=2

これは、立体で、政治家風。

http://www.npg.org.uk/collections/search/largerimage.php?search=sp&sText=samuel+johnson&rNo=4

これは、詩人風。

http://www.npg.org.uk/collections/search/portrait.php?search=sp&sText=samuel+johnson&rNo=5

これは、デスマスク。魁偉であったことが想像される。

色々見てみたが、かえってイメージがつかめなくなった。
きっとそう単純な奴じゃなかったのだろう。

そして、最初のに戻って見ると、たしかにたいしたポートレイトとは思えないにはかわりないが、
描いた人間が描かれた人間に何かしらの愛情があったのではないかということを発見するのである。

人の顔とはおもしろいものよのう。



変な漢詩の本

2009年02月13日 | 
普段は漢詩など読まぬ。嫌いなわけではないが、なんというか、気持ちに余裕がないと内容が響いてこない。

ところが気まぐれを起こして、「訳注聯珠詩格」(柏木如亭著、揖斐高校注、岩波文庫、2008年)なるものを買ってきた。

これが、なかなかおもしろい。何がおもしろいかというと、内容ではなくてその訳である。

訳といってもなにぶん江戸時代の訳である。しかも、やたらとくだけている。たとえば、

有梅無雪不精神
有雪無詩俗了人

なんてのは

「梅が有て雪がなければきまりがわるい
雪が有ても詩がなければ人がやぼになる」

て具合だ。

どうやら先生が言った講義ノートのようなものだというが、ずいぶん洒落た先生がいたのである。

この本が洒落ているのは、そればかりではない。
上の例ではかながふってあるもんはすべて平仮名で写したが、
もともとは漢字の部分があってかながふってあるのである。

「不精神い」などと、もとの詩の字を使っておいて、これに「きまりがわるい」と仮名をふる。
「俗了る」なんて書いて、「やぼになる」だ。

こんな本をつくった弟子たちってのも、また洒落ているわけだ。

ひとつこの伝でコンピュータ関係の解説を書いてみてはいかが。

「すべての computation(けいさん) は
expressions(しき) を evaluate(ひょうか)して
value(あたい)を生み出すことによってなされる。」

なにやら風流な感じがするではないか。

「飢餓食入門」

2008年03月23日 | 
小学生の頃、友人が「飢餓食入門」という本を持っていたのを思い出して、検索してみた。なんと、古本が84万円で売っている。オークションが60万円からスタートしているのもあった。

http://www.koshodejavu.com/item.cgi?item_id=drag7&ctg_id=drag&page=1

で表紙を見ることができる。表紙なんぞ忘れていたが、今見ると、なかなか……ま、見てみてください。

内容で覚えているのは、壁を食べるということくらいだ。塗り壁を煮て汁を飲むとにいくらか栄養があるとか……本当かなあ。

ところで、この本の角書(つのがき:タイトルの前につく短かい説明文みたいなやつ)なのだが、「食糧危機を生きぬくための」である。「食糧危機」というのが、時事用語だったのかなあ。子供だからわからなかったけど。


『ラテン語の世界』(中公新書)

2008年03月13日 | 
『ラテン語の世界』(小林標著、中公新書)を読む。今まで読んだこの手の本の中でいちばん面白かつた。

最初のはうは、言語としてのラテン語について書かれてゐる。ソシュールとかチョムスキーとかは居なかつたが如きで、古き良き言語学の蘊蓄が語られてゐて好もしい(私の頭の中が、およそ世間から百年は遅れてゐるゆゑかもしれぬ)。そして、この本には全編ラテン語への愛情があふれてゐるのだ。

「言語学においては、諸言語の価値の高低を論ずるのはルール違反である。しかし、言語の魅力の高低を論じるのは許されるはずだ。筆者はときどき思うのだが、ラテン語をよく学んだ人は、等しく近代語を『堕落した言語』と見てしまうのではなかろうか。」(p.106)

ちやんと屈折するといふところが魅力の一つだといふわけで、例として he will have seen を viderit の一語で表現できるといふ例が挙げられてゐる。(屈折恐るべし! 「ローマ人がコンピュータ言語を作ったらどうなつたであらうか」などと考へてしまふ。)

また、この本の文体には老先生のざつくばらんな雑談のごとき愉快さがあり、たとえば、ラテン語に冠詞がないことについて、「(前略)冠詞とは要するに言語の変化の過程でできた新しい要素であって、半可通な日本人がときどき考えるような、日本語と西洋語との違いを示すものなどではない。」(p.68)などと小気味良くタンカをきつて呉れたりもする。

ともかく、気軽に読める愉快な読み物なり。

ラテン語の世界―ローマが残した無限の遺産 (中公新書)
小林 標
中央公論新社

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大きいほうといっしょに叫ぶのだ

2008年03月11日 | 
なんだかうっちゃっておいて読んでいない本を引っ張り出して読む。
ディケンズのピクウィック・クラブなどその代表格なり。
とくに筋というものはないので、この本は細部を楽しむものなるべし。

「スラムキー万歳!」選挙民はどなった。
「スラムキー万歳!」帽子をぬいで、ピクウィック氏は応じた。
「フィギンズはだめだ!」群衆はうなった。
「もちろん、だめだ!」ピクウィック氏は叫んだ。
(中略)
「スラムキーってだれです?」タップマン氏はささやいた。
「知らんね」同じ調子でピクウィック氏は答えた。「しっ。なにもたずねないように。こうした場合、群衆がしているとおりにやっていれば、まちがいないのだ」
「だが、群衆がふたつあった場合には、どうします?」スノッドグラース氏がたずねた。
「大きいほうといっしょに叫ぶのだ」ピクウィック氏は答えた。

(ちくま文庫版、p.291)

※ このあと[どんなにたくさんの本でも、これ以上のことは言われなかったろう。]と地の文が続くけど、原文は Volumes could not have said more. だよ。

ピクウィック・クラブ〈上〉
チャールズ ディケンズ
筑摩書房

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「下流社会」(三浦展、光文社新書、2005年)

2005年12月05日 | 
本屋で平積になっていたのでつい買ってしまう。

この本で下流社会というのは「基本的には『中の下』」であり「食うや食わずとは無縁の生活」をしていて「しかしやはり『中流』に比べれば何かが足りない」人を指しているのだそうだ。(p.5)

全編を通じて「上・中・下」に分けて統計を示しているが、これは具体的には、アンケートで「『上』と『中の上』を合わせて『上』、『中の中』を『中』、『中の下』と『下』を合わせて『下』とした」(p.90)ものによるらしい。

この本で主に使われている統計は、三つある。ひとつは、質問紙を年齢別に 1150 件郵送して得た 861 件の回答から、生まれた年により 4 つに分けた区分のそれぞれに落ちるものを 100 件ずつ「無作為抽出」したものであるという。他の二つは、「Web 調査」ということである。(p.12)

質問紙を送る相手の抽出方法は、人口別に割り当てたというだけで、無作為であるとは述べられていないのが少し心許ない。どうしてわざわざ有効回答中から一部サンプルを捨てて各年代グループのサンプル数を 100 にそろえたのかも、よくわからない。

年齢別に四つのグループに分け、それを「上、中、下」に分けて、それぞれの回答を分析することが多いので、クロス統計の枡目に入るサンプル数がずいぶん少ない場合もある。

極端な例を一つ挙げておく。団塊ジュニア世代(この本では1975-79年生まれという定義)について「自分らしさ志向を職業別に見ると、男性の自分らしさ派ではフリーターが多く」(p.170) とあるが、この根拠は、次のページに載っている「団塊ジュニアの主な職業別自分らしさ志向(主な項目)」という表らしい。

この表では、「男性」かつ「パート・アルバイト、フリーター」のサンプル数は 5 で、この中で「自分らしさ派」が 60.0% 「非自分らしさ派」が 40.0 % とある。つまり、それぞれ 3 人と 2 人だったというわけだ。いくらなんでもサンプル数が少な過ぎると思うのだが……


平面世界

2005年11月27日 | 
つい本を買ってしまう。たとえ面白くても洋書なんぞは教科書にでもなっていない限り読みきったためしがない。不思議なことにどんな薄い本でも、最後まで読みきりはしないのだ。あまり自慢になることではない。

そのうち最後まで読もうと思っているものに Flatland という本がある。平面世界の住民が自分の世界を紹介する話である。この世界の住民は、幾何学的な形をしている。円形が貴く、鋭い頂点をもつ三角形が賤しいという階級社会である。

女性はみな鋭い頂角を持っている。そして、その鋭い頂角に刺されると刺された相手が死ぬ可能性もある。悪いことに、鋭い頂角をもつ三角形は、その頂角の側、あるいは、その反対側から見ると、ほとんど点にしか見えない。したがって、気づかずに追突する恐れがある。そのため、女性は体を左右にふりながら歩くことが義務づけられている地方もある。

住民の形状はおおむね遺伝によるので、鋭い頂角を持った三角形親から、正三角形の子どもは生まれない。しかし、たまにそれが起こると、その子どもは親もとから引きはなされて育てられるのである。

とまあ風刺的な内容で、こうしたものは私の好むところであるのだ。

いろいろな版が出ているが、下にはりつけたのはたまたま私が持っている版である。

Flatland: A Romance Of Many Dimensions (Princeton Science Library)

Princeton Univ Pr

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「計算力を強くする」(講談社ブルーバックス)

2005年11月11日 | 
小学生のころ、九九は半分だけ覚えて済ませていた。おかげで、今でも計算が苦手である。

「計算力を強くする」(講談社ブルーバックス)という本が本屋で平積になっていたのでつい買ってしまう。ごくまっとうな、暗算テクニックの本である。

一例を挙げると、48 x 52 は、(50 - 2) x (50 + 2) = 50 x 50 - 2 x 2 = 2500 - 4 = 2496 とすれば、暗算できるというようなたぐい。

不思議なのは、サブタイトル(というより、カバーに堂々と印刷されていてサブタイトルと見まごうキャッチコピーと言うべきか)に「状況判断力と決断力を磨くために」とあることだ。ビジネス書みたいなこのサブタイトルは、この本の内容とはまったく関係がない。


世界初のペーパーバック

2005年10月21日 | 
James Hilton の Lost Horizon 。映画にもなった(1937年「失はれた地平線」)。この小説のペーパーバック版の表紙には、はじめて出版されたペーパーバックであると書いてあるが、本当であろうか。

なんかショボい表紙がとってもいい。読みはじめたが、1 ページ目を読むために 5 回以上辞書を引かなくてはならなかった。単語力のなさを痛感。