世界の奴隷化か、それとも平和か...それは教皇にかかっている
第 VI 部(9)
シスター・ルチアはこう述べている:「ロシアはまだ適切に奉献されていない」
Robert A. S. Sullivan 著
大部分のカトリック者が、7万人の目撃者の前で1917年10月13日の聖母の奇跡の比類のない信憑性にもかかわらず、ファチマで神の御母によってなされた緊急の警告と要求を無視し続けているということは何らの秘密ではない。その霊的な子どもたちに対する聖なる御母の直接的な教授の無視は圧倒的でありまた甚だしいものである!カトリック者たちによる彼らの祝せられた御母のメッセージのこの拒否の悲劇的な結果は文明の現在の道徳的および政治的な崩壊および起ころうとしている懲罰へと導いた。
今日の堕落したそして罪深い社会に役立て得る唯一の実行可能な解決が、聖母が1929年にシスター・ルチアにその要点を述べられた定式に従ったマリアの汚れなき御心へのロシアの奉献であるということもまた秘密ではない。これは聖母のファチマ・メッセージおよび要求の真の極致である。
われわれの世俗化されたカトリック社会プラス聖母の神なる御子の教会内部の反マリア司祭たちや司教たちは聖母のファチマ・メッセージのこの極致の実現を挫折させてきた。聖母の言葉およびわれらの主の言葉の、シスター・ルチアによる信頼できるそして忠実な伝達の短いリストを以下に示す。可哀相なシスター・ルチアはロシアの奉献を求めておられるファチマの聖母の要求を通じて提供される世界平和の恵みが今までに心に留められてこなかったがゆえにひどく苦しんできた。
1929 -- 「聖母の元の啓示の十二年後、1929年にシスター・ルチアに直接なされたファチマの聖母の特別の要求は、ある特定の日に、「世界におけるすべての司教たちと一致して教皇によって」マリアの汚れなき御心にロシアが奉献されるということである。
1946 -- ウィリアム・T. ウォルシュ教授はシスター・ルチアにインタビューしている:「ルチアは、聖母が彼女の汚れなき御心への世界の奉献を要求なさらなかったということを明らかにした。聖母が特殊的に要求なさったことはロシアの奉献であった。もちろん、彼女は、教皇ピオ十二世が1942年に聖母の汚れなき御心にロシアをではなく、世界を奉献されたという事実についてコメントしなかった。しかし彼女は一度ならずそして熟慮した強調をしながら、こう言った:」
「聖母が望んでおられることは、教皇と世界のすべての司教がある特別の一日に聖母の汚れなき御心にロシアを奉献することです。もしこのことがなされるならば、聖母はロシアを回心させられるでしょう。そして平和がやって来るでしょう。もしそれがなされないならば、ロシアの諸々の誤謬は世界におけるあらゆる国に広まるでしょう。」
「このことは、あなたの意見では、あらゆる国が、例外なしに共産主義によって圧倒されるということを意味するのですか?」
「はい、そうです。」注1)
1947年 -- シスター・ルチアは1947年2月17日にこう書いた:「教皇は、世界の奉献の中にそれを含ませながら、すでにロシアを奉献なさいました。しかしそれ[ロシアの奉献]は聖母によって指示された形ではなされませんでした。」
1957年 -- 12月26日、シスター・ルチアは言った:「もしわたしたちがあの可哀相な国家[ロシア]の回心を予め手に入れていないならば、ロシアは全世界を罰するために神によって選ばれた懲罰の道具となるでしょう。」
1982年 -- 3月21日、シスター・ルチアは、証人、ラセルダ博士およびファチマの司教の前で、教皇ヨハネ・パウロ二世の個人的代表 -- リスボン教皇大使 -- に聖母が教皇に何を望んでおられるかを説明するように求められた。彼女は、教皇は(1)日を選び、(2)全世界の司教たちに命令すること、(3)それは教皇と同じ時に、それぞれが自分自身の司教座聖堂で、(4)償いとロシアの奉献の荘厳かつ公的な儀式を、(5)イエズスとマリアのいとも聖なる御心に対して行わなければならないと説明した。教皇大使は後にラセルダ博士に、彼が教皇に、指示されたようにロシアを奉献せよという命令に従うことにおいて教皇に加わる各々の司教の義務を教皇に伝えなかったと語った。
1983年 -- 3月19日にシスター・ルチアは再び、教皇の名においてシスター・ルチアと再度話をした同じ教皇大使に立ち会ったラセルダ博士の訪問を受けた。彼女は明瞭にこう答えた。「ロシアの奉献は聖母の要求なさったようにはなされませんでした。」彼女は、それは「ロシア」が明白に奉献の対象ではなかったがゆえに、そして各々の司教が彼自身の司教座聖堂で公的、荘厳なロシアの奉献の儀式をなさなかったがゆえに、であると説明した。
1987年 -- 7月20日に、シスター・ルチアは総選挙に投票するために彼女の修道院を離れるようにポルトガルの法律によって義務づけられた。彼女が車を離れたときに、アルゼンチンのジャーナリスト、エンリケ・ロメロは彼女に会い、ロシアの奉献について彼女に尋ねた。彼女は彼に、それはまだなされていない、そしてもし祈りと犠牲を特徴づける霊的な方向転換がないならば、あらゆる国家は残酷な共産主義の専制の下に落ちるであろうと、確証した。(このことはアルゼンチンにおいてスペイン語で出版された Para Ti の8月初旬号において報道された。)
「聖母の要求なさった奉献が敬意を表されるのを待つ」この60年間によって要求された並々ならぬ大きさの忍耐はわれわれの読者たちにとってと同様にシスター・ルチアにとって圧倒的なものであったであろう。ファチマ・メッセージ全体のこの極致は憐れみの時が使い果たされる前にローマの司教[教皇]と彼の4000人の同僚たちによって実行されなければならない。そうでなければ、5000年前にアダムから第九の世代であるノアの預言的な警告を無視した人間によって経験された懲罰が二十世紀の人間を待っている無情な現実に比較して「夏の水泳」のようなものと思われるであろう。*
* 1951年に教皇ピオ十二世が世界は現在[ノアの]大洪水の前よりももっと悪いと言われたことを思い起こしなさい。
われわれは、われわれのファチマの幻視者、シスター・ルチアが彼女の先行者ノアよりもより注意深い聴衆を見出すであろうということを希望して、われわれの償いと祈りの個人的行為を増やさなければならない。
注
1)"Our Lady of Fatima" p.221, by William Thomas Walsh, published in 1947.
この最初の文書は、世界平和の不可欠の条件としてのすべてのカトリック司教たちによるマリアの汚れなき御心へのロシアの共同的奉献を求める神による要求についての1917年から1981年までの歴史のよい要約を与えている。それはミズーリ州、セント・ルイスの引退した司教カーベリー枢機卿によって準備され、1981年11月の司教会議でのアメリカ人司教一人ひとりに彼によって与えられた文書である。この提出の後、アメリカの司教たちは、もし教皇が奉献の共同的行為に着手することが当を得た、また時宜に適ったものだと考えるならば、教皇ヨハネ・パウロ二世に請願することに一致して同意した。この文書は多くの興味ある事実を産み出した。