けれど(Credo)

I:キリシタン信仰と殉教 II:ファチマと現代世界 III:カトリック典礼、グレゴリオ聖歌 IV:「聖と俗」雑感

ファチマ・クルーセイダー

2012年12月05日 | Weblog
今や時が来た

ロシアを奉献することはカトリック・正教の
対話を害さず、助けるであろう

The Fatima Crusader Issue 91, February 2009 より

キャシー・ピアソン

ニコラス・グルーナー神父からの導入的な注:
この論攷は別の雑誌によって最近公表された。われわれは、ファチマの聖母と善意のすべての人に、世界平和を、戦争によって引き裂かれたわれわれの世界にできる限り早くもたらす手助けをするために、2008年8/9月にそれが発表されたままに、許可を得てここに復刻する。われわれがそれをここに復刻するのはそれをもっと広く読んでもらうためである。われわれはそれを注意深くそして祈りをこめて読まれるようにお勧めする。それは読みやすいが、にもかかわらず非常に深遠に書かれている。それは善意の人の誰をも不快にしないであろう。それは有益で希望に満ち、客観的であり、攻撃的ではない。

真理を求めるすべての人々、ファチマの聖母を愛し聖母に仕えようと望んでいる人々、世界平和を望んでいる人々、東と西との間の、正教とカトリックとの間のより大きなそして真正の理解を求めている人々に対して、われわれはこの論攷を読まれるようにお勧めする。

それは、カトリックと正教、ロシア人とアメリカ人、伝統主義者と新しいミサの支持者、両方のすべての善意の人々に、最終的にマリアの汚れなき御心の勝利と全体的な世界平和をもたらすために共に集まる手助けをすることを触発するものであり得るであろう。

元の編集者の注:
2000年6月26日のファチマのメッセージに関する信仰教義聖省の文書は、1984年に奉献がなされた、そしてルチアがそれはなされたと言った、と明白に言っている。それに続くのは次のぶっきらぼうなコメントである:「それゆえに、これ以上のいかなる議論あるいは要求は根拠がない」。もちろん、この断言にもかかわらず、カトリック教徒はその問題を議論する自由を持っている。そしてそれが、キャシーが以下の論攷においてしていることである。深い信仰と伝統的な信心をもった一人のアメリカのカトリック平信徒であるキャシー・ピアソンは、教皇がもう一度マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献を求めるべきであると論じている。われわれはこの重要でしばしば論争的な問題に関して読者からの手紙を歓迎する。


2007年半ばにロシア正教会総主教アレクセイ2世は、古い典礼に関するベネディクト十六世のモートゥ・プロプリオ(自発教令)スンモールム・ポンティフィクムの発令からカトリック教会と正教会との間の関係に対する一つの積極的な効果を予告した:「われわれは伝統を強く固守している。古代の典礼の伝統の回復と尊敬はわれわれが歓迎することのできる一つの発展である。」それゆえ伝統的なラテン語ミサに対する自由化のアクセスが他の諸教会との和解を妨げるというようなことはないのである。

今は、ファチマの聖母の一つの重要な御要求 - 教会のすべての司教たちと共に教皇によるマリアの汚れなき御心へのロシアの名を挙げての奉献 - が、そのようにすることがロシア正教会に不快感を与えるかもしれないがゆえに、文字通り果たされ得ないということを同様に主張する人々のこけおどしを再吟味する時である。継承されてきた歴代教皇たちがなぜ過去60年以上にわたって、そういうものとしてのロシアの奉献を行うべきでなく、行うことができず、あるいは行わなかったかを説明するためのすべての理由の中で、この理由は確かに全然説得的ではない。その反対に、ファチマはおそらく、カトリック・正教会の和解における行き詰まりを終わらせるための現代における最善の鍵を提供する。

ファチマの物語を一つの閉じられた書物だと宣言しようとするバチカンの精力的な諸努力にもかかわらず、持続的で正当な諸疑問が相変わらず存在する。それらの疑問のうちの一つは、ロシアの奉献をという聖母の御要求が教皇による一連の世界の奉献によって果たされたのか、そしてもしそうでないとするならば、ロシアに特定された奉献が今やなされるべきかどうか、という疑問である。

われわれは、読者がファチマ物語 - 3人の羊飼いの子どもたちへの1917年の一連のマリアの御出現をよくご存じだと思う。彼らは、御出現の後まもなく亡くなり、今や福者となったマルト・フランシスコとヤチンタのきょうだい、そして彼らのいとこのシスター・ルチア(彼女は修道女として老年まで生存し、そして修道院内でファチマの御出現と御発言に引き続く諸々の御出現と御発言を受け続けた)である。1917年10月13日、ファチマでの聖母の最後の御出現の間に7万人の立会人たちによって目撃された目を見張る「太陽の奇跡」によって助けられて、教会は以来ずっと長い間ファチマの諸々の御出現、奇跡そして公表された諸々のメッセージの真正性を承認してきた。

そしてわれわれは、読者が、教会の精神をもって考えながら、ファチマの奇跡の真正性、証人としてのシスター・ルチアの信頼性あるいは聖母に帰せられる既に明らかにされた言葉の内容に異議をさしはさむことはないと、思う。なぜなら、教会は諸教皇の長い継続を通じてこれらすべてに対してその承認の刻印を押してきたからである。

ファチマの聖母とロシア

そこで最初に、聖母はロシアについて何を言われたのか?1917年7月13日に3人の子どもたちへの御出現の間に、聖母はその当時彼らが明らかにすることを許されていなかったある事柄、そして秘密の「第二の部分」として知られるようになったある事柄を語られた。もし人類が神に背くことを止めないならば世界に落ちかかろうとする差し迫った懲罰を述べられた後に、聖母はこう言われた:「このこと(戦争、飢餓、教会の迫害による世界の懲罰)を避けるために、私は、私の汚れなき御心へのロシアの奉献、初土曜日に償いの聖体拝領をすることを求めるために再び来るでしょう。もし私の諸々の要求が聞き入れられるならば、ロシアは回心するでしょう。そして平和がやってくるでしょう。もしそうでないならば、ロシアは、諸々の戦争と教会に対する迫害を引き起こしながら、世界中にその諸々の誤謬を広めるでしょう。善人は殉教し、教皇は多く苦しみ、さまざまの民族は絶滅させられるでしょう。最後に私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。そしてロシアは回心し、平和の一時期が世界に与えられるでしょう。」

そのようにファチマで聖母は奉献を、聖母が将来に要求なさるために再び来られるであろう何かあることとして述べられたのである。

その約束は、シスター・ルチアが当時スペイン、トゥイにあるドロテア会の修練女をしていた1929年6月13日に果たされた。彼女がチャペルで独りで祈っていたとき、聖母がファチマで御出現になったときと同じように御出現になりながら、御子の十字架の下でこう言われた、とシスター・ルチアは語った:

「神が、この手段によって世界を救うことを約束なさりながら、教皇に、世界のすべての司教たちと一致して私の汚れなき御心に対するロシアの奉献を行うように、お求めになる時が来ました。」

上に述べた初土曜日の要求 - そして毎日ロザリオを祈ること、スカプラリオを身につけること、罪人たちのために祈りや犠牲を捧げること、慎みのないファッションを避けることそして生活における自己の諸義務に忠実であることなどのようなファチマの他の諸々の要求 - が全体としての信徒に向けられているのに対して、この要求がとりわけ教皇に向けられている要求であるということに注目することは興味深いことである。そして聖母はそれを、聖母御自身から来るものとしてではなく、神から来るものとして提示なさっている:「神は教皇に....求めておられます。

このことは、われらの主御自身が2年後にシスター・ルチアに次のように語られたとき、理解されるものとなった:「私に仕える人々に、もし彼らが私の諸々の要求の実行を遅らせることにおいてフランス王に従うならば、彼らが不幸に陥ることで彼に従う者となるであろう、ということを、知らせなさい...彼らはそのことを実行するであろうが、しかしそれは遅いであろう。ロシアは既に、諸々の戦争と教会に対する諸々の迫害を引き起こしながら、世界中にその諸々の誤謬を広めているであろう。教皇は大いに苦しまなければならないであろう。」

これらの言葉を額面通りに受け取る人が、なぜロシアの奉献のこの要求、そしてそれに対する教皇の応答が決して小さな問題ではないのか、を理解することは容易なことである。聖母の諸要求が聞き入れられるならば、驚くべき祝福が約束され、もしそれらが拒絶されるならば、不吉な諸結果が予告されている。(シスター・ルチアの回想録が1942年に公表されたとき世界に明らかにされたこの「第二の秘密」は既に私的書簡によって教皇に伝えられていた。)

ファチマを真剣に受け止める人々の間には、ベネディクト十五世からベネディクト十六世までずっと継承されてきた諸教皇がおられる。両ベネディクト教皇は教会が1930年に御出現を公式的に承認したその正当な作業においてその前と後に位置する教皇である。この「私的啓示」から身を引くどころか、彼らは、諸々の贖宥を与え、汚れなき御心の世界的な祝日を制定しながら、それを公的な諸々の祈りをもって公然と採用された。またファチマの聖堂を訪問され、シスター・ルチアに書簡を送られ、あるいは彼女を訪問しておられる。そして数人の教皇たちは聖母のファチマの要求に対して明白に答えて奉献を行われた:

1942年にピオ十二世は、ロシアに言及しているものとして解釈され得た間接的な言及をしながら、マリアの汚れなき御心に世界を公的に奉献された。そして後に回勅「アド・チェリ・レジナム」において、1954年にその奉献を更新することにおいて御自分に加わるように世界のすべての司教たちに命じられた。
1952年に、ロシア・カトリック教徒たちによる一つの要求に応えながら、ピオ十二世はロシアとその国民とを汚れなき御心に奉献されたが、しかしそれは司教たちを伴わない一つの私的な儀式においてであった。
1954年のマリア年の間に、ピオ十二世は、御自分に加わるように司教たちを招かれて、1942年奉献を更新された。
第二バチカン公会議(1962年-1965年)の第3年目の終わり1964年に、教皇パウロ六世はピオ十二世の汚れなき御心への世界の奉献を更新された。そして教会全体を聖母の配慮に委ねられた。
1981年の暗殺未遂の間に御自分の生命が救われたことを公的にファチマの聖母のせいにされた教皇ヨハネ・パウロ二世は1981年の彼の健康回復の間に聖母の汚れなき御心に世界を奉献され、そして1982年に再び非常に公的な形で奉献された。
1984年3月に再びヨハネ・パウロ二世は御自分に加わるようにすべての司教たちを招きながら、マリアの汚れなき御心に世界を奉献された。多くの(しかし決してすべてのではない)司教たちは世界の至るところでさまざまの聖堂において同時的な儀式に参加した。
最後に、2000年10月に教皇ヨハネ・パウロ二世は、再び一つの非常に公的な儀式において、ほとんど1,500名の司教たちの列席の下で、「世界」をマリアの汚れなき御心に「委ね」られた。

彼らは何を恐れているのか?

その記録にもかかわらず、あるいはある仕方でそれのゆえに、ファチマ奉献のトピックは議論の余地のあるものとしてとどまっている。誰もが論争していないことは、バチカンの庭園におけるピオ十二世の私的な儀式を除いては、これらの行為のどれ一つもロシアを名を挙げて奉献しなかったということである。論争されていること - そして両方の側で声高に論争されていること - は、ロシアが明らかにその一部分である世界のこれらの奉献がロシアを奉献するようにという聖母の御要求に対する一つの適切な答だと「見なされている」かどうかということである。

ロシアは言及されることなしに奉献されることができるのか?バチカンはできる、と言い、その批判者たちはできない、と言う。しかしこのことは最も重要な問題ではない。回答を求める問い、しかし聖座が決して公的に取り組まなかった問題は、単純にこうである:なぜロシアに言及しないのか?なぜそのことはそのように考えられないことなのか?否定的側面は何なのか?

教皇ヨハネ・パウロ二世はその教皇職を、あう意味で彼のモットーとなった信徒に対する奨励の言葉をもって始められた:すなわち、「恐れるな」というモットーである。しかし「恐れる」は1930年代からまさに今日に至るまでのロシアを名を挙げて奉献するという考えに対するバチカンの反応をまさに記述する言葉である。それではいったい彼らは何を恐れているのか?

それは探求に値する一つの話題である。ソビエト時代の間、報復的な迫害の恐れが一つのありそうな - そして説得力のある - 説明と思われた。今日、さまざまの理由が考えられるであろう。しかし最も広く表明された今日の説明は正教会に不快感を与えるという恐れである。

確かに、その関心は教皇ヨハネ二十三世の頭の中で大きなものとして現れていた。ヨハネ二十三世はソビエト・ブロックに対する順応という政策へと導くバチカン公会議へのロシア正教会の参加を確実なものとすることに熱心であった。それで彼の後継者である教皇パウロ[六世]もまたペトロの座に上げられる以前そして以後もそのことを支持された。第二バチカン公会議とその諸文書は共産主義のいかなる非難宣告をも含まないであろうという彼らの惜しまれる約束を裏打ちする同じ論理はまたロシアの奉献を排除することに役立ったであろう。

共産主義は致命傷を負って地上に倒された。注1)しかし、カトリックと正教会の和解をしっかりした軌道の上に保つことはヨハネ・パウロ二世とベネディクト十六世両者の主要な関心事であり続けた。インサイド・ザ・バチカン誌が2000年11月に報じたように、ヨハネ・パウロ二世に最も近い相談相手の一人であるある指導的な枢機卿はオフレコで、教皇は、それがロシア正教会に不快感を与えるであろうがゆえに、いかなる奉献儀式においてもロシアに言及しないように助言されていたと、実際に述べた。明らかにバチカンの当局者たちは彼らがその恐れをはっきり述べたときに単にあれこれと推測していただけではない。ごく最近、一人の高位にあるバチカン消息筋は、正教会自身がバチカンに、もし教皇が奉献においてロシアに言及するようなことがあるならば、聖座とロシア正教会との間の対話は急に止まるであろうと率直に語ったと、述べた。

しかしなぜそれが正教会に不快感を抱かせることになるのか?

もしそのことが本当であるならば、それは、なぜどの教皇も - たとえどのようにファチマに関心のある教皇であっても - 敢えて名を挙げてロシアを奉献しなかったかという長い間のミステリーを解決するかもしれない。しかしそれはまたそのミステリーを一つの新しいレベルへと連れて行く。ロシアの奉献はなぜ正教会に不快感を与えることになるのか?

ある国の奉献は、結局のところ、呪いあるいは悪魔払いではない。それは一つの特別の祝福と保護とを呼び求めることである。マリアがある特定の国をそのような要求として一つだけ選ばれるのは、聖母の特別の母親としての愛情である。

われらの主が聖マルガリタ・マリアに、御自分の聖心にその国を奉献するようにフランス王に告げるように言われたとき、フランスはキリスト教世界の「長女」としてのその称号を取っておかれた一つのカトリック国であった。革命とテロの支配が諸悪となって現れたのはただずっと後になってからでしかなかった。その諸悪に対して、奉献は、それが要求されたときに実行されていたならば、その国を救ったであろう。

それとは対照的に、シスター・ルチアがポルトガルの司教たちに、彼らが彼ら自身の国を聖母に奉献するようにという聖母の特別の要求をもたらしたとき、彼らは幸せなことに、多くの人々が後に、スペイン市民戦争と第二次世界大戦の両方を通じてポルトガルを平和に保ったと信じた一つの司教団の行為においてその要求に応じた。

人は、祝せられた御母に栄誉を帰すどの国も、聖なるマリア御自身のよってそのような高位にあるものとして特別に選ばれることを一つの羨むべき特権と考えるであろうということを期待してもよいであろう。ロシア正教会はマリアを尊敬している。そして彼らがファチマの奇跡やメッセージをそのものとして受け入れないかもしれない一方で、キリスト教のある派とは違って、彼らは聖母が人類の歴史に個人的に介入することがおできになりそして介入なさるということを信じている。彼ら自身の伝統はしばしば特定のイコンと結びつけられた公的に受け入れられたマリアの諸々の奇跡や私的啓示で豊かである。

それゆえ、もし神学的な諸問題が障害を提出するために現れないならば、なぜファチマの奉献がロシア正教会に不快感を与えるのであろうか?このことを探求することは重要なことである。なぜなら、もし実際にその根底にある問題が何であるかが分かり、公然と述べることができるならば、おそらくそれらの問題は理性、善意そして真の対話に基づいて一緒に解決され得る。おそらく、そのとき、犠牲にされた奉献の諸利益よりはむしろ、障害が取り除かれ得る。(続く)

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